ラマダーン中は紅茶なし18
今日、ここクアラルンプールでマレーシア国王と長い会談をした。以前9年か10年前に会った時はスルターンだった。今回もまた、非常に非常に親切にしてくださった。我々がどんな儀式を行うのか聞いてきた。私は、これは祈りと瞑想の道だと答えた。そして、国王がラマダーンを順守しているのを非常に素晴しく思い、深く感心したと伝えた。この神聖な月に、イスラム教徒はアッラーの神の恵みを下ろしてくる。1年を通してアッラーに祈るのだが、特にこの月は、アッラーからその子どもたちに、限りない恵みと慈悲と愛が与えられる。
ここでは外的な飢えと内的なご馳走は一緒に起こる。外的にはイスラム教徒は断食するが、内的にはアッラーが限りない愛情と喜びと誇りを与えてくれる。これが内的なご馳走だ。
私は国王に、自分はヒンズー教徒だがラマダーンに深い尊敬の念を持っており、愛と崇拝と献身の心でアッラーに対してこのように真剣に犠牲を払う人すべてを、実に立派だと思っていると伝えた。
国王陛下はとても感動していた。この断食の月には、紅茶1杯でさえおもてなしできないことを非常に申し訳なく思う、と言ってくださった。
「私たちにとっては、陛下の祝福が最も重要で、最も美味で、最も意義深いご馳走です。」
そう言うと、国王はとても、とても嬉しそうだった。
☙
シーカーでない人は起きているために
コーヒーを飲む
シーカーは起きているために
意識の光を飲む
TCE 25. 1998年12月30日↩
Sri Chinmoy, 私の紅茶とコーヒー体験談, Agni Press, 2009