スピリチュアルライフでは、魂の師(スピリチュアル・マスター)の前で自分の受容力の度合いに応じて受け取ります。あなたは初心者ですが、それで何かが受け取れないということはありません。かつて誰もが初心者でした。どのような学校でも、初心者と上級者が隣同士で学ぶことはありません。なぜなら勉強することが違うからです。しかしスピリチュアルライフでは、自分たちの前を行く人たちと内的一体感を感じないといけません。自分がどれだけ遠くまで、どれだけ深く行きたいのかも感じる必要があります。
私の弟子は特別な瞑想は要りません。なぜなら私が教え子たちの瞑想の責任を負っているからです。やり方を簡略化したのです。私が最高の超越の意識にいる写真があります。シーカーは常に自分が一番インスピレーションを受け取れるものに瞑想すべきです。教え子達は私の弟子なので、この写真に瞑想することでとてつもないインスピレーションを感じます。この写真を愛と喜びと献身で見る時、どんな初心者であろうと、以前どんな道を歩んだ人であろうと、シーカーであるが故に私の内的意識がその人に対して扉を開けます。この道では、誰であろうと献身的に毎日数分間集中し、私の第三の目に入ってくれば、その人の瞑想の責任は私が負います。家での瞑想中、シーカーが私と波長を合わせると、その人がこの時間に瞑想した、などと伝える内なる声がたちまち聞こえてくると感じます。
あなたは初心者ですが、がっかりする必要はありません。あなたの誠実な叫びが熱望の海を泳がせてくれます。私の弟子にとって一番簡単な瞑想法は、私の写真に集中することです。あなたも2、3日試してみたら良いでしょう。私を信頼しているかが一番重要な点なのですが、もし信頼しているなら、あなたの心の熱望の人生が直ちに始まることを保証します。あなた自身の誠実さで、究極の悟りへの内的探求が簡単に加速します。今のところあなたは初心者ですが、次の瞬間には初心者でいる必要はありません。初心者は一滴です。一滴が意識的に自分自身を海に投げ入れる時、その初心者はたちまち上級の熟達したシーカー、つまり熟練者になります。From:Sri Chinmoy,瞑想:神が話し、私が聞く, part 1, Vishma Press, 1974
https://ja.srichinmoylibrary.com/mgs_1 より転用