質問: 瞑想を始めるのに自力で自分を律するのですか。それとも喜びを持って始めれば良いのですか。
シュリ・チンモイ: 魂は神聖な神の一部分であり、ただ喜びと明るさのみの存在です。さて規律の中で瞑想を始め、体をひどく直立硬直させ、悪者の猿に今にも噛み付かれつねられそうだと言わんばかりにしていたら、それは間違いです。そのようにしても恐怖感が湧き、自分を緊張させ続けるだけです。瞑想するときは背筋をまっすぐにしてリラックスすべきです。一番良いのは蓮華座で瞑想することですが、それができなければ椅子に座ればいいでしょう。
神は愛と喜びだけの存在です。神に満足してもらい、神とひとつになるのに一番効果的な方法は愛を通して神の元へ行くことです。愛があればそこには喜びもあります。お父さんのところへ行くのに自分の手や腕を切り落として、どんなに自己を律することができるか証明する必要はありません。それは規律ではありません。規律は自然に湧き上がる愛を通してやってきます。自分の神聖な資質が前面に出てくるようにしてあげると、魂が自然に外的生活の面倒を見てくれます。ただ奥深くへ行きそこから魂の持つ安定を持ってくればいいのです。魂の安定が前面に出てくると、落ち着きのない外的存在は自然に穏やかで静かになります。ですからいつでも内的喜びで瞑想するようにしてください。
From:Sri Chinmoy,瞑想:神が話し、私が聞く, part 1, Vishma Press, 1974
https://ja.srichinmoylibrary.com/mgs_1 より転用