質問: では、形なきものに入っていくのにAum(オーム)を使えますか?
シュリ・チンモイ: できますし、また、そうしなければなりません。音楽では有限そしてまた無限も感じることができると知っていますね。音楽は有限の形をとっていますが、その形を使い音楽へ入って行きます。有限を通して入っていくと、音楽が無限へ連れていってくれると感じます。しかし始まりは有限です。同じようにスピリチュアルライフでも、神の名から始めれば大きな助けになります。何年かしたらもう神の名を唱える必要はなくなり、意識それ自体へ入っていきます。最も深い瞑想にいる時は、スープリームも神も、誰の名も口にしません。その時はただ神との一体感の中に存在するのです。
最も深い瞑想の中に、神は我々のアスピレーション(高みへの熱望)を見出すので、その時神に平和も光も何も求める必要はありません。神の名を口にする必要は無いのです。なぜなら、私たちが何を求めて泣き叫んでいるか神は知っているからです。母親は子供が何を求めて泣いているのか知っています。同じように最も深い瞑想にいれば、我らが母であり父である神は、私たちが何を必要としているか分かっています。
From:Sri Chinmoy,瞑想:神が話し、私が聞く part 2, Sri Chinmoy Lighthouse, 1974
https://ja.srichinmoylibrary.com/mgs_2 より転用