質問: どうしたら人は愛を持てるようになりますか。

シュリ・チンモイ: 愛がなければ何を目指しているのでしょうか。世界を愛さないのは、世界に対して中立でいるか無関心でいることです。世界を憎んだら自分自身を滅ぼします。一方無関心だったら何も喜びがありません。世界を愛し自分自身のものとし、受け入れる必要があります。何のためでしょう。世界をもっと良くするためです。

どうしたら愛を持てるようになるかという質問ですね。答えは、愛さなければどうなるでしょうか。今私たちが見ている世界は憎しみ、支配、優越感ばかりです。お互いを愛さないことで本当に苦しんでいます。

しかしどうやって誰かを、または何かを愛するのでしょうか。まず自分自身を愛さなければ他人を愛することはできません。朝早く自分が幸せであれば、道で会った人誰にでも挨拶したり微笑みかけたくなります。しかし朝不幸せな気分だったら、周りを見ようともしません。不愉快な気分で、人のせいで一日が台無しになったとまで言ったりします。内的に幸せなら、世界全部が良いものになります。しかし内側奥深くで不幸な思いだったら、世の中全部のせいにします。自分を責めるのではなく、世の中のせいにするのです。でも実際悪いのは誰でしょう。自分自身の責任です。

ではどうやって世の中を愛したら良いでしょうか。喜びを作り上げることで世界を愛せると思います。喜びから愛を得、愛から喜びを得ます。どうやって喜びを創ったらいいでしょうか。何かをすることです。小さな子供は人形で遊ぶことで喜びを得ます。もし神を信じているなら神に祈ることで喜びを得ます。喜びを得ると、すぐにそれを毎日の生活に活かしたいと思うようになります。するとこの喜びが愛に変わります。

自分たちに喜びを与えてくれるものが何なのか、注意を払いましょう。喜びから愛を得られます。喜びから始めましょう。私たちがこの世にやってきたのは、世の中で喜びを与え、喜びを受け取るためです。しかし残念なことに、多くの人がハートではなくマインドを使っています。そのために世の中から喜びを得るのが本当に難しいと感じています。マインドはただ分断することでしか喜びを得られません。現実を切り刻むことで喜びを得ようとします。ハートは現実をそのままにしておきたいと思い、切り刻みたいとは思いません。

ですから答えはハートです。ハートには喜びがあり愛があります。それに対してマインドに喜びは全然ありません。更に、ハートから得た内的喜びをマインドは全部取り去ってしまいます。マインドのせいで、周りを疑い周りに嫉妬します。誰かが良い人だったり、何か素晴らしいことを達成しても、疑うマインドを使ってその人を見くびったり、その人の成果を卑下しようとします。他の誰かを疑ったり嫉妬することで、何か喜びが得られるでしょうか。それに対し、ハートを使えばその人と一体になることができ、本当に大きな喜びが得られます!

本当に素敵で美しい曲をハートを使って聞いたら、その音楽、歌い手、またはメロディーとひとつになります。自分自身が歌い手でそのメロディーを歌っていると感じることさえあるかもしれません。しかしマインドを使うとその歌い手に嫉妬したり、音楽に嫉妬心が湧いたりします。

このようにハートから得られる経験とマインドから得られる経験は違うものです。前者は他の人を高く評価し、後者は他の人の栄光を最小限にしか評価しません。前者は私たちを本当に幸せにしてくれ、後者は不幸な気持ちにさせます。もし中国の歌が流れていてそれを聞くのにハートを使ったら、本当にその音楽との一体感と喜びを得ます。しかしマインドを使ったら「いや、私のインド音楽のほうがずっといい!」と思うことでしょう。同じようにもし貴方もマインドを使ったら、「インド音楽は馬鹿げている。眠ってしまう。演奏が始まると他に何もすることがなくなる。」と言うことでしょう。しかしハートを使ったら「インド音楽は本当に綺麗で癒されて、心に焼き付いて離れない。」と思うことでしょう。

批判的なマインドを使って負け犬になるのは誰でしょう。私たち自身です。誰かを批判しても決して決して幸せになる事はありません。なぜなら私たちの内側にある本質は愛、永続的な愛に他ならないからです。このため我々の哲学では、ハートに本当に重きを置くのです。ハートは現実をそのまま受け入れます。他の人が良い人だろうが悪い人だろうが気にしません。他の人に善意を捧げることでその人たちと分かちがたくひとつになります。それに対しマインドは絶えず、他人の良い資質と悪い資質の間を行ったり来たりしています。この瞬間は「誰それはいい人だ。」と言ったかと思うと、次の瞬間には「あんな人と一緒にいるなんて貴重な時間を無駄にしている。」と思ったりします。善意のハートで他の人に歩み寄ることで、その人の魂との友情と一体感が築かれ、途方もない喜びを得られるのです。しかしマインドで他の人に近づくと、その人のあら探しをしようとするばかりです。

マインドを使うと、花の近くへ行ってもいたずらな猿のように、花びらを一枚一枚取って台無しにしようとします。しかしハートを使って花に近づけば、その花の美しさと香りを愛でるでしょう。ハートは喜びを与え喜びを受け取ります。マインドは自らが見ている美しさと現実を壊そうとします。当然批判された人たちは同じように反応するでしょう。力を振り絞って自分自身を防御するでしょう。つまりハートは双方からの愛、マインドは双方への破壊です。

善意が働くと、ハートの扉がすぐに開き、ハートを解放します。貴方の場合完全にハートは開いています。ハートを開くことである目的地に達しました。明日になったら、それで終わりではないとわかるでしょう。最初の一歩は踏み出しました。これはしっかりした一歩であり、愛、喜び、光、平和、至福などの神聖な性質をハートの中に絶対感じることでしょう。この最初のステップでハートが開くと、本当に満足を感じます。そして明日になれば自分の中で実に多くの神聖な性質が花咲くのがわかるでしょう。花びらが一枚一枚開いていく花の如く、貴方のハートの中で実にたくさんの神聖な資質が花咲き、途方もない喜びを得ることでしょう。そして人生には素晴らしい意味がある、と感じる事でしょう。その意味とは自分の愛、喜び、平和、至福を毎日増やしていくことです。

From:Sri Chinmoy,シュリ・チンモイとの対話, Agni Press, 2007
https://ja.srichinmoylibrary.com/csc より転用