シュリ・オーロビンドとシュレーシュ・チャンドラ・チャクラヴァーティが紅茶を飲んだ話21
シュリ・オーロビンド アシュラムには、本当に素晴しいベンガル人作家がいた。シュレーシュ・チャンドラ・チャクラヴァーティといい、モニという名で知られていた。シュリ・オーロビンドと非常に親密な関係だった。シュリ・オーロビンドに頼まれてポンディチェリーに初めて出向き、シュリ・オーロビンドが滞在できるように場所を手配した男だ。英国側に見つからないように、すべてが極秘で行われた。この若者は大きな危険を犯して任務を遂行した。というのも、英国側はシュリ・オーロビンドを拉致しようとしていたのだから。シュリ・オーロビンドは1910年4月4日に蒸気船でポンディチェリーに着いた。その時同行した者はほとんどいなかったが、シュレーシュ・チャンドラ・チャクラヴァーティはその数少ないお供の若者の1人だった。交代でシュリ・オーロビンドのためにお茶を入れたり食事をつくったりしたという。シュリ・オーロビンドは紅茶を飲む時テーブルに足を乗せて飲む癖があり、この青年もそうで、同じようにテーブルに足を乗せていた。他にこんなことができる者はいなかった。シュレーシュは本当にシュリ・オーロビンドと親しい仲だったのだ。
その後1914年にマザーがポンディチェリーにやってくると、この青年の態度にショックをうけた。師の前で弟子が足をテーブルに乗せるなんて、ありえない。それでマザーはこれをやめさせた。マザーはシュリ・オーロビンドの食事に関してもとても厳しかった。一日8、9杯飲んでいた紅茶を1杯にまで減らさせた。
TCE 29. 2002年1月14日↩
Sri Chinmoy, 私の紅茶とコーヒー体験談, Agni Press, 2009