シュレンドラ・モハン・ゴーシュはまた、我らがノリニダの親友でもあった。アシュラムに来るたび、午後1時半ごろノリニダと紅茶を飲みにきたものだ。ノリニダに1日2回紅茶を入れる役目をしたのは私のいとこ、ニルマーラだった。
私がシュレンドラ・モハン・ゴーシュと初めて会ったのは、ノリニダの部屋だった。ある日きてみると、ノリニダとおしゃべりしながら紅茶を飲んでいた。私は手を合わせ、書類を取るのに部屋の中に入った。入っても大丈夫だと分かっていたからだ。礼儀正しく部屋を出ようとすると、ノリニダに止められた。私をその人に紹介すると、英語で、「チンモイは私の書いたものすべて、私に関するすべての、唯一の権威なのですよ。」と言った。このときまでには、私はノリニダの書いた論考を何百もベンガル語から英語に訳していた。
あとになって、シュレンドラ・モハン・ゴーシュは自宅に私を招待してくれ、本当に優しくしてくれた。インドのパスポートを取得した時は実に苦労したが、大きな助けとなってくれた1人だ。私をとても、とても気に入ってくれた。
私の2冊目の著作が出た時、一冊進呈した。タイトルは「黄金のすべての母」だった。シュレンドラ・モハン・ゴーシュは、読み終わるとカーリダーサの非常に有名な一節を引用してくれた。その意味は、
> 女神サラスワティの
> 恩寵が下りてくると> 口のきけない者が雄弁になり
> 手足の不自由な者が山を幾つも登るようになるそしてこう言った。「マザーの恩寵があれば、何でも可能になる。」彼は、私が学校を卒業していなく、なんの学位も持っていないことを知っていたからだ。でも恩寵が下りてきた。
TCE 32. 2002年6月3日↩
From:Sri Chinmoy,私の紅茶とコーヒー体験談, Agni Press, 2009
https://ja.srichinmoylibrary.com/tce より転用