ラマナ・マハルシ アシュラムで紅茶を飲む19
ニューヨークに戻る2日前、ラマナ・マハルシ アシュラムを訪ねることにした。ポンディチェリーからたった2時間半のところにあった。運転手の名前はビシュワナタンと言って、「世界の主」という意味だった。運転手でこんなにいい人にあたったことは今までなかった。アルナーチャラに着いて最初に挨拶をしてくれたのは孔雀だった。本当に美しかったが、鳴き声となると別だ! 神はどうして、あんなに美しい姿の孔雀に、あんな不快な鳴き声を与えたのだろうか?
本館の前でいい写真が撮れた。ビデオカメラも使った。アシュラム全体が平和、平和、平和だった。それから靴を脱いで瞑想室本館に入った。ラマナ・マハルシの写真が6枚か7枚と、大きな彫像が立っていた。この彫像は本当に神聖だった。そこにいた人はその像の周りを回っていたが、私はといえば、膝のせいで1度しか回れなかった。
瞑想するため腰を下ろした。瞑想室の中の雰囲気は本当に崇高だった。信奉者たちが頭を下げ、像の前にひれ伏していた。
それから、ラマナ・マハルシがアルナーチャラに来た時実際に瞑想したという洞窟に行ってみたいと思った。15年前にそこを訪れた時は、洞窟を眺め、非常によい経験をした。1956年と1958年にもそこへ歩いていった。でも今回はそれは無理だった。歩いて45分かかると言われたのだが、私は数歩以上歩けなかった。
タクシーの運転手に言われた。「間違っているかもしれませんよ。お客さんは英語をしゃべるでしょう。アシュラムの所長も英語ができますよ。聞きに行ってみましょうよ。」
タクシーの運転手がそう頼むので、所長室に行って、「失礼します。」と言うと、所長は不在だったが、別の男性が中にいて、「どうぞお入りください。」と言ってくれた。
中に入ると、本館から洞窟までどのぐらいかかるか聞いた。「45分です。こちらに来られたのは初めてですか?」
「いえ、4度目です。1956年に初めて訪れて、また1958年にも来ました。」
「1956年と1958年!」とその男性は叫んだ。信じられないようだった。
「15年ほど前にもここに来ました。これが4度目です。今はアメリカに住んでいます。」と付け加えた。
「1956年と1958年にはどちらにお住まいだったのですか?」
「シュリ・オーロビンド アシュラムです。」
「なんですって! ではディリップダをご存知でしたか。」
この問いに答えるのは嬉しかった。「あの頃はディリップダの陽の光のような愛情を浴びていました。」
「どうぞ、お座りください。お座り下さい。ぜひ、もっとお話を聞かせてください。」
「お話しできることならたくさんありますよ。」
「お座りになって、聞かせてください。ディリップダの大ファンなのです。」
「ディリップ・クマール・ロイは不滅です。」
「どうぞ、紅茶を召し上がって下さい。」
「いえ、けっこうです。今日はもう紅茶を3杯も飲んでしまった。飲みすぎは良くないので。」
「いえ、どうか、紅茶を召し上がって下さい。そうしたらラマナ・マハルシが私たちと食事を共にした場所にお連れしますよ。」
「それは嬉しいです。」
その男性は紅茶を持ってくるといってきかなかった。そして、飲む場所を教えてくれた。なんということか、階段が何段もあった。「お許し下さい。膝の状態が悪いので、階段を登ることができないのです。」
「わかりました。ではこの事務所でいただきましょう。」
それで、2人して事務所に座り紅茶を飲んだ。<黄金の歌声>ディリップダについて本当にたくさんの質問をしてきた。私もディリップダについていい話を本当にたくさんしてあげた。それを聞いて、本当に嬉しかったようだ。それから、「今度は貴方ご自身について教えていただけますか。」と聞いてきた。
「私はチンモイ・クマール・ゴーシュと言います。」
男性は唖然としていた。「シュリ・チンモイ? シュリ・チンモイですか?」
「はい、シュリ・チンモイです。」
「では、貴方が『インド・エクスプレス』や『ヒンズー』に書かれてあったあの?」
「そうです、私です。」
この男性は大変興奮して嬉しがった。「所長がおりましたら、喜んでお会いしていたと思います。あいにく町を出ておりまして。今晩お泊りになれれば、明日戻りましてからお会いできると思うのですが。」
「ということは、貴方は副所長さんでいらっしゃいますか。」
「私は何者でもありませんよ。何者でもありません。」と、非常に謙虚に言った。名前を聞くと、マニ・ラマナンだと言った。所長である兄のシュンダラムと彼は、ラマナ・マハルシの直系の子孫だった。
もともとは30分だけ行ってこようと思っていたが、2時間以上も過ごしてしまった。マニはとても親切にしてくれた。そしてある時点で、「うちのアシュラムをどう思われます?」と聞いてきた。
「今まで本当にたくさん、スピリチュアルな場所を訪ねてきました。私はアメリカに住んでいます。ニューヨークです。アメリカでは音は音、静寂は静寂です。ここでは、テンプルの周り、そしてラマナ・マハルシ アシュラムのそばでは、静寂が本当に深い静寂だといえると思います。でも音の中にもやはり静寂を感じるのです。」
マニが私を見つめた。私は説明するようにこう加えた。「音は音、静寂は静寂です。でもここラマナ・マハルシの地では、音の中にさえ本当に平和と喜びを感じます。すれ違う男の人も女の人もその表情に本当に平和を感じるのです。本当にたくさん平和があるのです。ここでは音の中にも平和を感じます。」
するとマニはとてもとても嬉しそうだった。話の最後には、「ここを訪れてくださって、実に実に嬉しいです。本当に幸運なことです。」と言ってくれた。
ポンディチェリーへの帰り道、私は恍惚の海でただ泳いでいた。車の中でラマナ・マハルシに捧げる詩をベンガル語で書いた。
TCE 27. 1999年6月11日↩