初版編者はしがき

神の子イエス。西洋意識の神の権化。人の不死を顕すため、イエスは死を逃れぬ身体を受け入れた。聖なる意識を満たすため、イエスは人の意識を受け入れた。永遠の喜びを世に捧げるため、イエスは身体の痛みを受け入れた。許しの意味を世に教えるため、イエスは裏切りを受け入れた。

無垢な子イエスは世の暗闇をその頭に取り込み、光となった。愛の息子イエスは世の苦しみをその心に取り込み、慈悲となった。全知の父イエスは世の罪をその体に取り込み、救済となった。それからイエスは人としての自分〜苦悩する頭、裏切られた心、壊れた身体〜を神の足元に置いた。そして神としての自分〜輝く光、流れる慈悲、世界の救済〜を人の足元に置いた。

イエスは十字架、つまり神の現れであり人の光明だった。イエスは張りつけ、つまり神の自己充足であり人の自己発見であった。イエスは昇天、つまり神の慈悲の愛であり、人の完成の夜明けだった。

この戯曲では、至高の神と分かち難く一体となった魂の師(スピリチュアル・マスター)が、インド最高の精神的洞察の視点からベツレヘムの光を現している。イエスの人生の意味と重要性に、深遠な美と洞察でシュリ・チンモイは独特の解釈を提示している。