イェフディ・メニューインとの対談1
メニューイン: これはもう最高にすばらしい機会に恵まれました。もう何年も貴方にお会いしたいと思ってきたのですから。一度ロングアイランドのどこかの大学に出かけたとき、貴方が指導しておられる方の一人が、私たちを引き合わせようとしてくれたのですが、残念なことに実現しませんでした。そうしたら、夕べ、また私のコンサートに同じ彼が現れてくれました。今ここにも来られているのかな?レイシンガー: はい!
メニューイン: ああ、彼だ! この方が現れてましてね。だから私は言ったのです。「よし、わかった。明日だね。」って。
シュリ・チンモイ: 「決して諦めるな!」ということでしょう。この15年というもの、本当にお会いしたいと思っておりました。そして今神が、長年愛(いつく)しんできた願いを叶えてくだいました。
メニューイン: 私に会うのをせっかく楽しみにしていた方たちをがっかりさせてしまうのではないか、といつも心配です。長すぎるぐらいの時間会うのを楽しみにしてくださったのに、この通り―私は実にごく普通の人間です。
シュリ・チンモイ: いや、いや! 全ては神の選びし時に起こります。今この時が私たちの、神に定められた会うべき時なのです。
メニューイン: ああ、そうですね。物事にはある定められた運命、因縁があるのでしょう。自分たちでコントロールできる域を超えている物事もありますね。偶然をまったく信じていない人たちもいます。私には何ともわかりませんが。必ずしも宇宙のコンピューターの計算によるわけではない場合もあるに違いないです。世界全体で我々が何を考え、感じるかに左右されるのではないでしょうか。
シュリ・チンモイ: 貴方はヨーガを長年やってこられたと伺っています。ご存知の通り、ヨーガは科学技術の範囲を超えるものです。ヨーガとは宇宙の意識とひとつになることで、マインド(思考)の範疇をはるかに超えます。マインドの力はかなり限られていますが、ハートの力には限界がありません。貴方はハート力をお持ちだし、ハート力そのものの方です。皆、貴方を愛し、貴方の良さを評価し、称賛しています。それは宇宙のハート、宇宙の命、宇宙の意識との分かちがたい一体感をお持ちだからです。
メニューイン: ただ与えられたものに従ってきただけです。初めてインドを訪れた時、それまで知っていた世界とのあまりの違いに圧倒されました。それでも、以前からずっと東洋に行きたかったのです。西洋へ渡った人たちは大体何か新しい物を見つけるためだったでしょう。
シュリ・チンモイ: 大体は、物質的豊かさのために西洋へ渡りますね。東洋へ行くのは、内的英知を得るためです。
メニューイン: ええ、本当ですね。そして、わかったのは、実に様々な側面の考え方について熟考する必要があるということです。(例えば)私は善と悪についてはいつも納得がいかないと思っていました。西洋ではこの二つを切り離そうと試み、悪を監獄に入れる。自分たちの周りに完璧な善を創り上げられると思い込んでいますが、これは子供っぽいナンセンスだ。
シュリ・チンモイ: インド哲学では、悪は無知の一部であるとします。悪とは単に光がより少ない状態のことです。あふれんばかりの限りない光もあれば、それほど明るくない光もあります。無限の光と、このあまり明るくない、ほんの少ししかない光を比べるとき、後者を悪というのです。
メニューイン: ええ。ただ私たちが人間である限り、純粋な思考を持たず、そして生きていかなければならない限り、善と悪はもつれ合っているものだと思われませんか。
シュリ・チンモイ: 今のところ、この二つは同じコインの裏表のようなものです。しかし祈りと瞑想によって、いつか無知そのものが光に変わる日が来ると願っています。魂からの祈りと瞑想のおかげで、この無知の夜が英知の悦びに変わる日が来ることでしょう。
メニューイン: 仏教の読経で、いろいろ本当に素晴らしいものがありますね。より良き世界に属するため最も主要な行いは読経、だとしている仏教の一派が日本にあるのです。これはとても大事なことだと思います。
シュリ・チンモイ: もしよろしければ、代表的な仏教のマントラを一つまず唱えてもよろしいでしょうか。お釈迦様の信徒のマントラで、「Buddham saranam gacchami. Dhammam saranam gacchami. Sangham saranam gacchami.」です。もしお許しいただけるなら、今から生徒たちにこの祈りの込もったマントラを唱えさせて下さい。
メニューイン: すてきだ! ぜひお願いします!
シュリ・チンモイ: 私も日本へは何度か行きましたが、皆で鎌倉の、あの実に力満ちた大仏様の前でマントラを唱えました。
メニューイン: 音楽は私たちの命の一部です。音楽を聴き、演奏することで、多くが学べると信じています。
シュリ・チンモイ: 音楽は、私にとって我々普遍の存在の呼吸そのものです。我々の体内にハートが宿り、ハートの内に呼吸が宿ります。
メニューイン: 音楽は形あるものと形なきものが出会う点だと、感じています。それは耳から直接体内に入り、宇宙全体の振動を受けとるのです。音楽は時の中で芸術品を創り上げる技なのです。一篇の音楽は生命のひとかけらであり、生命の広がりなのですから。その音楽を生きるのです。自分を生きるのではなく、その音楽を生きるのです。
シュリ・チンモイ: 有限自身が無限へと広がっていきます。音楽が無限の中に広がっていくとき、その呼吸が宇宙の命に入っていきます。
メニューイン: ええ、その通りです。もちろん、詠唱は特にそうです。西洋では戯曲や詩、小説のようにある一定の構成を成してきました。インド音楽で感嘆したのは、始まりも終わりもないことです。その文明やガンジス川を彷彿とさせます。
シュリ・チンモイ: 永遠の流れです。
[ここで、生徒の歌い手たちが「Buddham saranam gacchami」を歌う。]
メニューイン: 綺麗だ! その長い長い調べと、音から音へ移るときの瞑想的な音色がなんともいえません。この音色は、民族音楽にはなく、宗教音楽に独特の音色ですね。中世にあった、グレゴリオ聖歌の斉唱のようです。リズムがほとんどなく、黙考と言葉のための音楽です。ここでは、歌詞がこの歌の決め手なのですか。神聖な言葉なのでしょうね。
シュリ・チンモイ: このマントラの意味は、「仏陀の下に、救いを求めて行きます。ダルマ(宇宙の道理)へ救いを求めて行きます。仏陀に帰依する人の集まりへ救いを求めて行きます。」です。
メニューイン: ええ、これは我々が夢見、瞑想する永遠の言葉です。いつまでもいつまでもいつまでも続いていく言葉ですね。聞くと何か平和で、すばらしい安らかさを感じます。アフリカ音楽にあるようなビートとは違う。これは認識されることを迫る命のまた別の部分、私たちの鼓動ですね。
シュリ・チンモイ: 静寂と音が共にあるのです。
メニューイン: そうですね。しかし、やはり別々でもあります。一つは命の鼓動、私たちの脈拍のリズムです。つまり、私たちの振動そのものです。そしてもう一つは私たちが夢見るある種の献身と安らかさです。しかしこれには、雰囲気が大切です。(ニューヨークの)42番街でこの歌を歌ったとしてもうまくいかないでしょう。だから人は寺院を建てるのでしょうね。その精神を宿す場所として。そしてそういう気持ちで寺院に入る。皆さんはこの部屋を寺院に変えてしまった。素敵なことです。
シュリ・チンモイ: 夕べ、幸運にもお会いできると分かった時、すぐに貴方に敬意を表して魂からの歌を作りたいと閃きました。土壇場でのことでしたけれど。
メニューイン: 有難いです。
シュリ・チンモイ: そして今朝、もう一曲作りたいという思いになりました。残念なことに、教え子達は練習する時間がなかったので、私が歌わないといけないのですが。
メニューイン: 本当に本当に優しいお方ですね。非常に感動しています。私などのためにそんなにしてくださるなんて。
シュリ・チンモイ (他の音楽家たちとの対談の写真を見せながら): これがパブロ・カザルスです。お会いしたとき、涙を流しながら「人生の終盤で、貴方は来てくださった!」と言われました。そしてチェロを弾いてくださいました。プエルトリコで、もうずっと何年も前のことです。
メニューイン: ええ、彼のことはよく知っていました。非常に興味深いです。
シュリ・チンモイ: マンハッタンではレナード・バーンスタインに二度お会いしました。二度ともまず瞑想をしてから話を始めました。
メニューイン: レニー・バーンスタインの生き方は随分違ったものでした。
シュリ・チンモイ: しかし私たちと一緒のときはいつも瞑想を好んでおられました。
メニューイン: 彼は天才だった。ずばぬけてすばらしい男だった。しかし内側では引き裂かれていました。
[シュリ・チンモイはズービン・メータ、クルト・マズア、ラヴィ・シャンカール、アリ・アクバル・カーンとの対談の様子の写真を見せる。そしてメニューイン氏について歌った曲を進呈する。]
シュリ・チンモイ: これが、教え子達がこれから歌う曲です。
メニューイン: こうしてみると、印刷された楽譜と実際に歌うことの間には大きな隔たりがあるのに気づきますね。
シュリ・チンモイ: 今から披露します。
[生徒の歌い手達が歌う。]
メニューイン: ありがとう。この歌は暗譜したんですか? 素晴らしい。楽譜を見るというのはひどい習慣です。楽譜なんて忘れてしまったほうがいい。空で歌えるなんて素晴らしいですよ。 [シュリ・チンモイに向かって] 貴方が教えられたのですか。
生徒 1: はい、直に教えて頂きました。いつも楽譜を使わないようにと強く言われます。
生徒 2: 夕べ教えて頂きました。
メニューイン: どんな風にされたのですか。あなたが曲を作られたの?
生徒 2: いいえ、シュリ・チンモイが言葉を書き、それに曲をつけられます。小型のキーボードを使って曲を完成されたのです。
メニューイン: そして皆さんが詠唱されるのですか?
生徒 2: 曲を教えてもらうと私たちは西洋式の楽譜に書き起こして、それを習うのです。シュリ・チンモイは賛歌を何千曲も作られています。メニューインさんも今正におっしゃられたように、楽譜を見ないように、と強く言われます。楽譜を見るのにはマインドを使っているけれど、楽譜なしで歌うときはハートを使っているからです。ハートと魂で歌いなさい、と教えられます。
メニューイン: ええ、皆さんが一緒に歌う様には驚嘆します。それも楽譜なしでです。皆さん誰も、一度も楽譜を見ていないのですか。
生徒 2: まず楽譜を見て習ってから暗譜しました。
生徒 3: シュリ・チンモイは、自分が思っているように私たちが歌えるまで何度も何度も繰り返し練習させるのです。
メニューイン: ええ、それはとても効果的な練習法ですよ。レパートリーも随分あるのでしょう?
シュリ・チンモイ: はい、文字通り、何百という曲を空で歌えます。私はベンガル語で6000曲ほど、英語でさらに3000曲これまでに作詞作曲してきました。これが今日、日中に作った曲です。教え子の皆は朝から仕事があったので覚えることはできなかったのですが。
[シュリ・チンモイはメニューイン氏に敬意を表して作った二曲目の歌の歌詞を読み上げる。]
メニューイン: 私には勿体ないことです。
シュリ・チンモイ: 歌ってもよろしいですか。
メニューイン: ひざまずいた方がいいような気持ちにさせられます。
シュリ・チンモイ (ハルモニウムの前に座って): それから、貴方の言葉の中でも非常に意味深い名言お二つにも曲をつけさせていただきました。 [言葉を読み上げる。]
メニューイン: 生徒さん達をどのように指導していらっしゃるのですか。
シュリ・チンモイ: 私達は(ニューヨーク市)クイーンズのジャマイカに住んでおりまして、祈り瞑想するため少なくとも週に二、三回は集まります。魂からの音楽はスピリチュアル・ライフの一環です。魂を込めて歌うと、神に祈っていると感じるのです。
メニューイン: 講演もされるのですか。それともただ祈り瞑想し、歌うのですか?
シュリ・チンモイ: 大体世界中の主大学で講演会を行なってきました。インド哲学と我々のスピリチュアル・ライフについてです。私は幼少時代から祈り、瞑想してきました。
メニューイン: そうでしょうね。わかります。
シュリ・チンモイ: ベーダ、ウパニシャッド、バガバード・ギタなどすべての主聖典で、インド哲学を徹底的に学びました。これらの教えと、私自身の内的覚醒を基盤に、この28年間、世界各地で魂の奉仕をして参りました。国連での奉仕も22年になります。毎週火曜と金曜に祈りと瞑想をしに行きます。祈り瞑想することに関心のある各国の代表、外交官、職員の皆さんが参加して下さいます。
メニューイン: その瞑想と歌、そしてすばらしい貴方のお話を通して、生徒さん達は現代生活や世界で起こっていることに対しての姿勢を学ぶのですか。
シュリ・チンモイ: そうです。我々の道は放棄ではなく、受容の道です。あるがままの世界を受け入れ、祈りと瞑想を通してより良い世界に向上させようと試みます。
世の中を拒絶したり避けたりは決してしません。世界をありのままに受け入れ、世界の向上のため奉仕し、世界の意識がより良いものとなる一助となれるよう願っています。
メニューイン: そのために私が知っている唯一の方法、最善の方法は、自分自身を向上させることです。
シュリ・チンモイ: 正にそうです。我々は皆同じ命の樹に宿ります。葉もあれば、花もあれば、実もあります。しかし皆同じ命の樹に属しているのです。魂を込めて祈り瞑想すると、世界との分かちがたい一体感を自覚できるのです。
メニューイン: そしてそのためには圧力団体に属したり、敵を作るようなやり方で意見を述べるのは効果的ではないとわかっておられるのですね。
シュリ・チンモイ: ただ兄弟愛を育もうとします。優越感や劣等感は信じません。私達が求めるのは普遍性です。私は貴方に宿り、貴方は私に宿る。私達はひとつです。常にワンネス(一体感)の歌を共に歌います。分離ではなく、調和を信じています。
メニューイン: それが一番ですね。
[シュリ・チンモイが自らのハルモニウムの伴奏で歌う。]
メニューイン: とても、とても美妙です。
シュリ・チンモイ: 「私は決して諦めたことはない」これは貴方の最もパワフルなメッセージです。おこがましくもこの言葉に曲をつけたことをお許しください。
メニューイン: 言葉に曲をつけられる技が並大抵じゃありませんね。作曲するという行為はその主題に対しての瞑想です。必ずしも受身なことではありません。
シュリ・チンモイ: ある主題について瞑想すると、その意味を全て会得することができると感じます。その発話から最高の祝福に満ちたメッセージを受け取ることができるのです。
メニューイン: つまり、もしそのように鍛錬されていなかったら激しい反応を引き起こすような状況下であっても、皆さんは心の平穏を保つことがおそらく可能だ、ということなのでしょうか。皆さん、悪に対して暴力的に反応したいという衝動は克服されているのですか。その落ち着きを失うことはないのですか。
シュリ・チンモイ: ほんの時たま、一瞬の間はありますが、身体的暴力に走ることはありません。ただ時折人間として、怒りや不安、嫉妬などの弱さにさらされます。しかし祈り、瞑想するので、そのような下位の性質や傾向は減っていっていると感じます。そのために我々も、貴方のようにヨーガを実践するのです。ご存知のようにヨーガは心の静けさを得るのに大きな助けとなります。
メニューイン: 皆さんとても並大抵でない鍛錬をされているのですね。周りの状況に対して通常の反応をしてしまわず克服できるのは本当に素晴らしいことです。貴方を信じ、信頼し、敬服しています。ですからもし仮にその鍛錬にもかかわらず、時たま立腹されることがあったとしても、千回でもお許ししますよ。自分を見ればわかります。私はそういう普通の反応に打ち勝つ鍛錬ができていない。時折非常に気が動転します。
シュリ・チンモイ: しかし心の奥ではそうではないでしょう。仮に貴方の生徒さんの一人が良からぬことをした、としましょう。貴方はひどく怒っておられるけれど、心の奥は静かです。海の底のようなものです。海の底は静かで落ち着いているけれど、表面では波が立っています。
メニューイン: この時点では、どちらか選択するよう言われたら、私は表面にいることを選んでしまいます。
シュリ・チンモイ: それは貴方が物事を成し遂げたいからです。そのためには時々怒りを表す必要があります。生徒さん達に対して、いつも優しく慈悲深く話してばかりいても、効き目がないかもしれません。しかし激しい怒りを表すことによって、一瞬のうちに目指すことを達成できたりするのです。何かやり遂げないといけない時、生徒さん達によりよい音楽家になってほしい時、時には怒りに頼るしかなくなります。
メニューイン: うちの母がそうです。96歳ですけれど、自分の怒りをコントロールして、きちんと効果のある方向へ向けていました。完璧にコントロールされていて、内面では比較的落ち着いていました。しかし、私はそうではない。周りの人の良さを引き出すためだけに怒るなどというふりはできません。ただ頭にきているから怒る時もあるのですよ。
シュリ・チンモイ: 何かを成し遂げたいから怒られるのです。周りの人の人生を完璧にしてあげたい、その人を完璧にするためには怒りを見せるしかないとお思いになるのではないでしょうか。そうでなければ、元々物静かで慈愛に満ちた方です。貴方の人生全てが慈愛に溢れています。怒りは、貴方の中に入ってきた外的なものです。よそ者がきて、少しの間滞在していくのです。
貴方はロシア系の方ですよね。私はインド出身です。何年か前、ロシアとインドの一体感についてベンガル語で曲を作りました。歌ってもいいでしょうか。直訳すると、
「ロシアとインド、インドとロシア、肩を並べて歩く、微笑みながら、微笑みながら。心がはひとつ、前、上、内へ、共に動く。心をひとつに、共に空を飛ぶ。最速で前進するために。」です。
メニューイン: ロシア人とインド人ほど違う人種も全く他にはいないでしょう。
シュリ・チンモイ: しかし心の奥で私達はひとつです。我々はあなた方を心から評価し、敬愛しているし、逆もまた然りです。外的には違って見えるかもしれませんが、内的には一体感があるのでお互い常に思いは一致しています。
メニューイン: ええ! そうですね!
[シュリ・チンモイが歌う。]
メニューイン: 非常に素敵な考えです。
シュリ・チンモイ: 教え子達にもう一曲ベンガル語で歌わせてもいいですか。この曲は、「わが主スープリームよ、貴方を忘れないようにしてください。」という意味です。
[生徒の歌い手達が「Bhulite diyona」を披露する。]
メニューイン: 素敵ですね。
シュリ・チンモイ: これが貴方のために作った曲です。受け取っていただけますか。
[印刷された楽譜を進呈する。]
メニューイン: 本当に、ご親切に。夕べは全く一睡もしていらっしゃらないのではないですか? 皆さんが来て歌ってくださって、皆さんのハートの一部をくださって、本当に感激しています。感謝の気持ちでいっぱいです。
シュリ・チンモイ: 皆一緒にひとつのハートで世界を持ち上げようとしているのです。この「Lifting Up the World with a Oneness-Heart(ひとつの心で世界を持ち上げる)」賞を贈呈いたします。 [メダルを進呈する。]
メニューイン: どうもありがとうございます。本当に有難いです。とてもとても優しいお心遣い、ありがとう。
[生徒 4: メニューイン氏の肖像画をアイシングにエッチングしたケーキを進呈する。]
メニューイン: ああ、こんなものまで! 皆さんで食べてくださらないと。
生徒 4: 肖像画は厚紙の上にのっているので、後でとっておくことができますから。
生徒 5: これは、シュリ・チンモイがキーボードや他の楽器を演奏したのを録音したものです。たくさんの楽器が演奏されていますが、キーボードの演奏は独特の力強いスタイルです。
メニューイン: 本当にご親切に。 [シュリ・チンモイに向かって] ありがとう。一生忘れません。本当に優しいお方です。何年も待った末、やっとお会いできました。
シュリ・チンモイ: 内的にも外的にも私達はひとつだと感じています。考え、行動、人類への無私無欲の奉仕、という点で、私達はひとつです。
メニューイン: 私達は違う世界の人間ですが、何かお互いをつないでいるものがありますね。ありがとう、本当にどうもありがとう。貴方にも感謝しているし、貴方の教え子の皆さんにも感謝しています。このように謙虚で恍惚の表情で歌ってくれる彼女達を見れば、貴方が教えてこられたものがわかります。
シュリ・チンモイ (生徒 2 を紹介しつつ:):_彼女がこのグループの先生です。皆を指導し率いているのです。 _メニューイン: ええ、ええ、わかります。
シュリ・チンモイ: 皆で集合写真を撮らせていただいてもよろしいですか。
メニューイン: ええ、ええ。
シュリ・チンモイ: 今朝読んだのですが、逆立ちのポーズが15分間できるそうですね。私はだめです。1分もできません! ネルー首相は、自分の方がうまくできることを貴方に見せようとしたそうですね。貴方のほうが断然上手だということが分からなかったのかもしれませんね。
メニューイン: 先生についていたときほどうまくはできなくなりました。今はずっと年をとってしまったが、でもまだ逆立ちのポーズはします。
メニューイン: シュリ・チンモイ、貴方にはとても感謝しています。来てくださってありがとう。またこれからも何度もお会いできるといい。インドには時々帰られるのですか。
シュリ・チンモイ: たまに、何日間か。私はインド南部の精神的コミュニティーで育ちました。そこで20年間、ヨーガと瞑想を学んですごしました。
メニューイン: ニューヨーク・シティーの真ん中で皆さんのような方々に出会うのはすごいことです。狂った文明社会にいる、と時には感じられるのではないですか。
シュリ・チンモイ: 自分のものとして、受け入れました。先ほども申しましたように、喧騒のニューヨークに奉仕することが自分の本分だと思っております。
メニューイン: 自らは気づいていないかもしれないが、この文明社会は貴方にとても感謝しているに違いないです。本当にありがとう。
シュリ・チンモイ: またお会いしましょう。ありがとう。
YM 2. 1992年2月3日、イェフディ・メニューインはニューヨーク市のリーガホテルの自らのスイートルームに、シュリ・チンモイとその弟子数名を暖かく迎え入れた。1時間にわたる対談の間、二人は音楽と精神性について語り合い、シュリ・チンモイがマエストロに敬意を表し作詞作曲した数曲を弟子と共に披露した。以下はその対談の書き起こしである。↩