最初司教は私と1人で話したい、だれも付き添いは入ってきてほしくない、と言った。でも気を変えて、弟子全員を中に入れてくれた。
司教は、用意した紅茶、コーヒー、パンとチーズをどうぞ召し上がってください、と何度も勧めていた。家族の集まりのようだった。
私がなぜ紅茶もコーヒーも飲まないのか理解できない様子だったので、長い説明が必要だった。それから私がベジタリアンだと聞くと、質問の連発だった。
司教は祈りについては何でも知っていたが、瞑想が何かを知らなかった。思考がない状態で瞑想できるなんて想像できないのだった。それで、祈りと瞑想について長い話をした。
インドにいた頃は、6時間から7時間連続して瞑想していたことを話した。司教は私の言ったことを信じてくれたが、自分でマインドを静かにしておくのは数分以上は無理だと言った。
最後に、一緒に1分か2分瞑想し、頭を垂れて祈った。それから司教は立ち上がると、「私は86歳なんですよ!」と言い、私の肩に手を置き、最高に愛情深く肩をぎゅっとしてくれた。本当に心優しく親切で、愛情いっぱい、愛と智恵でいっぱいの司教だった。
TCE 20. 1988年3月19日↩
From:Sri Chinmoy,私の紅茶とコーヒー体験談, Agni Press, 2009
https://ja.srichinmoylibrary.com/tce より転用