神の子 イエス・キリスト

神の子 イエス・キリスト

登場人物

父なる神

息子イエス

聖母マリア(イエスの母)

天使

エリザベツ(洗礼者ヨハネの母)

ヨセフ(イエスの父)

三人の羊飼い

ヘロデ王

三人の賢者

イエスの先生

生徒たち

洗礼者ヨハネ

洗礼者ヨハネの弟子たち

イエスの弟子たち

ユダ、ペテロ、フィリポ、トマス(イエスの他の弟子たち)

マリア・マグダレナ

クリシュナ

ラーマ

仏陀

キリスト

第一場

[天国にて]

父なる神: 息子よ、とてもいい計画がある。聞いてくれるかな。地球に下りていって最も重要な役割を演じてほしい。

息子イエス: 父よ、我が父よ、実に素晴らしい考えです。

父なる神: 知っているように、地球のために働くこと、地球の意識を変革するために働くことは想像できないくらい困難な仕事だ。

息子イエス: でも父上、唯一無二のこの機会を逃したくありません。それによくわかっています。他でもない父上が、私の地球での巡礼の旅を力で満たしてくれることを。私には何の迷いもないのですから、これ以上ぐずぐずするには及びません。

父なる神 (大きな微笑を浮かべて): 息子よ、おまえの地球での時間は33年だ!

息子イエス: たった33年! それでは、どうやって仕事をやり遂げたらいいのです?

父なる神: おまえにならできるし、実際やり遂げるであろう。息子よ、地球では、ある者は歩き、ある者は行進し、またある者は走る。おまえの場合、最速で走るだけでなく、最高の高みを世に体現するだろう。身体が地球に留まるのは33年間だ。しかしその意識は地球の意識をいつまでもいつまでも導いてゆくだろう。息子よ、おまえは世界に対し、自分が道であり到着地である、と言うのだ。

息子イエス: 父上、今のお言葉で、私は混乱の海の中に陥ってしまいました。

父なる神:息子よ、何故だね、どうしてなんだね?

息子イエス: クリシュナ、仏陀、そして他の者が私の前を歩いてゆきました。父上、もちろん、私が地球を去った後も、その後を歩く者がいるのでしょう? ならばどうして世界に向かって、私一人が道であり到着地であると言うことができるでしょうか?

父なる神: 息子よ、私は「おまえ」と言ったが、それは実際、高みに上ろうとする「熱望」のことであり、「救済」のことだ。おまえは「熱望」という道を具現化し、「救済」という到着地を具現化する。熱望であり救済であるおまえが地球上で私に奉仕し、私を世に体現し、私を満たすのだ。息子よ、言わんとすることが分かったかな?

息子イエス: 分かりすぎるぐらいよく分かりました。言うまでもなく、父上の慈悲のおかげではっきり分かるようになりました。

父なる神: よく分かってくれてうれしい。私の姿を地球に顕わすとはうれしいことだ。地球上で私を体現するとはうれしいことだ。地球上で私を満たすとはうれしいことだ。おまえは私の道具だということを忘れないように。 Nimitta matram bhava savyasachin.

息子イエス: 父上、何語を話しているのですか。妙な響きなのに、とても素敵です。

父なる神: ああ、息子よ、この言語を知らないのかね? これはサンスクリット語だ。そして私が今口にしたのはおまえの兄弟クリシュナの高尚な言葉だ。クリシュナは最愛の弟子にこう言った。

「おおアルジュナよ、ただ私の道具となれ。」

おまえもまた、弟子や他の愛する者たちに、神聖な道具となるよう教えるのだ。息子よ、非常に興味深い、少なくとも楽しいことを教えよう。地球にいる間、おまえはサンスクリット語で書かれた聖典が教えられている場所に行く。その聖典から多くを学ぶことだろう。その場所には一年間いることになる。その一年は内的人生に非常に有意義なものとなる。

息子イエス: サンスクリット語とは何て妙な言葉でしょう! 何て甘美な言葉でしょう! 父上、お願いです、さっきのサンスクリット語の言葉をもう一度繰り返していただけますか?

父なる神: Nimitta matram bhava savyasachin.

息子イエス: ありがとうございます、父上。私はただの取るに足らない父上の道具だということは心得ています。それだけです。

父なる神: 息子よ、究極の秘密を知っているだろう? それは、謙虚な心だ。謙虚さが、超越の勝利の喜びを授けてくれるだろう。おまえは私を理解し、私もおまえを理解している。だが、世界からは誤解されるだろう。おまえは人類に、自分が持っているもの、自分のあるがままを与える ― つまり、限りない愛、気遣い、慈悲だ。しかし世界からはひどく誤解されるだろう。そして光のあたっていない、神聖でない、考えも及ばないような人間たちに殺されるのだ。

息子イエス: 殺されるですって! どうして? どうやって?

父なる神: どうして? それはその者たちが無知であるから。どうやって? 十字架に張りつけにされるのだ。

息子イエス: 張りつけ? 本気ですか、父上?

父なる神: ああ、本気だ。残念だが、そうなのだ。でも、よくわかっているだろう。滅ぼされるのは身体だけで、魂ではない。魂は不滅だ。魂の鳥は籠が叩き壊されたら、当然神聖な源に舞い戻ってくる。

息子イエス: 父上、なんて感謝を知らない人たちなんでしょう!

父なる神: 息子よ、まだ地球には感謝の心は生まれていない。一体生まれる日が来るのかどうか、あやしいところだ。しかし、張りつけにされる時、私に見捨てられたなどと考えてはいけない。人間の部分はそう思うだろうが、神聖な部分はそうは思わない。おまえは人間の形をとるので、時には人間のように振舞わなければならない。さもなければゲームにならなくなってしまう。人々は常におまえの清らかで光り輝く命と、自分たちの不純で暗い人生との間に大きな隔たりを感じるだろう。そのため、地球に縛られた自分の意識を超えようとは決してしなくなる。暗闇の中に光が降りてこなければならない。それで初めて光は闇を変革し明るくすることができる。他に道はない。人類の意識を変革するためには、人類とひとつになるしかない。人類の一部となるしかない。時には皆の限られた理解度に合わせて、同じレベルで行動しなければならないのだ。息子よ、他に道はない。

旅路の終わりに人間の部分はこう言うだろう。

「父上、どうして私を見捨てたのですか?」

しかし神聖な部分はこう言うだろう。

「父上、彼らをお許しください。自分たちが何をしているのか、知らないのです。」 我が息子よ、断言しよう。おまえの中の死にゆく人の部分は、私がすぐに楽にし、責任を持って引き受ける。だが輝ける神聖な部分は、おまえ自身を不滅にするだけでなく、私が地球で完全に体現される時を早めるのだ。

第二場

[マリアの家。天使が入ってくる。]

天使: マリア、マリア、本当に特別な知らせを天から持ってきましたよ。

マリア: 特別、ってどんな意味の特別ですか?

天使: 神聖な意味の特別、光輝く意味の特別です。

マリア: ああ、それなら知りたい。教えて下さい。

天使: マリア、主があなたの中に宿っています。

マリア: 主って?

天使: 宇宙の主です。

マリア: 信じられない。耳を疑うわ。私を苦しめないで、お願いだから!

天使: マリア、私はあなたを苦しめているのですか?

マリア: そうよ。恐怖が激流のように私の心を苦しめています。疑いが火山のように私の頭を苦しめています。

天使: 怖がらないで、あなたらしくない。疑いに取り込まれないで―それもあなたらしくないから。秘密を教えてあげます―「無限」にあなたは肉体を与える。「永遠」とはあなたの心のこと。「不死」とはあなたの命。神の子イエスがあなたの中に宿っているのですよ、マリア。この子は人々を救うでしょう。世界の隅々まで永遠に治めることでしょう。どうやって治めるのか、知りたい?

マリア: ええ、どうやって?

天使: 刀の力で治めるのではなく、心の力で、愛の力で治めるのです。

マリア: 心の力と愛の力。この二つは別々のことなの?

天使: いいえ、同じことです。心は愛、愛は心。

マリア: やっと、とても幸せな気持ちになりました。あなたは最高のメッセージを運んでくれました。お返しに何を差しあげたらいいでしょう?

天使: 何も。ただ私の言うことを信じてくれれば。

マリア: ええ、信じます。本当に感謝の心であなたのメッセージを受け入れます。

天使: マリア、私のメッセージをあなたが受け入れる、ということが私にとっては何よりのご褒美です。あなたは一点の汚れもなく、清らかです。素晴らしい人です。神聖な人です。マリア、ここを去る前にもう一ついいことを教えてあげます。あなたのいとこ、エリザベツもまた、子供を授かります。

マリア: すてき、すてきだわ! すぐにでも訪ねていかなくては。

天使: 実にすばらしい考えです。

[天使退場]

マリア: おお、主よ、御自分の最愛の息子を私に授けてくださるのですね。私は無知な女です。何にもわかりません。でも主が許しと慈悲、そして愛だけの存在であることは知っています。

[マリアが歌う]

```

ああ!我が至高の神スープリームのメッセージの光が何なのか

知るのはたやすいこと

主のため、輝く充足の仕事を

するのはたやすいこと

主の蜜の日が、今私の中で歌い、戯れる

主の栄光の空で、我がゴールと私は日を浴びる

```

第三場

[エリザベツの家。マリアが入ってくる。]

エリザベツ: マリア、マリア、聞いたわ。もう「マリア」なんて呼べないわね。これからは「聖母」と呼ばなくては。我が至高の主の母。女性の中であなたほど祝福された者は今までにいないわ。男の中であなたの息子ほど祝福された者は今までにいないわ。

マリア: 私、私の小さな心を神聖な母、宇宙の母が祝福してくれますように。その宇宙の意識が私、私のつつましい人生を導いてくれますように。その超越の光が私、私の小さな世界を明るく照らしてくれますように。

エリザベツ: 間違いなくそうしてくれるわ。宇宙の母はあなたの望むことすべて、それどころかもっとたくさんのことをかなえてくれるでしょう。

マリア: ありがとう、ありがとう。ああ、そうだわ、一番大切なことを聞くのを忘れていた。天使が教えてくれたのだけど、エリザベツ、あなたも聖なる子に恵まれたとか。本当なの?

エリザベツ: ええ、本当よ。でもあなたの子には比べ物にならない。心に嫉妬心が住み着いた、ということではないのよ。まさか、心の扉に嫉妬で陰を落とすなんて、決してしないわ。私の息子はあなたの子の至高な訪れを告げる者となるの。あなたの子が何者であるのか世界に伝える役になるのよ。あなたの息子のところ、つまり「至高の住処」まで世界を安全に導く役。その子はあなたの息子だけれど、私の主、私の至高の神スープリーム、私のすべてとなることでしょう。

[エリザベツが歌う]

```

神は人

その御顔が愛しい

その青と黄金の愛

天国行きの我が行路

``` マリア: ああ、神よ、願いを三つかなえて下さい。エリザベツが見るような目でいつも我が息子を見ることができますように。エリザベツが感じているようにいつも我が息子を感じることができますように。エリザベツがしているようにいつも我が息子を尊ぶことができますように。

第四場

[ナザレ。大工のヨセフは夢を見ている。天使が入ってくる。]

天使: ヨセフ、あなたは地球上で一番恵まれた者です。あなたの妻マリアはもうすぐ子を生むでしょう。

ヨセフ: 天使よ、やめてくれ! 道理に合わないことを言わないでくれ。そもそも、まだマリアとは結婚していない。そしてもし、身ごもっているというのが本当なら、マリアを心から深く愛しているけれども、彼女と結婚して世間の冷たい目にさらされる勇気はない。だって、そんなひどい恥にさらされたい者はどこにもいないだろう?

天使: マリアの子は神聖な子です。あなたはマリアと結婚しなくてはなりません。その子は、主の最愛の息子なので、その神性は人間の決まり事や規律をすべて簡単に脇に追いやることができます。ヨセフ、忠告しておきます。ひどい愚か者のような振舞いはよしなさい。マリアを受け入れなさい。結婚しなさい。彼女を自分のものとしなさい。あなたの息子の名前はイエスです。「救済」という意味です。マリアの息子であるということは、同時にあなたの息子でもあるということです。その子はユダヤの王となります。そして全世界を明るく照らすことでしょう。

ヨセフ: 天使よ、あなたの深い英知に頭を下げます。マリアと私は分かちがたくひとつになります。でも知っての通り、私はただのつつましい男です。誠実な、謙遜な男です。

天使: ヨセフ、あなたのつつましさを好ましく思います。あなたの誠実さが大好きだし、謙虚なところを敬愛していますよ。

ヨセフ: 天使よ、聞きたいことがあるのだが。正直に答えてほしい。神にはよく会うのですか?

天使: いえ、神にはたまにしか会うことはありません。

ヨセフ: 天使というのは毎日、神に会うものかと思っていました。

天使: まさか。私たち天使は、宇宙の神々ほど恵まれてはいません。彼らは毎日神に会えますから。

ヨセフ: あなたたち天使は、実際には何をする存在なのですか?

天使: 私たち天使は神のため、そして人のためにかなりたくさんのことをしています。宇宙の神々からのメッセージを、真実を熱望する人たちに伝えたり、深い啓示を与えることで人を密かに鼓舞したりします。そして彼らの中にある真実を熱望する炎を燃え上がらせるのです。

ヨセフ: できれば分かりやすく教えてほしいのですが、あなた方天使とは、一体何者なのですか?

天使: 私たちは神の強い愛でできていて、人間の崇高な約束のために存在します。

ヨセフ: なんて素晴らしい!

天使: ヨセフ、違いますよ。なんて恵まれているのか、とだけ言って下さい。人の内側の神に奉仕するよう、私たちは神に任命されました。そして神の超越の住処への道を示してほしいがため、人は無意識に我々を呼び起こします。

ヨセフ: 話を変えて申し訳ないのですが。

天使: ええ、全然構いませんよ。

ヨセフ: 私の息子イエスは本当にユダヤの王になると思うのですか。

天使:思うとか、感じるとかではないのです! あなたの子イエスがユダヤの王になるのが、はっきり見えます。もっとあります。この子は全世界の神聖な帝王となります。そしてその愛の力で、地球の意識を永遠に治めることでしょう。 [ヨセフは手を合わせ、天使に頭を下げる。天使はヨセフを祝福する。] あなたの献身的な心に、善きものすべての創り手である、神の祝福あれ。

第五場

[ベツレヘムの馬小屋]

ヨセフ: ああ、なんということだ。ここは人が多すぎる。小さな宿も大きな宿もみな一杯で、泊まる部屋がない。マリア、きみはもうすぐ母となる。私たち二人とも天使ガブリエルを信じているので、これだけは間違いなく言える―この子は全世界の主となる。しかし今ここで私たちは物乞いだ。物乞いに選ぶ権利はない。仕方がない。この、与えられた馬小屋で満足しよう。なんということだ。ここは家畜が飼われている場所だ。ここで私たちの赤ん坊が明日かあさってには生まれる。当然、生まれた赤ん坊は牛の脇のかいば桶に寝かせなければならない。これは実に、運命の最高の皮肉だ。宇宙の主が、動物や他の卑しい生き物と共に地球での旅路を始めるなんて。ひどく心配だ。

マリア: すべてうまくいくわ、大丈夫。無用の心配にふけってはだめよ。至高の主スープリームはいつも情け深いのだから。

第六場

[夜更け。羊飼いが何人か、ベツレヘムの近くの草原で羊を世話している。]

羊飼い1: おい、見ろ! 皆見てみろ! なんて明るく力強い光が空に輝いていることか!

羊飼い2: おい、見ろ! 主の天使がこちらにやってくるぞ。

羊飼い3: 見ろ、天使が目の前に立っている。

三人の羊飼い: なんということだ、何かわからないが、恐怖が我々の心を苦しめている。

天使: おお、心優しくつつましく、誠実な羊飼いたちよ、根拠のない恐怖心は捨てなさい。私は素晴らしい喜びの知らせを持ってきました。今日、まさに今日、救世主が生まれました。ベツレヘムで生まれました。ここからすぐ近くです。生まれたばかりの神聖な子は、小さな宿の馬小屋に横たわっています。この子がキリスト、主、聖なる王です。空を見上げて、私の仲間たちが何をしているか、見てご覧なさい。

羊飼いたち: ああ、天使たちが踊り、賛美し、歌っている。:

「最高の高みの神に栄光を。そして地球の人々に平和を。神は人々にとても満足されている。」

素晴らしい、素晴らしい! この素晴らしい出来事を見に、急いでベツレヘムへ行こう。

[一同退場]

第七場

[ヘロデ王の城]

ヘロデ: 我慢ならん! 考えられん! 有り得ん! 他の誰かが王になるなぞ、許さんぞ。王、唯一のユダヤの王は私だ。司祭長と律法学者はこう言った―その小さな赤子の王はベツレヘムにいると。本当にそんな者がベツレヘムにいるのか確かめたい。もし本当にいるなら、殺す。神のところへ送ってやる。この世に生きている限り、私は王で居続けるのだ。

[三人の賢者が入ってくる]

ヘロデ (三人に挨拶をして): よく来てくれた。噂は常々聞いておるぞ。東の果ての地からやってきた、三人の並外れた賢者たちよ。星の動きがわかるとか。それによると、一つの星が新しい王のところへおまえたちを導いてくれるのだな。その神聖な子を見てきてくれ。そしてその子についてわかったことを持ち帰ってきてくれ。そうしたら私が自ら出かけて行き参拝しよう。

[三人の賢者が出て行く]

第八場

[マリアとヨセフは宿にいる]

マリア: ヨセフ、だから心配しないようにと言ったでしょう。ほら、大きな宿のいい部屋がとれた。もう馬小屋にいなくていい。ここならこの可愛い聖なる子を二人で世話するのも簡単だわ。

ヨセフ: マリア、きみの言った通りだった。きみは正しい。いつも正しい。

マリア: 私たちに必要なのは辛抱強さ、それだけよ。

[三人の賢者が入ってくる]

賢者たち (赤子に頭を下げながら): ああ王よ、世界の主よ、今日、今、我々はこの世ではなく、喜びの第七天国にいます。主に捧げる神聖な贈り物を我々は何も持っておりません。どうか、地上の贈り物である、金、香水、乳香、没薬(もつやく)をお納めください。

ヨセフ: おお、聖なる客人たちよ、今夜はここにお泊まり下さい。

賢者たち: ヨセフ、ご親切にありがとうございます。

[マリアが食事を出す。三人は部屋の一角に床を取り、ヨセフはもう一角に床をのべ、マリアと子はまた別の一角に横になる。少しすると神聖な声が三人の賢者を起こす。]

声: 家に帰りなさい。ヘロデのところには戻るな。

[三人の賢者が出て行く。天使が現れ、ヨセフとマリアを起こす。]

天使: ヨセフ、妻と子供と共にすぐここを出てエジプトに向かいなさい。さもないとヘロデがもうすぐここを探し当て、この子を殺してしまうでしょう。

[マリアが両手に赤ん坊を抱き抱える。一同退場]

第九場

[イエス、マリア、ヨセフはナザレの家にいる]

イエス: お母さん、お母さん、あの空にあるのはなあに?

マリア: あれはお月様よ。

イエス: お月様! とってもきれいだね!

マリア: イエス、あなたの方がもっとずっとかわいいわよ。

イエス: ううん、そんなことないよ。お母さん、ぼくね、あそこまで行って、お月様をここに下ろして来たいんだ。

ヨセフ: 月まで行く必要はないぞ。月がおまえのところまで来てくれるよ。

イエス: 何のために?

ヨセフ: 一緒に遊ぶためだ。

イエス: ぼくと遊ぶの! いいな! (ヨセフに向かって) ねえ、お父さん、夢の中ですっごくきれいな人たちに会うんだよ。ぼくのところに来て、一緒に遊ぶんだ。ぼくのことがほんとうに大好きなんだよ。

マリア: その人たちが誰だか知ってる?

イエス: 知らない。でもね、お母さん、ぼくはとっても好かれているんだ。親友だよ。

マリア: その人たちは天使、って言うのよ。

イエス: 天使、天使か! お母さん、でも昼間は見えないんだ。どこに隠れているんだろう?

マリア: 昼間は空に隠れているのよ。

イエス: じゃあ、空に飛んで行って天使をつかまえちゃおう。

マリア: 飛んで行ってつかまえる必要はないのよ。天使の方でイエスのところまで来てくれるわ。あの中の一人がお父さんとお母さんのところにやって来て、あなたが神の最愛の息子だって教えてくれたんだから。

イエス: それって、どういう意味?

マリア: 天国にいる主が、あなたを一番愛しているっていうこと。あなたは主のお気に入りなの。

イエス: ぼくが? 神様のお気に入りなの? じゃあ神様に会いに行かなくちゃ。神様のお家に連れてって。

マリア: 明日モリヤの丘にある神殿に連れていってあげましょう。

イエス: ありがとう、お母さん。明日、神様のお家に行くんだね。明日、神様に会えるんだね。ありがとう、お母さん、ありがとう。

第十場

[ナザレ。数年後。ヨセフ重体。マリアが看病している。]

ヨセフ: マリア、イエスに私の病のことは知らせてくれたかい?

マリア: ええ、二ヶ月前、あなたの体にこの病が入り込んだ時に。あなたの病気のことをイエスに知らせてくれるよう、インド行きのキャラバンに頼みました。

ヨセフ: キャラバンがインドに到着するのに、どのくらいかかる?

マリア: 少なくとも三ヶ月は。

ヨセフ: 何だって! じゃあ、たとえイエスが私の病の知らせを受けて、インドを発ったとしても…

マリア: もちろん、イエスはあなたが病気だと知ったら、すぐに帰ってくるわ。

ヨセフ: だがな、きみ、イエスがここまで帰ってくるのに三ヶ月もかかるんだぞ。わかるだろう、私のこの世での時間はもう長くない。

マリア: そんなことないわ。最愛の息子が帰ってくるまで、この世に留まらなくてはだめよ。

ヨセフ: もちろんそうしたいさ! だが私の人生の船はもう沈もうとしている。イエスよ、我が最愛の息子よ、父の船は沈みつつある。だがおまえの船はもうすぐ、身を切る地球の激痛の岸辺と、増え続ける天国の歓びの岸辺の間を、行ったり来たりするようになる。おまえの紅白の船が、超越し続ける「彼方」の我が岸辺に向かって進んでいくのを、父は魂の限りなき誇らしさで天から見ていよう。イエス、我が息子よ!

[ヨセフ、目を閉じ、亡くなる。]

第十一場

[ベナレスにて。宗教の学校。イエスを含む生徒数名が半円形に座っている。]

先生: 今日は新しいことを勉強しよう。もう「チャンディー」と「ヨーガ・ヴァシスタ」は教えたので、今日から新しい本を始める。これは神の歌、「バガヴァッド・ギーター」だ。「ギーター」は私たちの聖書だ。そうだ、親愛なるイエス、君はもう自分の聖書は勉強したと思う。今日からは私たちの聖書を勉強しよう。あれ! イエス、どうしたんだね? なぜそんなに悲しそうに落ち込んでいるんだ? 何かあったのかい?

イエス: 何でもありません。

先生: 言ってみなさい。何が君の心を苦しめているのか、話してみなさい。

イエス (泣き出す): 父が亡くなったって、家から知らせが届いたんです。

先生: お父さんが! いつ? どこで?

イエス: 三ヶ月半前、亡くなったそうです。イスラエルでした。先生は、今まで本当に親切にしてくださいました。本当に感謝しています。たくさんの愛と配慮でヒンズー教の聖典を教えてくれました。でも残念ですが、明日ここを出て、家に戻らなければなりません。

先生: 愛しい子よ、どうやって帰るのだね?

イエス: 来た時と同じ道を帰ります。インドへはキャラバンと一緒に来たので、また別のキャラバンと一緒に戻ります。明日出発します。インドには一年ほどいたことになります。ここでは皆が本当に親切にしてくれました。インドの愛、インドの気遣い、インドの慈悲を持って帰り、ふるさとの皆に捧げたいと思います。

先生: 愛しいイエスよ、これまで何千人という生徒を送り出してきたが、誰も君の足下にも及ばない。君は本物の天才だ。無類の存在だ。今日君は愛するお父さんを亡くしてひどく悲しんでいる。私に何か慰めになることができたらどんなにいいか。ああ、素晴らしい考えが浮かんだぞ。「ギーター」から何節か読んであげよう。

```

Vāsāṁsi jīrṇāni yathā vihāya

navāni gṛhṇāti naro ’parāṇi

tathā śarīrāṇi vihāya jīrṇāny

anyāni saṁyāti navāni dehī

```

```

[人が古くなった服を脱ぎ捨て

新しい服を身にまとうように

魂も使い古した体を脱ぎ捨て

体現のためにまた新しい体に入っていく]

```

```

Nai ’naḿ chindanti śastrāṇi

nai ’naḿ dahati pāvakaḥ

na cai ’naḿ kledayanty āpo

na śoṣayati mārutaḥ

```

```

[武器で魂を切り裂くことはできない。

火でも燃えず、水にもぬれず、

風で干涸(ひから)びることもない。]

```

いっしょに言ってみようか?

イエス: はい、もちろんです。先生と一緒に言えたら嬉しいし、ありがたいです。

[先生とイエスが一緒に唱える。他の生徒たちは熱中して聞いている。イエスの目が喜びで輝く。]

イエス: 先生、本当にありがとうございます。「ギーター」の神聖な言葉でぼくの心は完全に癒されました。

先生: 君が何か特別なものを持っているのが私にはいつも見えたし、そう感じてもきた。表向きにはこれまで誰にも言ったことはないが、君は私が一番目をかけている生徒だ。君の誠実さ、謙虚さ、そして純粋さを大切に思っている。さあ、イエス、君はもう私と「ギーター」を勉強することはできないので、間違いなく君が鼓舞されることを教えよう。知ってのとおり「ギーター」というのは、主クリシュナとアルジュナとの間の会話だ。アルジュナは主の最愛の弟子であり友だ。主はこの弟子に無比のことを教えた。行為者は神だ、人間はただの道具にすぎない、と言ったのだ。ここ地球にいようと向こうの天国にいようと、私たちの中で私たちを通して行動しているのは神なのだ。私たちはただの道具にすぎない。: Nimitta matram bhava savyasachin.

イエス: それ、前に聞いたことがあります。どこか別の場所で聞きました。どこだったか、思い出せない。 (間をおいて) ああ、わかった! 至高の父スープリームが、私が天国を離れる前にこのマントラを教えてくれたんです。

[他の生徒が全員、爆笑する。]

生徒の一人 (馬鹿にしたように): 天国の父スープリーム! あとは何だ? 馬鹿だな、天国で起こったことをどうやって覚えているっていうんだ? もう今日から君は俺たちの仲間のイエスじゃない。ほらふき王だ。

先生: みんな静かにしろ! 黙って自分の無知を隠しておきなさい。天国にいたことを覚えているのがなぜおかしい? おまえたち馬鹿者はまだ「ギーター」を読んでいない。だから能無しの羊のように振る舞っているのだ。「ギーター」では、私たち誰もが何度も何度も輪廻してきたと主がはっきりと言われている。これは私たちの最初の人生でもないし、最後の人生でもない。「ギーター」では主がアルジュナに、彼の前世について全部教えている。

生徒の一人: 主クリシュナだったらそういうこともできます。クリシュナは信じています。でもほらふき王のイエスが、主クリシュナのように振る舞うのはおかしいです。

先生: 馬鹿者! 今日おまえたちは我がイエスを「ほらふき王」と呼んで笑いものにしている。でもいつかこの子が何者なのか、みんなにもわかる日が来る。ほらふき王と呼ばれるこの子は、イスラエルの王になるだけでなく、世界の王になる。私の心が教えている。この子は私たちのような普通の人間ではない。世界の救済者だ。もう一人のクリシュナだ。

[イエスが先生のところに歩み寄り、最高に謙虚に先生の足に触れる。]

イエス: 先生、感謝の気持ちでいっぱいです。

先生: 今日君は謙遜の心すべてで私の足に触れている。でも近い将来、私だけでなく世界全部が君の足に触れ、君を崇拝するだろう。

第十二場

[ヨルダン川のほとりに洗礼者ヨハネが独りでいる。]

ヨハネ: 私はこの世に向いていない。もうこの世の中にはうんざりだ。皆に何度告げても信じてもらえない。ただずっと、私の邪魔をして苦しめる。私は救世主メシアではない、エリヤでもない、預言者でもないと言っているのに、それならなぜ私が洗礼を行うのかと聞いてくる。だから、天の神から洗礼するよう命じられたのだと答える。私は水で洗礼するが、もうすぐある方がやってきて、精霊で洗礼するだろう、とも言っている。私とは比べ物にならないお方だ。私など、その方のサンダルの紐をほどくほどの価値もない。

[ヨハネの弟子が何人か入ってくる。]

弟子: 先生、おっしゃっていることが聞こえてきました。その人のサンダルの紐をほどく価値もないと言われていました。そんなに偉い人とは誰なのです? 先生より高みにいる人などありえない。

ヨハネ: 子どもたちよ、私より高みにいる方は存在しうるし、実際一人おられる。それはイエス様だ。私はただ砂漠で叫ぶ声だ。私はただ、主イエスの旅路がまっすぐな道になるようにしているのだ。

弟子たち: 先生、好きなようにお思いください。何でもおっしゃってください。それを信じるかどうかは私たち次第です。先生は誰にも劣りません。

ヨハネ: どうしようもない馬鹿者たちだ! おまえたちの馬鹿さ加減がいつもつらい。あっ、見なさい、見てみなさい! いよいよあの方がこちらにやってくる。神の子羊だ。神の子だ。ずっと話してきた、たった一人のそのお方だ。

[イエスが入ってくる。]

イエス: ヨハネ、君に洗礼してもらいたい。

ヨハネ: ああ、イエス様をどうして洗礼できるでしょうか。貴方が何者かを知っているのに。貴方は神の子です。神の最愛の息子です。

イエス: 神の決めた順番を乱さないようにしよう。すべてその順番に沿って行おう。私は君に洗礼してもらわねばならない。君は私が誰だかわかった。だから、ヨハネよ、君は神聖に素晴らしい人だ。私のために道を整えてくれている。だから君は最高にいい人だ。君の母親エリザベツも神聖に素晴らしく、最高にいい人だった。なぜなら私が誰だかわかり、私が生まれてもいない時に、計り知れないほど母を鼓舞してくれたからだ。

ヨハネ: おお、神の子よ、私のことも母のこともご自身の超越の偉大さと普遍の善良さを通して見ておられる。私が地球ですべきことはあと一つだけ。それは、私自身を貴方の足下に置くと同時に、私の弟子も全員、貴方の足下に置くことです。

[ヨハネがイエスの足に触れる。]

弟子たち (ショックを受けて): 先生はその人の足に触れても、私たちは触れません。先生の目には、その人がご自分より偉大だと映っているかもしれませんが、私たちは関わりをもちません。常に先生に忠誠を誓います。先生だけが私たちの師、唯一の師です。

ヨハネ: 馬鹿な者たちだ。最高の存在にだけ忠誠を誓うべきだ。最高の存在だけが師であるべきだ。もう一つ教えよう。私は皆を、自分より少しだけ優れた人のところへ導こうとしているのではない。この方の偉大さは神の偉大さそのものであり、その善良さは神の善良さそのものなのだ。皆全員を、そういうお方のところへ率い導いているのだ。はっきり言おう。この方を満足させることは、父なる神を満足させることだ。この方がおられるということは、父なる神がおられるということだ。この方は天国の最も美しい花であり、地球の最も滋養に満ちた果実なのだ。

イエス (ヨハネの弟子に微笑んで): ヨハネよ、君の名は「輝き満たし続ける主のビジョン」だ。ヨハネの子どもたちよ、皆の師への、空前の忠誠心に深く感動した。君たちの師は究極の現実のビジョンを見た。当然、超越の到着地までの旅路において、皆をいざない、導き、完璧にしてくれるだろう。我が心は、君たちが自分の偉大な師を愛していることに非常に感心している。我が魂は、真実を断固として愛する君たちの師を、心から称賛する。

第十三場

[イエスとマリアが家にいる。]

イエス: 母上、お許し下さい。

マリア: 息子よ、何も悪いことはしていないでしょう。なぜ許しを請う必要があるの?

イエス: 母上、昨日結婚式で、母上に必要以上に失礼な振る舞いをしました。葡萄酒が足りなくなり、母上にどうにかするよう頼まれたのに、私は本当に冷淡でした。「婦人よ、あなたにも私にもそれは大事なことですか? 私の時はまだ来ていない。」と言ったのです。

マリア: でも結局は私の言うことを聞いてくれたでしょう。だからあなたに不満なわけがない。息子よ、あなたは水を葡萄酒に変えた。なんて奇跡でしょう! イエス、あなたの起こした最初の奇跡ね。これからきっともっとたくさんの奇跡を起こすでしょう。でもこれだけは言える。もしあなたが外的世界で五十の奇跡を起こすなら、内的世界では五万の奇跡を起こすことは間違いないわ。あなたが内的世界で行うことはすべて、天で神聖な父なる神、この世で私の素朴な魂が知ることになるの。イエス、昨日結婚式で、私は使用人にあなたの言うことを聞くように言いました。今日は全世界に、あなたの言うことを聞くようにいいます。そして絶対にそうなることでしょう。

イエス: 母上、私を買いかぶりすぎです。

マリア: 息子よ、あなたの超自然的高みは、私の経験の領域を遥かに越えたものだし、私の想像も遥か越えたところにあるわ。

イエス: 我が母よ、わかっています。母上はただ私の神性が表に出てきてほしいのですね。私は太陽、母上は月です。私は昇っていく。だから母上は、朗らかに無条件に自分を隠していく。これからは、後ろに下がっていると決められたのですね。それが私への愛であり、私との一体感なのですね。母よ、私はいつの日か偉大になるかもしれません。でも母上は善良です。私にとって、偉大なんて善良に比べたら何でもないことです。

第十四場

[イエスとイエスの弟子たち]

イエス: ラザロ、親愛なる友ラザロよ、もう君は亡き者になってしまった。ああ、ラザロの魂よ、君に心から限りない感謝を捧げる。なぜなら、私が神の栄光を顕わすのを助けるのは君なのだから。マルタ、マリア、愛する者たちよ、亡くなった君たちの兄弟を蘇らせに、今からそちらへ向かう。子どもたちよ、ユダヤに行こう。

弟子たち: ユダヤですって! 何のためです? ついこの前、あの人たちに石を投げつけられるところだったのをお忘れですか?

イエス: 心配するな。私は自分が何者だかわかっている。今度はあの者たちに私の光が見えることだろう。愛しい友ラザロは四日前に亡くなった。父なる神は私にラザロのところへ行き、彼を生き返らせてほしいと思われている。

弟子たち: でももう埋葬されています。今さら何ができるのです?

イエス: 私には何もできない。これまでも何もしていない。これからも何もできない。しかし父なる神が以前も、今も、これからもすべてをされるのだ。私の中で、私を通して。

弟子たち: 主よ、主に栄光を捧げます。そして主は父なる神に栄光を捧げられます。主は父なる神と共にいてください。私たちは我らが聖なる父である主と一緒におります。

イエス: おまえたちの中には、まだ私のことを信じていない者が何人かいる。私がラザロを生き返らせたら、その者たちはもっと信じるようになるだろう。ラザロには感謝している。信じていない者たちにも感謝している。この世に主の神聖な栄光を顕わす手伝いをしてくれているのだから。さあ、おいで。ぐずぐずせずに。後に残されて傷ついている家族へ、喜びを運びに行こう。

第十五場

[イエスが山にいる。うっとりとトランス状態にいる。父なる神が入ってくる。イエスの顔が輝く。]

父なる神: 息子よ、おまえが弟子に特別な助言ができるよう、一連の金言を与えたい。弟子から意味を聞かれるかもしれないので、意味も一緒に教えよう。

まず一つ目は「心の貧しい人たちは幸いである。天の御国は彼らのものだ。」

イエス: 父上、なんて素晴らしい助言でしょう!

父なる神: この意味は、内的精神生活に献身して尽くし、プライドとは無縁の幸いな人たちのために、歓喜の御国があるということだ。

イエス: わかりました。父上、ありがとうございます。次は何でしょう?

父なる神: 「嘆いている人たちは幸いである。彼らは慰められるだろう。」

イエス: 父上、素晴らしいです。

父なる神: 息子よ、この意味は、真実の探求者(シーカー)の本当の精神生活(スピリチュアルライフ)は、真に喪失の感覚を覚えた時に始まるということだ。喪失したのは、その人の内的財産である平和、喜び、愛、そして至福だ。この喪失感がその人の中に内的な叫びを造る。それが外的には嘆きと捉えられることもある。このような真実の探求者は、平和、喜び、愛、至福を取り戻したくて泣き叫んでおり、当然それらを再び与えられるだろう。

イエス: わかりました。父上、ありがとうございます。次は何でしょう?

父なる神: 「柔和な人たちは幸いである。彼らはこの地を受け継ぐだろう。」

イエス: 父上、素晴らしいです。

父なる神: 息子よ、この意味は、もしある人がひどい優越感を持っていたら、他人に対して威張る。でも同じ人が、神の私なしでは弱くて無力だと感じるなら、深い謙遜の心が出てくる。この謙遜の心でこの世の人すべてとひとつになれる。この普遍の一体感が、神聖に最高にこの世を自らのものとする強さとなるのだ。

イエス: わかりました。父上、ありがとうございます。次は何でしょう?

父なる神: 「心の清らかな人たちは幸いである。彼らは神を見るだろう。」

イエス: 父上、素晴らしいです。

父なる神: 息子よ、この意味は、神性を受け取り、神性に到達する能力を持つのは唯一清らかさだけ、ということだ。清らかな心、それは我が神聖な現実が、無類に体現されたものだ。

イエス: わかりました。父上、本当にありがとうございます。次は何でしょう?

父なる神: 「平和を作り出す人たちは幸いである。彼らは神の子と呼ばれるだろう。」

イエス: 父上、素晴らしいです。

父なる神: 息子よ、この意味は、私の聖なる子どもたちは光を熱望し、光で溢れている、ということだ。光は体現される過程で平和となり、すべてに滋養を与え、すべてを満たすのだ。

イエス: わかりました。父上、ありがとうございます。次は何でしょう?

父なる神: 「誰かがあなたの右の頬を打つなら、もう一方の頬も向けてやりなさい。」

イエス: 父上、素晴らしいです。

父なる神: 息子よ、この意味は、私にとっても、すべての人間にとっても、「許しの心」が圧倒的に一番良い資質ということだ。もし無知に一度叩かれて、無知を許したとしても、もう叩かれないという保証はない。しかし無知に向かって、「もう一度叩きたいなら、『許しの心』という武器で応じる準備は万端だ。」と伝えたら、無知は気づくだろう。自分の武器よりこちらの武器の方が限りなく強力だ、ということに。こちらの武器は光を持ち、その光を広げる。でも無知の武器は暗闇で、混乱ばかりだ。常に、まったくの混乱状態にいたら、「光」という敵と戦えるわけがない。光はすべてを愛しすべてを満たすのだから。

イエス: ありがとうございます、父上、ありがとうございます。次は何でしょう?

父なる神: 「あなたは施しをする場合、右の手でしていることを左の手に知らせるな。」

イエス: 父上、素晴らしいです。

父なる神: 息子よ、この意味は、人というのは誰かに何かを与えているのを他の人が見ていたら、大変満足した気持ちになる、ということだ。公にすることで得られる満足というのは、すぐに不必要なプライドを造り出す。プライドとは何か。瞬く間に完全に自分を破壊することだ。

イエス: わかりました。ありがとうございます、父上、ありがとうございます。次は何でしょう?

父なる神: 今日はこのくらいにしておこう。息子よ、私は少々疲れた。別の日にまた、もっと助言を与えよう。

第十六場

[イエスと弟子たちが一緒にいる。]

イエス: 私はユダヤ人なのに、ユダヤ人から受け入れられない。ひどく嫌われている。皆を救いにやってきたのに。これが私の運命だ。でもわかっている。いつの日か、全世界が私を受け入れ、愛し、敬愛するだろうということを。私は人類のごく一部のために存在するのではない。人類全体のためにあるのだ。しかし私を受け入れ、自分自身のものとする者たちは、間違いなく私にとって最愛の者たちだ。この命ももう長くない。私には弟子が十二人いる。その中で、ユダが裏切るだろう。ユダによって敵の手に落ちる。そして十字架に掛けられるのだ。

[弟子は全員ショックを受ける。]

弟子たち: ユダ! ユダ! ユダが主を裏切る!

ユダ: ありえません、ありえません! (イエスの足に触れて) 主よ、主の知らないところで、許しもなく、いや、少なくとも主の黙認なしに私にできることなど何もありません。 主よ、主のお言葉は本当になるとわかっています。でも主の宇宙の戯曲で、このとんでもない役割を演じるよう私を選ばれたのは主ご自身であるように思えるのですが。

イエス (微笑み、ユダを祝福する): ユダよ、その通りだ。そう、君は世界から嫌悪されるだろう。しかしすべてのことは運命づけられている、ということを世の中は知らない。ユダよ、だからその時が来たら、自分の役割をしっかりと演じなさい。

弟子たち: 主よ、私たちのその時はもう来ました。自分たちの役割をしっかり演じます。

[弟子が皆でユダを掴み、叩いたり蹴ったりする。]

イエス: やめなさい! やめなさい、やめないと皆の元を今すぐ去るぞ。ユダは正しいことをしている。ユダが裏切るのは運命づけられたことだ。今となっては、ユダに何ができるというのか? 私に何ができるというのか? 天の父なる神だけが、ユダにとって、私にとって、そして皆にとって何が一番良いのか知っているのだ。

弟子たち: 私たちにとって何が一番良いかはわかっています!

[弟子たちが再びユダを叩き始める。]

イエス: やめなさい、やめなさい! やめないと、もうこれっきりで皆の元を去るぞ!

ペテロ: 主よ、主は偉大な方です。神聖な方です。主にとっては、ユダのような汚い裏切り者の悪党を許すのは簡単でしょう。でも私たちは普通の人間です。どうして許すことができるでしょうか。

イエス: ペテロよ、私が君を許すように、許せばよい。ペテロ、君はいつの日か私のことを知らないと否定するだろう。一度でなく、二度でなく、三度もだ。たった一日のうちに三度も続けてだ!

ペテロ: 私が? ありえません! いつですか? なぜですか?

イエス: そうだ、ペテロよ、私を否定するのは、他の誰でもなく君だ。そんなことはありえないと言うが、いいか、これはありえるだけでなく、避けようのないことだ。すべて運命づけられているからだ。泣くな。涙にくれるな。ペテロよ、君のことが一番かわいかった。これからもずっとそうだ。そして時がきたら、私の「真実」という旗を掲げ、父なる神の光を人類が見ることができるよう、私の心の扉の鍵を開けるのは君だ。君は私を本当に深く愛している。だから、私の子羊、私の羊である他の弟子たちの面倒を見てほしい。

ペテロ: 主よ、わかりました。必ずそうします。主は愛の主です。慈悲の主です。許しの主です。

イエス: いや、いや。私はただの成就という息子だ。我が父なる神が愛の主であり、慈悲の主であり、許しの主なのだ。

フィリポ: 主よ、我々が主の父なる神を見ることは果たしてあるでしょうか?

イエス: もちろんだ。フィリポ、究極の真実を教えようか? 私を見た者は父なる神を見たということだ。なぜなら私と父なる神はひとつだからだ。

子どもたちよ、面白い話を聞かせよう:

> あるところに、同じ父親を持つ三人の息子がいた。末っ子、次男、長男だ。

> 末っ子は言った。「父上は天国にいる。」

> 次男は言った。「天の御国はあなたの心の中にある。」

> 長男は言った。「私と父上はひとつだ。」

> 父は末っ子にこう言った。「息子よ、洞察をありがとう。」

> 父は次男にこう言った。「息子よ、使命をありがとう。」

> 父は長男にこう言った。「息子よ、結合をありがとう。」

心優しい我が子たちよ、私は父上にこの世に来るよう言われた。私は従った。父上はその光を世界に示して欲しいと願われた。私は従った。父上の要求されたことすべてを私は満たした。父上は私の献身的な明け渡しの人生を通し、ご自分の夢を果たされた。そして今、私に戻ってきて欲しいと願われている。だから準備ができた。子どもたちよ、父上が私に君たちを与えてくれた。今、この世の旅路の最後に、君たち全員を父上に返す。私は何者でもない。父上がすべての存在だ。父上はすべてのためにある。父上がすべてだ。すべてのためにある。

ユダよ、ここへ来なさい。

(ユダが歩み寄り、イエスの足下に座る。)

イエス: Nimitta matram bhava. ただの道具となりなさい。

[ユダが歌う。]

```

今日、今日のこの日に

たった独りで神と共にいるー

明日、そして永遠に

神の慈悲の光一筋と共に、い続ける

```

イエス: ペテロ、ここへ来なさい。

(ペテロが歩み寄り、イエスの足下に座る。)

JESUS: Nimitta matram bhava. ただの道具となりなさい。

[ペテロが歌う。]

```

私のような蟻を救いに

この土と埃の世界に来てくださった

私のような物乞いを愛し

主の宇宙の戯曲で、崇高な役割をくださるために

``` イエス: 子どもたちよ、主の道具となれ。私たちは皆、主の道具だ。主を具現化するためにこの世にやってきた。主を顕わすためにこの世にやってきた。主を満たすためにこの世にやってきたのだ。

第十七場

[夜。イエスが一人で小さな庭にいる。]

イエス: そう、私はこれまでたくさんの様々な奇跡を起こしてきた。嵐を静めた。病も治した。盲目の者に光を与えた。死んだ者を蘇らせることさえした。しかし私にとって奇跡とは、せいぜい二の次でしかないなんて、決して世間は信じないだろう。私がこの世にやって来たのは、天国の父である我が主を顕わすため。私をただ信じる者は、私の起こした奇跡のためだけに信じる者たちより限りなく素晴らしい。ただ一方、皆に信じる心がなかったため、ナザレでは奇跡を起こしたくなかった。起こしても何も目的を果たさなかっただろう。私にとって、奇跡の一つ一つは神力の光が体現されたものだ。そしてそれは正しく受け入れられなければ、ただ好奇心の餌食となるだけだ。人の意識を高める助けにはまったくならない。だから神智の高みで、神力の光を調整する必要が絶対にある。しかし信じない者、無信仰者、まったくの無神論者の目にさらされ、私に奇跡を起こす力があると誰が信じるだろうか? ああ、私を理解する者は誰もいない。主を主の神聖なやり方で満たすために私の元へ来る者は誰もいない。

[イエスが歌う。]

```

誰も私の元へ来なかった

誰も来なかったし誰も来ることはない

ただ我が至高で最愛の存在、主だけが来られた

私は主の微笑みを求めて叫び

主は私の無私の愛を求めて叫んだ

私の中で止むことなく

主はビジョンの木を育てる ```

第十八場

[イエスとマリア]

イエス: 母上、歌を歌って下さい。私にも母上のような歌声があったらどんなにいいか。

マリア: 息子よ、私にもあなたのような光り輝く心があったらどんなにいいか。

イエス: 母上、歌って下さい。

[マリアが歌う。]

```

私の命は責務の誇りで始まった

私の命は美の光と共に生きる

私の命は現実の魂と戯れる

私の命は神性の高みと終わる

```

イエス: 母上の心震わす歌声を、天国で懐かしく思うことでしょう。あと数日で私は十字架に張りつけになります。

マリア: 何ですって! 信じられない! そんなことは許しません。最愛の息子よ、自分を救うためにあなたの持つ神力は使わないのですか? どうか使ってちょうだい。そうしたら、母は本当に嬉しく、誇らしく、ありがたく思います。

イエス: 母上、母上に満足して欲しくて、結婚式で最初の奇跡を起こしました。水を葡萄酒に変えました。そしてこの旅路の最後に、また母上に満足して欲しいので、もう一つ奇跡を起こしましょう。奇跡の中の奇跡です。天の父なる神が私に戻って来てほしいと願っているので、戻らなければなりません。でも死んだ三日後に再び現れて皆に会いに来ます。この奇跡は主の創造物の歴史の中でも他に類を見ないものです。

我が心の母よ、このように母上には別のやり方で満足していただきます。この体はなくなるけれど、私が不滅で永遠だということを世界に証明します。体は朽ちていくけれど、魂は不滅です。この体の役割は終わりました。もう地球に留めておく必要はないでしょう? 母上、もうすぐ天国でまた会えますよ。

マリア: 会えるの? 息子よ、一緒にいけたらどんなにいいか。

イエス: 母上の時はまだ来ていないのです。でももうすぐですよ。

[マリア・マグダレナがしくしく泣きながら入ってくる。]

マグダレナ: 主よ、夕べ恐ろしい夢を見ました。主が十字架に張りつけにされるのです。十字架から、何か飲むものを頼まれると、葡萄酒が運ばれました。主は葡萄酒を飲まれ、頭を垂れると、「すべてが終わった」と言われました。本当にリアルな夢で、私の内的存在が容赦なく苦しめられています。心が完全に壊れてしまいました。主よ、お願いです。この夢は全部幻覚だった、真実はこれっぽっちもない、とおっしゃってください。

イエス: 他にも何か見たかい?

マグダレナ: はい、見ました。信じられないものを見ました。主の死後、三日経ってから、主が私の前に現れるのです。はっきりと主が見えました。それを言いにペテロや他の弟子のところへ急いで行きました。すると、一人を除いて皆が信じました。

イエス: 誰だった? 誰が信じなかった?

マグダレナ: あの可哀想なトマスです。

[トマスが入ってくる。]

トマス: マグダレナ、主と話しているのが聞こえてしまったよ。私も同じような夢を見た。その夢では他にも見たことがある。主が、限りない恵み深さで、私が間違いなく信じることができるようにしてくれ、こう言われたのだ。

「私が見えるから信じるのだな。私を見ないのに信じる人たちは幸いである。」

[トマスが歌う。]

```

疑いで私の頭は始まった

恐れで私の心は始まった

土で私の人生は始まった

すべてこの最も短い寿命の中で

```

イエス: 素晴らしい、素晴らしい。君がそんなに甘く優しい声だったとは全然知らなかった。トマス、君の夢にはずいぶん現実が含まれている。マグダレナ、君の夢はもうすぐ現実となるだろう。マグダレナ、一曲歌っておくれ。長い間私のために歌ってくれていない。

[マグダレナが歌う。]

```

かつて、ただつまずき続けたことがあった

でも今は、ただ彼方まで登り続けるだけ

到着地の終わりなき彼方を遥か越えたところまで

それでも我が指揮官は命じる

「進め、進め!」と

```

イエス: マグダレナ、君にはとても満足している。父なる神が必要なのは純粋な心。君にはそれがたっぷりある。純粋な心は無類の宝だ。何ヶ月か前に私が「心の清らかな人たちは幸いである。彼らは神を見るだろう。」と言ったのを聞いていたね。君には私の中の神が見えるだろう。

マグダレナ: 主よ、もう私には主の中の神が見えています。それだけでなく、主を神としか見ていません。主は天の父なる神に他なりません。主がすべてをされているのに、すべて父なる神のおかげにされています。それほど主の心は寛大なのです。

イエス: 親愛なるマグダレナ、それは違う。我が天の父が唯一の行為者だ。私は父上の、ただの道具にすぎない。

```

Nimitta matram

nimitta matram

nimitta matram

nimitta matram

```

```

(私はただの道具にすぎない。) ```

第十九場

[天国。クリシュナが神聖なフルートを奏でている。]

クリシュナ: ああ、イエスが私の一番好きな歌を地球で歌っている。なんて魂をこめて、私の歌の富を人類に捧げていることか。いや、まったく正直なところを言うと、あの歌は私の歌じゃない。私が作ったのではない。我らが至高の父スープリームが作られたのだ。父上に教えてもらい、それを地球で歌ったのだ。父上はイエスにも同じ歌を教えて、今イエスは本当に魂をこめ豊かに歌っている。

ああ、今日は我らがイエスが帰ってくる日だ。特に地球での最後の三年間、なんてたくさんの仕事をしたことか。ここ天国で少し休む必要がある。休んで当然だ。 (大声で) ラーマ、仏陀、どこにいるんだい? ここへ来ておくれ。(ラーマと仏陀が入ってくる。) 我らが兄弟イエスが今日帰ってくるぞ。今朝父上から聞いたんだ。

ラーマと仏陀: 父上はいつも何でもクリシュナに最初に話すなあ。君は父上の最愛の息子だよ。

クリシュナ: まさか。僕ら全員が父上の最愛の息子だよ。可哀想に、父上はどうしたらいいんだ? ラーマ、君は夕べ、魔王と無知の力に対して、勇敢に戦いを挑んでいただろう。だから朝には死ぬほど疲れていた。当然夜が明けてもずっと寝ている必要があった。ぐっすり寝ているところを、父上は邪魔したくなかったのさ。

仏陀、君は朝ずいぶん早く起きて、瞑想を始めただろう。一番深いトランスへと入っていった。父上は君のいつものトランス状態を見て、やっぱり邪魔したくなかったんだよ。そして私は朝何をしていたかって? フルートを奏でながら思い出していたんだ。我が聖なるラーダとゴーピたちが、心底献身的に完全な明け渡しで私を信奉した、地球での我がブリンダヴァン・リーラーを。そんなわけで私は眠っても瞑想してもいなかったので、父上は私のところへ来てイエスが今日到着すると教えてくれたのさ。

ラーマと仏陀: クリシュナは、自分に献身する者たち全員に優しく気遣う。兄弟の僕らにとっては、賢く叡智でいっぱいだ。だから世界、特にインドでこんなに愛されているのだな。

クリシュナ: 兄弟ラーマよ、兄弟仏陀よ、時間を無駄にするのはよそう。兄弟イエスがもうすぐ到着する。イエスの張りつけには、心を粉々にされたよ。

仏陀: この前父上からそのことを聞いた時はただただ震え上がった。

ラーマ: 父上からイエスの張りつけについて聞いたとき、ただ無念だった。イエスは地球のために本当にたくさんのことをしたのに、お返しに地球からもらったのは張りつけだったなんて。地球は私たちを受け入れる準備ができていないんだよ。

仏陀: 地球に準備ができるときは決して来ないのではないかな。

クリシュナ: さあ、お願いだから、父上のためにも、イエスを受け入れる準備をしようじゃないか。本当に美しい玉座をイエスのために作ろう。

[三人は黄金の玉座を作る。イエスが昇ってきて現れる。三人は本当に熱烈に彼を迎え入れ、玉座に座らせる。父なる神が入ってくる。]

父なる神 (イエスを祝福し、抱擁しながら): イエス、私のイエス。

```

おまえの苦しむ顔を見て

ただ泣いた

おまえの許す心を感じて

ただ微笑んだ

おまえの明るく照らす魂をしっかりと掴み

ただ舞踊った ```

初版編者はしがき

神の子イエス。西洋意識の神の権化。人の不死を顕すため、イエスは死を逃れぬ身体を受け入れた。聖なる意識を満たすため、イエスは人の意識を受け入れた。永遠の喜びを世に捧げるため、イエスは身体の痛みを受け入れた。許しの意味を世に教えるため、イエスは裏切りを受け入れた。

無垢な子イエスは世の暗闇をその頭に取り込み、光となった。愛の息子イエスは世の苦しみをその心に取り込み、慈悲となった。全知の父イエスは世の罪をその体に取り込み、救済となった。それからイエスは人としての自分〜苦悩する頭、裏切られた心、壊れた身体〜を神の足元に置いた。そして神としての自分〜輝く光、流れる慈悲、世界の救済〜を人の足元に置いた。

イエスは十字架、つまり神の現れであり人の光明だった。イエスは張りつけ、つまり神の自己充足であり人の自己発見であった。イエスは昇天、つまり神の慈悲の愛であり、人の完成の夜明けだった。

この戯曲では、至高の神と分かち難く一体となった魂の師(スピリチュアル・マスター)が、インド最高の精神的洞察の視点からベツレヘムの光を現している。イエスの人生の意味と重要性に、深遠な美と洞察でシュリ・チンモイは独特の解釈を提示している。

From:Sri Chinmoy,神の子 イエス・キリスト, Sky Publishers, New York, 1973
https://ja.srichinmoylibrary.com/son より転用