私たちの飛行機はチューリッヒに11時半に到着し、12時にはザトペックの飛行機が着くはずだった。カイラーシュとアバリタと私は、写真担当を2人連れてもう一つの出口へと出向き、待った。ザトペックの飛行機は定刻通りに到着したのだが、荷物に問題が起きた。彼はブリーフケースといってもいい位の小さなカバンを持っていて、これが奥さんと2人分の荷物だった。しかしこのカバンを機内に持ち込みさせてもらえず、預け入れ荷物にしなければならなかった。後から言っていたが、アメリカでは大きい荷物、巨大な箱でも何でも持ち込むことができる。それなのにあんなに小さなカバンを持ち込みさせてもらえないというのは馬鹿げている、と。
皆でガラス越しに見ていると、ザトペックはターンテーブルでカバンが出てくるのを待っていた。他の人の荷物は出てきたのに彼のカバンは出てこない。この点で、彼は私の親友と言える。他の人の荷物は全部出てきたのに私のは出てこない、ということが何度あったことか。今回ニューヨークへ帰ってくるのにも、到着は昨日だったのに、荷物は今日になってやっと届いた。こんな私の境遇は笑える話とも、辛い話ともとれる。
ザトペックの姿が見えたので皆興奮したが、カバンをまだ探していたので外に出てきて会う事はできなかった。待っている途中10人以上の中年から年配の女性たちに
「ここにザトペックがいるんですか?」 と聞かれたので、彼を指差し、「そうです、あそこですよ。」と答えた。
その女性たちは自分の荷物はもう受け取ったのに、なんと、今度は彼に会いたかった。30分かそれ以上外で彼のことを待っていた。ただザトペックに会いたくて会いたくて仕方ない様子だった。もしかしたら実物を見る機会がこれまでなかったのかもしれない。ザトペックの若き日、チャンピオンだった頃にその名を耳にしていて、今回会いたいと思ったのだろう。ようやく外に出てきてたので、私は近づいていった。向こうも私のことに気づいたので、握手をしようと思ったが、ザトペックはすぐに両手を合わせインド式に「ナマスカール」 と挨拶してくれた。そしてヒンディー語の言葉をいくつか使ってヒンディー語で話しかけてきた。熱いお茶を飲みませんかと言った後で、
「ヒンディー語は簡単なのに、どうしてウルドゥー語は習得できなかったんでしょう?」 と言っていた。
奥さんと二人、インドで4ヶ月過ごしたのだ。それからいろいろなことをあれこれ話した。 フランスの弟子が1人、私のビデオカメラを使って撮影していたのだが、何にも写っていなかった。なんてことだ! しかし幸いなことに、マルコが非常に良い写真を30枚か40枚撮ってくれた。それからザトペックと奥さんは一休みしにホテルへと向かった。From:Sri Chinmoy,挨拶(1〜4), Agni Press, 1981
https://ja.srichinmoylibrary.com/slt_1 より転用