質問: 瞑想中に突発的に起こる小さな経験は悟りの一部なのですか。それとも悟りへの小さな一歩なのですか。
シュリ・チンモイ: ある意味経験の一つ一つが悟りへ連れて行ってくれるものです。一つ一つの経験が悟りへの一歩なのです。しかしまた、ゆっくり歩くのではなく、非常に速く走る力があるのなら、神を悟る前に何千も何百万もの経験をする必要はありません。確かに一つ一つの経験が助けになります。自信と喜びをもらえます。今日はマンゴー、明日はオレンジ、明後日はまた別の果物を食べたいと言う人もいるかもしれません。「ゴール」と言う名の果実を得る前に、いろいろな果物の味見を少しずつするのです。しかし完全に満足するのは、ゴールの果物を食べた時のみです。ただ、もしその人が完全に誠実で、悟り以外何もいらないのなら「他の果物は何もいらない。私の運命の果実、ゴールである果実、完全に満足できる果実しか欲しくない。」と言うことでしょう。
From:Sri Chinmoy,瞑想:神が話し、私が聞く part 2, Sri Chinmoy Lighthouse, 1974
https://ja.srichinmoylibrary.com/mgs_2 より転用