質問: 神の話をされますが、オランダはキリスト教の国なので、ここの神はキリスト教の神だ、と皆言うと思います。他の国の方々もそれぞれの神がいるのですよね。

シュリ・チンモイ: 神は一人だけですが、使う名前が違うのです。オランダ語ではある言葉を使います。ベンガル語では「バガヴァン」という言葉を使います。英語では「God」と言い、フランス語では「Dieu」です。それぞれの言葉に神を表す語がありますが、同じ存在を指しています。ある人は苗字で「誰々さん」と普通は呼ばれていても、その人の子供たちは「お父さん」や「パパ」と呼びます。そして友達には下の名前で呼ばれますが、全部同じ人のことを指しているでしょう。

質問: 皆が戦争をしていて、そのすべての側が「神のための戦いだ。」と言っているのですが、どうしてそんなことが可能なのでしょうか。神が一人しかいないのであれば、どうしてそんなにたくさんの異なる立場があるのですか。

シュリ・チンモイ: これは神に対しての誤解から来ています。神は愛だけの存在です。神を父親としましょう。そして貴方と私は兄弟です。私たちが言い争ったり喧嘩したりしていたらお父さんは嬉しいでしょうか。嬉しくありませんね。お父さんは二人の息子が幸せで平和に満ちていて初めて嬉しく思います。

一つ一つの宗教が「神への愛」から始まります。神を忌み嫌ったり、人類を嫌悪している宗教があるでしょうか。そんな宗教はありません。ただ私たちは神に対して思い違いしているのです。キリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、イスラム教、仏教、ジャイナ教。全てが「神を愛している」と言っています。しかし本当に愛していたら、その人を不幸にすることができるでしょうか。神を愛していると言いながら言い争いや喧嘩を続けていたら、おかしくありませんか。最愛の神を喜ばせたいと私たちは願っています。聖なる父を幸せにしたいと思っています。父親を不幸で惨めな思いにさせたい人がいるでしょうか。そんな人はいません。しかし残念なことに、私たちの行動は神を悲しませ惨めな思いにさせています。戦争、言い争い、喧嘩や不幸な生活を擁護する宗教はありません。