Part II

CSC 2-8. 2005年5月5日、オランダの「カトリック・ダイジェスト」誌のヨープ・コープマン編集長から一連の質問がシュリ・チンモイに届きました。翌日両氏は対面し、「Lifting Up the World with a Oneness-Heart(ひとつの心で世界を持ち上げる)」賞がシュリ・チンモイからコープマン氏に授与されました。

ヨープ・コープマン: シュリ・チンモイ、貴方はヨハネ・パウロ二世、そしてマザー・テレサと大きな友情を育み貴重な時間も共に過ごされました。この二人について、「素晴らしい、迫力ある、個性的」と手放しで称賛しておられますね。東洋では神聖な人物を正当に評価し称賛するのは普通のことのようです。そのようなリーダーが持つ、人を惹きつける力が手に取るように明白に経験されます。それに対しユダヤ教・キリスト教の主流派では、より知性的な見方をします。そのようなリーダーは善人ではあるが、「一瞥、一触れしただけで癒されてしまう」ような生きた聖人とは必ずしも見なされません。この観点からヨハネ・パウロ二世とマザー・テレサについて、語っていただけませんか。

シュリ・チンモイ: ではまずローマ教皇ヨハネ・パウロ二世からお話ししましょう。教皇はキリスト教だけに捉われるのではなく、全ての宗教のための方でした。ですから私は、限りない慈悲、愛情、激励をいただくことができたのです。この人生で、教皇から祝福を頂く幸運に六度恵まれました。お目にかかるたび、他の人からは滅多に感じることのできない神聖な資質をたくさん感じました。

ヨハネ・パウロ二世はある人にとっては友、ある人にとっては父、またある人にとっては祖父であられました。友として、人々に人生の真の意味を理解してほしいと願っておられました。人生の真の意味は慈愛、気遣い、思いやりです。

父として、道徳心に欠ける者達に対し厳しくあられました。真実の法則に従わない人たち、権力や支配力に貪欲な人たちに対してです。自らの霊的な子供にあたるそのような人たちに警告されたのです。人類に対する気遣いがなければ、やがて非常に深刻な危機が訪れるであろうと。人類の水準は向上するどころか奈落の底に落ちてしまうだろう、と。

祖父としての教皇は愛情一杯であり、人々に対してある程度甘いお祖父さんであったと言えます。人間は弱いものだと感じられたのです。もし厳しくしたら、逆効果になるかもしれない。すでに非常に弱い人たちに対しては、とてもゆっくり進む必要性を感じられました。その人達に対する心遣いは限りなかったので、少し甘やかすぐらいの方が、やがて光に対して目覚める助けになると思われたのです。一度光の中に入ればもう、敢えて自分から深い無知の闇の中へ入っていくことはないからです。

ヨハネ・パウロ二世に、本当に限りない感謝を心から捧げます。毎回お会いする度、新しい経験でした。晩年、だいぶ弱られて手も震えておられた折にも、私の腕に愛情込めて触れてくださり、最高の慈悲で祝福して下さいました。

他の教皇と違われたのは、外的世界の活動で実践家であったと同時に、内的世界の最も崇高な高みの先見者でもあられたところです。内的ビジョンと外的活動が見事に相補っておられました。

マザー・テレサは貧しく助けを必要とした人々だけでなく、人類全体のためにあられました。無力で希望なき世界のため、心に血を流しておられました。人の命を救うため、犠牲の人生でした。マザーの命の船は「慈愛の岸辺」と「気遣いの岸辺」の間を行ったり来たりしました。この世で生を受けた時から恐れ知らずでした。

救世主イエス・キリストを限りなく信頼されていました。

私にとってマザー・テレサは、この瞬間は真の母であり、次の瞬間は真の姉でした。母として、祝福に満ちた眼差しで私を祝福して下さいました。姉として、慈愛に満ちた心で愛してくれました。

また、激励に満ちた方でもありました。一度でなく、二度でもなく三度も、一緒に中国へ行ってほしいと言われました。中国と中国の人々に何か素晴らしいこと、善いことをしたいと熱心に願っておられました。残念ながらこの希望は叶えられることはなく、成就する前に天に召されてしまいました。

最近中国に3ヶ月ほど滞在しましたが、一緒に中国に来てほしいと祝福一杯に頼まれたことを何度も何度も思い出していたものです。

マザー・テレサは大胆不敵、ひたすら愛と犠牲の魂でした。この世界の様相と運命を変えるには、マザー・テレサのような神に選ばれたしもべがもっと何人も、ひどく必要です。