質問: 一体感はいつになったら永続するようになりますか。

シュリ・チンモイ: 神を悟ることで得られる一体感があります。この一体感は完全に恒久的なものです。一度悟れば、一体感はずっと続くものになります。ただ、悟りとは理解するものではなく、感じられるものでさえありません。生きることしかできないものです。それで魂の師(スピリチュアル・マスター)は、時々皆が評価したり理解したりできない振る舞いを外的にしたりします。

神を悟る前に完全に神の意思とひとつになる事はできないと思います。私の弟子に関して言えば、外的には私との一体感を確立した者もいます。その弟子たちに何かをするよう頼めば、外的世界で、すぐに喜んで朗らかにしてくれます。周りの皆はそのように喜んで行動している彼らを見て、師と一体感を築いているのだなと思います。しかし内的世界では、ひどい葛藤が起こっていることが多いものです。何故なら、先生が言っている事は正しくない、先生が頼んできた方法は正しいやり方ではないとマインドが言ってくるからです。

内的一体感が5分でも持てたら素晴らしいことを達成したと言えます。しかし残念なことに、弟子の願いが叶えられなかったり、他の誰かの方が早く進歩していたり、自分の調子が悪く下降線だと思ってしまうと、あっという間にこの内的一体感が消えてしまいます。

内的な叡知を使えば、神の意思とひとつになることなしには決して、決して、決して幸せになれないとわかります。中には、鬱やフラストレーションから幸せを感じる人もいます。また、他の人に腹を立て外的にその人に苦しい思いをさせる人もいます。さらに、その人に罰を与えるためそのような振る舞いに出たのは神の意思に沿うためだった、と感じています。人間というのは本当にいろいろな方法で、「神の意思とひとつになるとはこういうことだ、ああいうことだ。」と想像します。しかし悟る前に神と永遠の一体感を築く事は不可能だと私は思います。もちろん、そのシーカーが悟りの寸前まで来ているなら話は別ですが。それ以外の場合、この瞬間は完全に神および神の意思とひとつになっていても、次の瞬間には何か悲しい知らせを耳にし、その一体感は全然なくなってしまいます。一方何か嬉しい知らせを受け取ると一体感が戻ってきます。

もう一つ一体感についてですが、そこに実に大きなプライドが存在することがあります。数分、数時間、数日間という期間、神の意思とひとつになれたとします。するとその人は巨大なプライドで一杯になります。こちらを見ては、「他の人は一体感を確立していないな。」と確認します。あちらを見ては「他の人は神の意思から遥か遠いところにいる」ことを確かめます。

ですからすべてのことに対して、正しいことをして神の時を待つのが一番です。マインドが非常に活発でハートに明け渡していない間は、永続的一体感を持つ事は不可能です。マインドがハートに明け渡し、またはハートから助言をもらうなら、一体感を確立するのはもっとずっと簡単になります。魂はいつでも神の意思とひとつです。その一体感は完全に永久なものです。しかし魂は身体、バイタル、マインドの中でそれらを通して機能するほど強くありません。時にはハートを通して機能する充分な強ささえありません。

神の意思が何なのか魂にはわかっています。しかしそれを魂がマインドに言うと、マインドは反抗します。バイタルに言っても反抗します。そして体に伝えると寝始めます。

神の意思とひとつになるためには、身体、バイタル、頭、心、霊的すべてにおいて自分を捧げる必要性を感じましょう。いつでも準備ができてないといけません。神の意思が何なのかはわからないが、神の意思が存在する事は知っています。神の意思が何なのか知る必要はありません。イエス・キリストが唱えた聖なる祈り「御心のままに。私の意思ではなく常に御心を。」と言う祈りを繰り返せばいいのです。神の意思が何か知らないのに神はどうやって働くのかと思うかもしれません。しかし神の意思が何なのかを知る必要は全くありません。ただ神に「神様、御心が何なのかわからないし知りたいとも思いません。ただ祈ります。私の中で私を通して御心が遂行されますように。」と祈ってください。

神がその意思を貴方の中で貴方を通して遂行し始めたら、神が貴方の内的人生と外的人生において貴方との一体感を確立したということです。ただ最愛のスープリームに、「一瞬一瞬自分の中で自分を通して行動してください」と祈りましょう。一体感とは何なのかを考えるのではなく、こうすることで一体感を確立します。「神の意思、神の意思、神の意思、私の意思ではない。私の意思ではない。私の意思ではない。」と繰り返せれば、寝ている間も夢を見ている間も同じ内的な声が聞こえてくるようになります:「スープリームよ、御心、御心、御心。」「御心」と言うたびに、神の意思との一体感を確立します。