体に愛情一杯、慈悲に満ちた思いを向ければ向ける程、体はそれを利用します。「ああ、もう50代後半なのだから、寝ていたほうがいい。体のために、少なくともあと15分は寝ていたほうがいい。」と思う人もいます。しかしこのような人たちには全く同意できません。その代わりに「いや、50代後半になったのだから、前より15分少なく休むべきだ。」と思うべきです。
このように体に対しては、前より少なく減らして、ではなく、前よりもっと多く活動するよう促さないといけません。体に「もっと休息が必要だね、もっともっと必要だ。」と言うのは間違った対処法です。そうしていたら、活動的になろうとしている時でさえ、体は言うことをきかなくなります。体に降伏してしまったら、墓穴を掘るようなものです。体は最初本当に嬉しがるかもしれませんが、同じ体が私たちの人生を完全に無用なものにしてしまいます。
確かにもう、1マイル(=1.6km)7分のペースで走る事はできないかもしれません。しかし1マイル10分でも11分でもいいので、まだ走れるなら、すべきです。体に好きなようにさせてしまうのはひどい間違いです。体の中でマインドが働いています。かつてマインドが体を使い最速で走っていた時がありました。今や同じマインドが体に「お前は役に立たない!」と言っています。かつてマインドは6時に起きて瞑想するよう命じていました。今や同じマインドが「早すぎる!」と言ってきます。やっと8時に目が覚めるとマインドは「遅すぎる!」と言ってきます。
ですから一番良いのはいつも体に厳しくあり、体の活動に対してより気を配ることです。「休みがもっと必要だ、もっと必要だ。」と言っていたら、内的に脆弱になってしまうだけです。そのような弱さは不要です。
しかしまた、賢くある必要もあります。休まないことで明らかに健康に影響が出ている、休まないことで弱くなっているというのがわかるなら、要注意です。その時は賢くあって下さい。休息を少なくした結果、体を引きずり外を満足に歩くこともできないのならば、自分の体の能力を超えてしまった、ということです。
ですから賢くありましょう。体にどれだけの力があるのか見極めることです。マインドが体の中で体を通して機能しているので、体にどれだけ能力があるのか全然わからない場合もあります。体には200メートル歩く力があっても、マインドが「50メートルで充分だ」と言います。体にどれだけのことができるのか、自分が体の中で体を通してどれだけのことができるのか、見極める必要があります。
「身体よ、君はもう歳だ! 君の力は毎日減少し続けている。だから非常に用心し、賢く対処しないといけない。」と、体に対し慈愛に満ちた思いを持っているなら、何ヶ月あるいは何年か経ったら「ついに完全に自由になった!」と体に言われることでしょう。この場合「完全な自由」とは他でもない、「動かないこと」です。貴方の人生からあっという間に、活動というものが消えてしまうでしょう。ですからいつでも知恵深く、賢くあるようにしましょう。From:Sri Chinmoy,シュリ・チンモイとの対話, Agni Press, 2007
https://ja.srichinmoylibrary.com/csc より転用