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照らされたマインドが必要神の命全体を学ぶには。
献身的なハートが必要神の不滅の愛を感じるには。
明け渡した魂が必要神の無限の喜びを悟るには。
```でしたが、キーワードはどれでしょう。まず「照らされたマインド」です。 複雑なマインド、知的なマインド、疑うマインド、苛立ったマインドは毎日目にします。しかし私が使ったのは「照らされたマインド」です。照らされたマインドとは何でしょう。光で溢れているマインドのことです。神聖な光で溢れるとたちまちマインドは輝きます。光がない、あるいは非常に少ない光しかない場合、それは単に複雑で、知的で、疑い、苛立った破壊的なマインドです。
次の大事なフレーズは「神の命全体を学ぶには」です。人の人生は60年、70年、または80年という短い期間です。しかし「神の命全体」は永遠を表し、永遠には始まりも終わりもありません。始まりのないもの、終わりのないものを想うには、照らされたマインドが必要です。普通のマインドではこのような考えは到底理解できないからです。普通のマインドはたった二つのことを同時に考えることもできないし、ましてや二つのことに同時に集中することなどできません。しかし照らされたマインドなら、一度に20のことを考えることも可能です。
この表現から、考えるべきことは「神の命全体」、そして目指していくべきものは「照らされたマインド」だと教えられます。このような考えと高みへの熱望に、自分の中に入ってきてもらいましょう。そしてそれ自身の世界を作ってもらいましょう。そうすれば何か崇高なものに瞑想しているとわかります。このアフォリズム、つまり魂がこもった、鼓舞されるものを読むことで、考えるに値することは何か、そしてそれをどのように考えたらいいのかというヒントを受け取りました。
「献身的なハートが必要 / 神の不滅の愛を感じるには。」人間の愛が長続きしない事は分かっています。それはほんの一瞬の経験です。しかし不滅の愛、神の不滅の愛は永遠に続き、いつでもあなたと人類の両方を満たします。どの人も良い、純粋なハートを持っています。マインドとバイタルは悪者で、ハートの輝きを奪うかもしれません。しかし、ハートはいつでも良い存在です。バイタルをハートと間違えて、あの人は悪い心の持ち主だ、と言うことが非常によくあります。しかしこれは正しくありません。すべての人が素晴らしいハートを持っていますが、ハートは母親のそれのように献身的な資質があるときのみ、きちんと機能します。人間のハートは純粋で誠実かもしれませんが、献身的なハートを持って初めて、神に尽くし神を悟り神を満たそうとします。ハートを活用しスピリチュアルライフに献身・専心しようとしない人たちはたくさんいます。このような人たちにとって本当の成長は不可能です。献身的でないハートは、常にあちらからこちらへと焦点が移ります。献身し専心しているハートだけが神の不滅の愛を感じることができます。
「明け渡した魂が必要 / 神の無限の喜びを悟るには。」すべての人に魂がありますが、残念なことに明け渡しというのは未だ起こっていません。ほんの一瞬誰かに明け渡すことがあるかもしれません。例えば妻が夫に明け渡すかもしれないし、夫が妻に明け渡すかもしれません。しかし「明け渡した魂」とは、永遠、それでなければ一生涯ずっと、完全に常に明け渡している魂のことです。神は神聖な資質を全て持っているし、神聖な資質すべてそのものですが、その最も重要な資質は「喜び」あるいは「歓喜」です。神の無限の喜びが見たいなら、徹底して、完全に、無条件に明け渡す必要があります。「明け渡した魂」に成っていかなければならないのです。無条件の明け渡しとは、奴隷が主人に降伏することではありません。意識して自らの意思で明るく明け渡すことです。熱望する者は神の意思に明け渡します。なぜなら神の意思に明け渡すことで神そのものと一つになっていくと感じるからです。意識した無条件の明け渡しを、神はこの世の一人一人に求めています。シーカー(真実の探求者)が自分自身を完全に神の意思に明け渡すことができたら、神の無限の喜びを感じることでしょう。
このアフォリズムを私なりに説明してきましたが、あなた自身の方法で解釈することも可能です。 魂のこもった精神的文章をいくつか読んだ後、または私の本の精神的アフォリズムにあるその日の瞑想を読んだ後、それに瞑想して、神聖な考えや思いにマインドの中に入ってきてもらいましょう。キーワードや考えを選んでください。例えば「光明」「神の命」「献身的なハート」「不滅の愛」「明け渡した魂」「無限の喜び」などです。そしてハートを広げその考えに入ってきてもらってください。このような神聖な考えに本当に集中すれば、神聖でない愚かな考えに邪魔される事はあり得ません。なぜならマインドは光明の世界にいるからです。誠実に「光明」を思うなら、光明しかあなたの中には入って来られません。献身的ハートを思えば、ただ献身しかあなたのマインドと意識の中には入って来れません。明け渡した魂を思えば、明け渡した意識があなたの中に入ってきます。
初心者は以上のようにして瞑想を行うことが可能です。あなたが初心者ならば、少なくともスタートを切ったわけですから、今の能力についてあまり心配しないでください。どのレベルにいようと、始めてください。これが初めて瞑想に入っていくやり方です。瞑想中に考えがなく、思いもなく、マインドもないという時が段々とやってきます。その時は、神聖な考えも神聖でない考えもあなたの中に入って来ません。ただ現実、永遠の現実だけがあなたの中で育っていきます。From:Sri Chinmoy,瞑想:神が話し、私が聞く part 2, Sri Chinmoy Lighthouse, 1974
https://ja.srichinmoylibrary.com/mgs_2 より転用