シュリ・チンモイについて

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シュリ・チンモイは、1931年にインドの東ベンガル地方で生まれました。最も多作な英語作家の1人であり、生前1,550冊余の本を執筆しています。読者に自己発見・幸福への道のりを案内し、精神的な教えを時代を超えて解明し、現代の世界調和のため、明確なビジョンを提示しています。

シュリ・チンモイは1964年にニューヨーク市に渡り、2007年10月に亡くなるまで同市を活動拠点としました。処女作「 瞑想:魂の糧 」は1970年に出版されました。シュリ・チンモイの本は、講演会を後に書き起こしたものが多く、大学でのゲスト講義、国連本部で行われたスピーチ、教え子や一般市民との数多くの質疑応答セッションが含まれます。

シュリ・チンモイはスピリチュアル・マスター(魂の師)として、「表現できないもの」を明らかにするのに文学表現を使用する、というパラドックスに直面しました。最高の真実は言葉や概念の範囲をはるかに超えているからです。それでもペンと言葉は、読者や聞き手を刺激し、高揚させ、そして真実を明らかにする明白な力を持っています。シュリ・チンモイは、真実の悟りは思考の限界を超えて初めて起こりうると強調しました。同時に、高い理想が提示されることでマインド(頭、思考)は、平凡な領域を超えたところまで視線を持ち上げることができます。その著作から最大の恩恵を得るためには、「ハート(心)で読む」ことを推奨しています。 そうすることで、直感や内的叡智、感覚的なものも呼び起こし呼応させることができるからです。

筆者は、マインドを照らせるのは本だけではないと強く言います。例えば心の静かな静寂の中で、精神的微細な教えを最も効果的に伝えることができると言っています。そのため瞑想では、沈黙を通して教えることを好みました。

シュリ・チンモイは精神的な執筆の媒体として、詩を好み、こう語っています:

「散文を書くのは人ですが、人の中で、人を通して詩を書くのは神です。」 [1]
-シュリ・チンモイ

後期の文学活動は、主にこの「詩」の表現形式です。1998年に77,000の短い詩を書くために「七万七千の奉仕の木」プロジェクトを始めましたが、これには2007年に亡くなった時点で50,000の格言詩を完成させていました。このコレクションは、1983年完成の「一万の華の炎」(10,000の短い詩のコレクション)と、1998年完成の「二万七千の切望の苗木」(27,000の短い詩のコレクション)に続いて執筆されました。

「詩を書くため、智の女神ミューズの領域に詩人は自らを運び、そこで自失する。周りをすべて焼き払う炎のようでなければならない。」 [2]。
-シュリ・チンモイ

シュリ・チンモイの著作群には、物語・説話や戯曲も多くあり、人生訓が詰まっています。物語は伝統的な民話に基づいたものが多く、戯曲の多くは著名な精神的人物についてのものです。 シッダールタがブッダになるは、何度も劇場公演になった人気の戯曲です。

シュリ・チンモイの作品を高く評価する学者、教授、作家など著名人は多く、その文学的功績に対し贈られた賞には、パリのルーテス国際アカデミーの文学金メダル、国連UNSCR作家協会の優秀文学賞(1993)などがあります。また、文学等で世界調和促進の一助を担った功績で、名誉学位を数多く授与されました。

2007年10月11日に逝去しましたが、未発表の原稿や録音済の講演から、新著が今でも出版されています。

脚注

[1]シュリ・チンモイ著、「シュリ・チンモイが答える」、第7巻、アグニ出版、1996年

[2]シュリ・チンモイ著、「哲学思想家は思考パワーの塔、先見詩人は西洋の心の香り」、アグニ出版、1998年