シュリ・チンモイ ラウフ

 次の日は我々メインのレース、シュリ・チンモイ ランだった。弟子たちが実にきれいなコースを見つけてくれた。湖を回るコースで、小さなループが2つか3つ、大きなループが1つある。ザトペックはレースをスタートすることになっていた。本当に熱意に溢れ、まるで自分自身が走るかのようだった。

「ピストルはどこです?」「ピストルはないの? ピストルはないの?」と叫んでいた。

「ピストルは使わないのです。」と言うと、

「ピストルはいらないでしょう。」と奥さんに言われ、

「わかった、では手を叩こう。」となった。

 レースのスタートは小さな橋の上だった。橋上には200人強の参加者が集まり、「シュリ・チンモイ ラウフ」と書かれた大きな横断幕の下に立っていた。ラウフとは(ドイツ語で)レースの事だ。ザトペックが一方の側に立ち、ドイツ語で何か言って最後に手を叩いてスタートを告げた。彼が手を叩くと皆も手を叩きレースがスタートした。

 ロンドンの弟子は年配の女性たちも含めて、全員が走っていた。とても速いランナーの弟子たちもまた走っていた。弟子の中では、シュンダーが1番にゴールし、次がジャナカだった。しかしそれより地元のスイス男子の方が早かった。私は体調が良くなかったので、一番最後、皆の後ろから走っていた。小さなループを走っていたそんな私を見つけると、ザトペックは本当に興奮して、一生懸命手を叩いていた。奥さんも立ち上がり手を叩き続けてくれた。私は皆の後ろ、一番最後で走っていたにもかかわらずだ。

 後方の女子ランナーの中には、ループに沿って係員が誘導している場所で、何度も近道を取っている者たちがいた。その子たちには後で、ズルしていたね、と言ってやった。立っている係員の周りを走ることになっていたのに、横切って走ったのだ。それで4度も、50〜70メートルは節約していた。本当に嫌気がさした。ループの一つでは、少なくとも200メートル省略していた。近道をしたのだ。どういうつもりなのか? 後方ランナーだから、誰も気づかないだろうと思ったのだ。

 レースが終了すると、ザトペックが賞を授与してくれたのだが、本当に恥ずかしかったのは、1、2、3位のトロフィーが同じサイズで、同じ形だった。ただトロフィーに1位、2位、3位と書いてあっただけだ。どうしてこんなことになったのかと思った。

 フィリップが勝者の名前を読み上げ、ザトペックにトロフィーを渡すと、ザトペックがその勝者にトロフィーを渡した。トロフィーを受け取りに来た一人一人に、ザトペックは励ましの言葉をかけていた。実に実に優しかった。ハチミツなど、健康に良い食べ物の副賞もあった。勝者のために健康食品が用意されているのを見て、ザトペックは実に嬉しそうだった。トロフィーを手渡した後、食べ物の方を指差して本当に嬉しそうに、

「どうぞお好きなのを選んでください。」と言っていた。

 私がザトペックと奥さん両方に感謝すると、ザトペックもスピーチをし、私たちに謝辞を述べた。それからこちらへ歩み寄ってきて私の手をつかみ、

「我らがグル、最高です。」とコメントした。レースや雰囲気、全てに満足したので、「我らがグル、最高です。」と言ったのだ。

 チューリッヒ市長はカナダ出身なのだが、補佐をよこして私を賛辞してくれた。宣言書を持参し、7 、8分ほどスピーチし、非常にいいことを言ってくれた。突然、彼の奥方が現れ、とても大きな花束を渡された。奥さんは旦那さんよりかなり背が高い方で、私の方を見て微笑んでいた。

「妻がこの花束を差し上げたいと申しまして。」 それでその花束を受け取り、奥さんに感謝した。

From:Sri Chinmoy,挨拶(1〜4), Agni Press, 1981
https://ja.srichinmoylibrary.com/slt_1 より転用