シュリ・チンモイとの対話

Part I

CSC 1. 1998年11月10日、シュリ・チンモイは高齢者について、ニューヨークの自宅で次のように語りました。1998年は国際高齢者年でした。

1.

高齢者を理解し、称賛し、敬愛すべきだと心から思っています。自分も高齢者の一人だから言うのではありません。今世の中では高齢者がないがしろにされているから言うのです。高齢者の皆さんもかつては小さな苗木でした。そして木となり、やがて菩提樹となったのです。

苗木、つまり子供だった時、両親、お祖父さんお祖母さん、ひいお祖父さんひいお祖母さん皆に可愛がられました。成長して、周りにインスピレーションを与える存在になりました。

私たちはいつも「遠い未来」の話をするけれど、「輝ける過去」もかつては「遠い未来」であったことを忘れてはいけません。輝ける過去で、高齢者は小さな子供でした。家族の大きな喜びでした。高齢者に敬意を払わなければ、その慈愛、愛情、優しさ、智恵を受け取ることはできません。彼らをないがしろにすることは過去から切り離してしまう行為です。木を二つに割ってしまうように。木を切ってしまったら、生き続けることはできません。木が健康で生き続けるためには、根も枝も葉もしっかりついたままでいる必要があります。この同じ木が、老木になる数年前までは美しい花や美味な果実をつけていたのですから。

また、高齢者はその家族に誉と経済的安定をもたらしてくれました。ないがしろにするなどとんでもありません。世界家族全体への貢献を称え、新たな感謝の心で高齢者を理解し、称賛し、敬愛するべきです。高齢者の皆さんの存在そのものからインスピレーションを受け取ります。そしてこれから40年後、50年後に、今の若い世代も同じく将来の若者達にインスピレーションを与える存在になるのです。

Part II

CSC 2-8. 2005年5月5日、オランダの「カトリック・ダイジェスト」誌のヨープ・コープマン編集長から一連の質問がシュリ・チンモイに届きました。翌日両氏は対面し、「Lifting Up the World with a Oneness-Heart(ひとつの心で世界を持ち上げる)」賞がシュリ・チンモイからコープマン氏に授与されました。

_ヨープ・コープマン:_ シュリ・チンモイ、貴方はヨハネ・パウロ二世、そしてマザー・テレサと大きな友情を育み貴重な時間も共に過ごされました。この二人について、「素晴らしい、迫力ある、個性的」と手放しで称賛しておられますね。東洋では神聖な人物を正当に評価し称賛するのは普通のことのようです。そのようなリーダーが持つ、人を惹きつける力が手に取るように明白に経験されます。それに対しユダヤ教・キリスト教の主流派では、より知性的な見方をします。そのようなリーダーは善人ではあるが、「一瞥、一触れしただけで癒されてしまう」ような生きた聖人とは必ずしも見なされません。この観点からヨハネ・パウロ二世とマザー・テレサについて、語っていただけませんか。

シュリ・チンモイ: ではまずローマ教皇ヨハネ・パウロ二世からお話ししましょう。教皇はキリスト教だけに捉われるのではなく、全ての宗教のための方でした。ですから私は、限りない慈悲、愛情、激励をいただくことができたのです。この人生で、教皇から祝福を頂く幸運に六度恵まれました。お目にかかるたび、他の人からは滅多に感じることのできない神聖な資質をたくさん感じました。

ヨハネ・パウロ二世はある人にとっては友、ある人にとっては父、またある人にとっては祖父であられました。友として、人々に人生の真の意味を理解してほしいと願っておられました。人生の真の意味は慈愛、気遣い、思いやりです。

父として、道徳心に欠ける者達に対し厳しくあられました。真実の法則に従わない人たち、権力や支配力に貪欲な人たちに対してです。自らの霊的な子供にあたるそのような人たちに警告されたのです。人類に対する気遣いがなければ、やがて非常に深刻な危機が訪れるであろうと。人類の水準は向上するどころか奈落の底に落ちてしまうだろう、と。

祖父としての教皇は愛情一杯であり、人々に対してある程度甘いお祖父さんであったと言えます。人間は弱いものだと感じられたのです。もし厳しくしたら、逆効果になるかもしれない。すでに非常に弱い人たちに対しては、とてもゆっくり進む必要性を感じられました。その人達に対する心遣いは限りなかったので、少し甘やかすぐらいの方が、やがて光に対して目覚める助けになると思われたのです。一度光の中に入ればもう、敢えて自分から深い無知の闇の中へ入っていくことはないからです。

ヨハネ・パウロ二世に、本当に限りない感謝を心から捧げます。毎回お会いする度、新しい経験でした。晩年、だいぶ弱られて手も震えておられた折にも、私の腕に愛情込めて触れてくださり、最高の慈悲で祝福して下さいました。

他の教皇と違われたのは、外的世界の活動で実践家であったと同時に、内的世界の最も崇高な高みの先見者でもあられたところです。内的ビジョンと外的活動が見事に相補っておられました。

マザー・テレサは貧しく助けを必要とした人々だけでなく、人類全体のためにあられました。無力で希望なき世界のため、心に血を流しておられました。人の命を救うため、犠牲の人生でした。マザーの命の船は「慈愛の岸辺」と「気遣いの岸辺」の間を行ったり来たりしました。この世で生を受けた時から恐れ知らずでした。

救世主イエス・キリストを限りなく信頼されていました。

私にとってマザー・テレサは、この瞬間は真の母であり、次の瞬間は真の姉でした。母として、祝福に満ちた眼差しで私を祝福して下さいました。姉として、慈愛に満ちた心で愛してくれました。

また、激励に満ちた方でもありました。一度でなく、二度でもなく三度も、一緒に中国へ行ってほしいと言われました。中国と中国の人々に何か素晴らしいこと、善いことをしたいと熱心に願っておられました。残念ながらこの希望は叶えられることはなく、成就する前に天に召されてしまいました。

最近中国に3ヶ月ほど滞在しましたが、一緒に中国に来てほしいと祝福一杯に頼まれたことを何度も何度も思い出していたものです。

マザー・テレサは大胆不敵、ひたすら愛と犠牲の魂でした。この世界の様相と運命を変えるには、マザー・テレサのような神に選ばれたしもべがもっと何人も、ひどく必要です。

_ヨープ・コープマン:_ アメリカで起こった精神世界への強い関心をどう思われますか? ほとんどがうわべだけの宗教あるいは活動、そうでなければ漠然と「ニューエイジ」と当時呼ばれたものを追求していたと思いますが。

シュリ・チンモイ: 米国の精神性の問題は非常に複雑です。海上の大きな波のようなもので、沸き起こっては沈んでいきます。もしかしたらどこでも同じような経験をするのかもしれないです。30年か40年ほど前、若い世代が今よりもっとずっとスピリチュアル・ライフを受け入れ、実践していく興味関心が強かった時がありました。実に嘆かわしいことですが、今日、内的に突き動かされる同様の思いは見えないし感じられません。もしかしたら私の完全な勘違いかもしれませんが。若い世代を批判しているのでは決してありません。私は100パーセント、若者の心と人生と共にあります。

もう一つの要素もあります。当時新しいものは何でも奨励され支持されました。何か新しく、やりがいがあり、輝いていることに取り掛かり始めると、内側深くから励まされているように若者は感じたものです。しかし今日では、30、40年前のように大きく人の興味関心を引くことは何もないようです。

人は新しい光、新しい意識を必要としています。昔成し遂げたこと、言い換えれば「人生の泥沼」から抜け出したいと思っています。しかしどうしたら良いのかわかりません。過去には失望しています。そして今、未来を恐れています。新しいことを試みるのを嫌がっています。人生が確実性の欠如と恐怖に占拠されているからです。

ニューエイジ運動への傾倒は、過去の方がもっとずっと強力なものでした。新しいものは何でも歓迎すべきです。同じものが新しくあり続けることはないかもしれないし、不可能でもあります。何か新しいことを達成したい、新しいものになっていきたいなら、自分に厳しく内的な祈りと瞑想を行わなければなりません。

成功の鍵は決意と意志力です。進歩できるかは、神の意思に内的にも外的にも自分を明け渡せるかにかかっています。それは非常に魂を込めて祈り瞑想し、愛を込めて人類に奉仕する中で起こります。

一瞬一瞬、新しい夢、新しい現実、新しいインスピレーション、新しい向上心、新しい達成が運ばれてきます。

_ヨープ・コープマン:_ 様々な伝統の中に、どうやって良いところを見出せますか?

シュリ・チンモイ: 神の意思が成就されるよう心から神に祈れば、一人一人の中にどうやって善い現実を見出したらよいのか、その祈りに絶対教えられます。全ての伝統が神の愛と光を渇望していれば、世界向上に必要な善いもの全てが前面に出てきます。

今日他の人の中に善い資質が見えます。その善いところを素直に評価すれば、自分自身の人生で全く同じ善い資質が花咲き始めます。まるで蓮の花のように、段々とゆっくり、間違いなく。

祈りも瞑想もしなければ、他の人の善い資質の真価を認めることはほぼ不可能です。嫉妬の蛇に容赦無く攻撃されてしまうからです。

一つ一つの伝統がそれぞれに正しいのです。国際的な心を持つ必要があります。全ての伝統を認め、称賛し、尊重するために。全ての伝統を鼓舞し、激励し、照らし、満たす世界市民になるために。

_ヨープ・コープマン:_ イエス・キリストは「比類なき預言者、神の最愛の子、そして人類にとって最高の一体感の友」と仰っていますが、「人類の一体感の友」とはどういう意味ですか。

シュリ・チンモイ: キリストは「私と父なる神はひとつです。」と言い、また「私が道であり、ゴールである。」とも言っています。外的には、一人の人がどうして道とゴールに同時になりうるのか理解に苦しみます。しかし絶対最高の存在と完全にひとつになれば、何にでも、何者にでもなれ、さらに二元性を遥か超えたところへ行くことができます。

友情とは一体感が広がったものです。キリストは最高の神の子として、自身が「創造主たる神」の子だけではないとわかっていました。「創造主たる神」と「創造物たる神」はひとつだとわかっていたのです。

「気遣い、励まし、鼓舞」というような言葉に思いを馳せると、友情はこの上なく必要だと感じます。友情がなかったら、この世は日一日と忘却の海へ沈んで行ってしまうでしょう。

自分は自分だけの存在ではないという悟りに注意を払い、目覚めさせてくれるのが友情です。私たちは周りの人達、共にある人達、助けてくれる人達の一員です。自分の周りに全世界があります。ここで友情を築かないといけません。友情がなければ、世界は前進しません。後進するだけです。

「私と父なる神はひとつです。」キリストは創造主としてこう言われました。

そして創造物として「父よ、なぜ私を見捨てるのですか?」と言われました。創造物は創造主の助けをひどく必要としているからです。

創造物との一体感から、キリストは人類の苦しみを自分のものと感じました。この苦しみは全ての人によって分かち合うことができます。苦しみは存在しますが、その重荷を軽減しようと友人が来てくれると、皆が一体感の光を見る絶対の助けになります。心をひとつにする事は自分を広げることです。真の友情があれば、一体感が花開き、咲き誇ります。

キリストは最高の友でした。天国だけでなく、地球ともひとつになったのですから。

天の比類なき一員として、キリストは母なる地球に限りない慈愛を下ろして来ました。また、母なる地球の一員として、父なる天から受け取った慈愛を惜しみなく無条件に分かち合いました。世界の意識を持ち上げるために。そしてまた、ここ地球に光が、真実の確立を希求する光がある事を世の中に見せるために。

子キリストは受け取った。友キリストは分け与えた。

子キリストは天から受け取った。

友キリストは世界市民の友たちに、自分の持つもの、自分のあるがまま全てを祝福を込めて分け与えた。

_ヨープ・コープマン:_ キリスト教とヒンズー教の一番大事な共通点は何ですか。

シュリ・チンモイ: キリスト教とヒンズー教だけでなく、全ての宗教に共通していることは一つで、それは「神への愛」です。どの宗教も真実、慈愛、許しを尊重します。このような神聖な資質は全ての宗教の深底に大きくそびえています。それぞれの宗教の信者は本来、人類向上のためにこのような神聖な資質を前面に持ってきて、愛と心を込め朗らかに実践しなければなりません。こうして、美しくも芳しい国魂の花冠を共に編んでいきます。

_ヨープ・コープマン:_ 異宗教間の関係で、最も大きな課題は何ですか。

シュリ・チンモイ: これまで何度か、異宗教間の会議に出席したことがあります。1、2分静寂の祈りと瞑想をする機会をいただきました。よくあるのは、自分の宗教を褒め称えてしまうことです。しかし一番良いと私が感じるのは、全ての信仰がこれまで成し遂げた偉業を各々が自分自身のものとして受け入れることです。このようにすれば、全部の信仰が成し遂げたこと全てから人類全体が益を得られます。

_ヨープ・コープマン:_ 東洋から西洋が学べることで、最も一刻を争う教訓は何でしょうか。

シュリ・チンモイ: 西洋は東洋から「静寂の力」を学べます。東洋は西洋から「科学の力」を学べます。

東洋は内省的であり、西洋は外向的です。

東洋と西洋が歩み寄れる場所があると思います。そこで両者は「私が、俺が」ではなく、「私たちが、僕たちが」と言うのです。

1.3

インスピレーションの鳥が飛んできて頭か膝に落ちてくれないか、待っている人もいます。私の場合は、インスピレーションの鳥に自分のところに来るよう命じるか、自分でその鳥を追いかけます。追いかけたらすぐに捕まえます。

詩は非常に微細でもあり得るし、と同時に非常に力強くもあり得ます。二つの語を圧縮することで、実に多くが語れます。詩が繊細で女性的な必要はありません。非常に力強くあることが可能です。繊細な語でさえ、力強くあり得ます。


CSC 9. シュリ・チンモイは1989年11月3日、詩について次の私見を述べました。

2.4

最愛の絶対主スープリームは無限の恩寵から、皆の師(である私の中で私)を通して英語で何千というマントラ(真言)を作ってきました。魂を呼び起こしハートを持ち上げ、人生を目覚めさせるマントラです。

かつて私は無知の大海におり、マントラはサンスクリット語でしか書けないと思っていた時期がありました。当時は無知そのものだったのです。その後シュリ・オーロビンドの「サヴィトリ」を読み解いた時、叡知が下りてきて分かりました。マントラは英語でもまた作ることができるのだと。

英語圏の著名詩人の詩を何篇か読み、より深い叡知を得ました。このような英詩人たちは確かにマントラを作ったのだ、とわかり非常に大きな驚きであり喜びでした。他の言語でもマントラがあると確信しています。

今は、マントラはサンスクリット語に限られたことではないとわかっています。マントラはそれぞれの言語に、最も神聖な富として存在し得るのです。


CSC 10. シュリ・チンモイは2002年12月29日ニュージーランドのクライストチャーチで、マントラ(真言)について以下のように述べました。

Part III

CSC 11-12. 2003年11月27日シンガポールで以下の質疑応答がされました。

質問: グル(先生)が重いウェイトリフティングをされている最中宇宙の神や女神たちがやってくると、どんな風に助けてくれるのですか?

シュリ・チンモイ: ただいてくれることが助けになります。本当の善意と慈愛の心で来てくれるからです。身体の領域では私がリフティングをしているのですが、神々の祝福が助けてくれます。なぜ祝福しに来てくれるのかというと、彼らも「身体は霊的なものの表れだ」と示したいからです。身体と霊的なものに大きな隔たりがあってはいけません。霊的なものは身体の中で、身体を通して働かなければならず、そして身体は霊的なものをきちんと受容できなければいけません。ですから私はこうして、身体と精神世界の橋渡しをしようとしています。他のスピリチュアル・マスターはこのような事はしなかったかもしれません。ほとんど不可能に近い仕事なので、スピリチュアルなものだけで満足しているのでしょう。 シュリ・オーロビンドによれば、身体とは物質を意味します。ここでは物質と精神の話をしているのです。受容力に関して言えば、身体の受容力は最低です。堅固な壁のようです。身体に受け取ってもらおうと一生懸命頑張るのですが、ほぼ不可能に近いことです。ですから宇宙の神や女神たちが来てくれるのです。彼らの祝福そのものが私を助けてくれます。そして限りなく激励してくれるのです。

質問: その様な神々は、実際にウェイトの重みをいくらか背負ってくれるのですか?

シュリ・チンモイ: 全くその通りです。誰かとひとつになると、それは非常に強烈です。自分の意志力と命の呼吸を全部、愛する大切な人の成功のために捧げます。かつてシュダホータ・カール・ルイスが走りジャンプするのを見ながら、私はどれだけ強力に彼とひとつになったことでしょうか! この場合も、重いウェイトを私に持ち上げて欲しいという非常に強い思いで、宇宙の神や女神が祝福しにやってきてくれます。その思いはどこへ行くのでしょうか? 私の体に入ってきます。私は身体、つまり腕や肩の筋肉を使っています。しかし神々は自分の内的意思力を使って私を助けてくれます。

Part IV

CSC 13-24. 次の質問は「ヨガアクチュエル」と「ヨガフォーラム」誌のマチアス・ティエケ氏がシュリ・チンモイに尋ねたもので、シュリ・チンモイは2005年11月3日に回答しました。

質問: スピリチュアルな人はどんな性質を持っていますか。

シュリ・チンモイ: スピリチュアルな人はシンプルで、優しく、慈愛に満ち、自分を捧げる人です。

質問: グルを持つ事はどのぐらい重要ですか。そしてそのような師は、どう他の人と違いますか。

シュリ・チンモイ: グルは必要ですが、必要不可欠ではありません。グルは弟子の成長を促します。スピリチュアルな師は神の恩寵を携え、弟子が自分の闇と無知に光を当てる手助けをします。

質問: 「規律」と「従順さ」の役割は何ですか。

シュリ・チンモイ: スピリチュアル・ライフにおいて、規律と従順さは最も大切なことです。

質問: ヨーガとは貴方にとって何ですか。そして規則的に瞑想する利点は何でしょうか。

シュリ・チンモイ: ヨーガはサンスクリット語の言葉です。「神との一体」という意味です。何事も規則的に練習することで満足が得られ、進歩できます。不規則であると、決して満足を得ることはできません。

質問: あるヨーガの先生に一度「執着しないこと」がヨーガだと言われました。これはつまり、全てのことが等しく正当だということですよね。これについて貴方はどう思われますか。

シュリ・チンモイ: 無執着はヨーガの一部ですが、それが全てではありません。一つ一つのことにそれぞれの価値がありますが、自分の意識を下げる物事から執着を取り払い、普通なら執着してしまうものから自由なれば、ずっと早く進歩することができます。スピリチュアル・ライフにおいて「執着」は、計り知れない苦しみをもたらすだけです。精一杯全てを行うべきですが、結果には執着せずにいるのです。どんな結果が来ようと、それを神の御足元に置ければ、幸せになれます。

質問: 誰もが同じだけ内側に神性を備えているのですか? それとも人によって大きな違いがあるのですか?

シュリ・チンモイ: すべての人が同じ資質や能力を持っているという事はあり得ません。それぞれの内的な受容力に応じて自分の内側にある神性を体現します。

質問: 内側に持つ平和があって初めて、外的平和が得られるのですか。それとも反対に、外的平和の結果として内側に平和が宿るのですか。

シュリ・チンモイ: 外的平和は内的平和からもたらされます。外的平和は長く続きませんが、内的平和は非常に長い間、時には永遠に、続きます。

質問: 「バガヴァッド・ギータ」が戦争を正当化するため何度も何度も引用されてきました。そのように解釈する事は正しいのでしょうか? 正当化されて良いのでしょうか?

シュリ・チンモイ: 主クリシュナは戦争を回避しようと、本当に最善を尽くしたことを忘れてはいけません。主クリシュナはカウラヴァ側へ三度出向き、戦争をしないよう懇願しました。クルクシェートラの戦いは最後の手段だったのです。主クリシュナのメッセージは「愛」、「普遍の愛」でした。しかし敵方が妥協することも友好的な感情を持つこともしようとしないのなら、どうしようもありません。

質問: 昨今、コンサートのチケットは25ドルから140ドル位します。どうして貴方のコンサートは無料にできるのですか?

シュリ・チンモイ: 私のコンサートが無料なのは、とても心優しく寛大な教え子達が世界中にいるからです。私が行うコンサートの費用を全て持ってくれます。これまで各国で、コンサートを700回以上開催してきました。その中には、非常に著名な会場も含まれます。ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール、シドニー・オペラハウス、ニューヨークのカーネギー・ホール、サンフランシスコのデービス・ホールなどです。世界の兄弟姉妹の皆さんに、自分の音楽を無料で捧げることが私の責務だと感じています。ですから教え子たちがこのようなコンサートを企画してくれ、無料で行えるよう計らってくれるのです。

質問: 「ワールド・ハーモニー」(世界調和)と言う言葉は正確にはどういう意味なのですか。このコンサートツアーで使われていますよね。

シュリ・チンモイ: 家族に調和があれば、人生で十分満足できます。一つ一つの家族が一緒になり世界調和を作り上げるのです。調和がないと悲しみでいっぱいの世界になります。「調和」という言葉自体が、私たちの中に一種の柔らかく優しい感情を作ってくれます。この優しい感情が世界に調和を作るのです。 もし調和があれば、誤解も起こらず、誤解が起こらなければ、今日の世界は人生の新しい展望を得ます。私のコンサートに「世界調和」の名前がついているのは、一人一人が平和で喜びに満ちた人生を送りたいと思っていて、そのためには世界調和が答えだと感じるからです。

質問: 貴方は音楽家として、批判や見解の違いによる論議にもオープンですか。そういうものにはどう対処するのですか。

シュリ・チンモイ: 常にスピリチュアルな人間として、批判や論議を遥か越えたところに留まろうと試みています。他人を批判するのは、評価するよりずっと簡単です。我らが創造主はただ愛の存在です。批評家が私たちを完璧にすることはできません。私たちを完璧にできるのは神だけです。ですから完璧になっていくために、批評家ではなく神に注意を向けないといけません。 私は音楽家、芸術家です。自分の内なる音楽家と内なる芸術家の命ずるところに従います。批判や論議には注意を払いません。

質問: 音楽家のカルロス・サンタナやジョン・マクラフリンは貴方のかつての生徒さんの中でも、著名人の方たちです。まだつながりはあるのですか。

シュリ・チンモイ: 内的世界では、今おっしゃったような音楽界大家達とのつながりは続いていますが、外的世界では続いていません。内的世界では彼らの魂と私の魂は、まだ非常にしっかりとしたつながりを保っています。彼らをまだ愛していますし、彼らが人類の意識にインスピレーションを与え向上させる、何か素晴らしいことをした時は、この上なく幸せな気持ちになります。

Part V

CSC 25-33. 以下の記事は、2000年10月14日土曜日、ツイン・シティーズで最高発行部数の新聞、スタートリビューン紙に掲載されました。「信念と身体」コラム担当のマーサ・ソーヤート・アレン氏の質問に、シュリ・チンモイが10月8日日曜日に、電話口で答えたものです。

質問: 貴方のコンサートで目指していることは何ですか。

シュリ・チンモイ: コンサートを行うことで、人類に献身的に奉仕し、良き世界市民の一員になりたいと思っています。私の願いは、皆が良き市民でありたいという内的な飢えを育み、世界全体にインスピレーションを与え、世界向上のために皆で一緒に働いていくことです。

質問: 貴方の東洋的概念に西洋人は心を開いていると感じますか? それとも何か特別な訓練が必要ですか。

シュリ・チンモイ: 西洋の皆さんは、いつも東洋的な概念に対して心を開いてきたと感じます。我々の東洋的な概念を躊躇なく、愛と魂から、自分を捧げつつ受け入れてこられたと思います。

質問: 特別な訓練が必要ですか?

シュリ・チンモイ: いいえ必要ではありません。ハートが完全に準備できているので、インドのスピリチュアルなやり方を受け入れるのに特別な訓練は何も必要ありません。

質問: 私たちにあまり馴染みのない、例えば「嫉妬心は人生を滅ぼす」といったような貴方の教えについて少し話していただけませんか。

シュリ・チンモイ: 嫉妬心とは分離することです。分離は最終的には私たちを滅ぼします。嫉妬している時はただ自分の小さな自己しか、自分のものとは思えません。より大きな自分、それは「世界の自己」あるいは「普遍の自己」と言えるものですが、それを完全に忘れています。嫉妬心は私たちを分断するものの一つです。そしてそういうものは、克服しない限りは、最終的に私たちを破壊します。

質問: 自分の純粋なハートに、どうしたらたどり着けますか。

シュリ・チンモイ: 自分の純粋なハートにたどり着くには二つ方法があります。一つ目は魂から「純粋、純粋、純粋」と繰り返して言うことです。もう一つは、ハートの中に誠実な涙を育むことです。この二つの方法で自然に本物の純粋さに恵まれる、あるいはそのような純粋さで溢れるようになります。と同時に、純粋な心を持つには誠実で心からの献身、専心を人生の中で前面に持ってこないといけません。

質問: 貴方がおっしゃったことに、「初心者にとって、瞑想は一番高い現実に思えるかもしれません。しかし上級者になると、瞑想はただ最高の現実へ導いてくれるものに過ぎない、とわかります。」というのがありますが、これについてもう少し説明していただけますか。

シュリ・チンモイ: 瞑想は道であると同時に、ゴールでもあります。最初は、瞑想は階段の役割を担います。ある高さまで行くには階段が必要です。するとのちに、瞑想は一番高い所へ導いてくれるだけではなく、実際に最高の高みを体現しているのだとわかる時が来ます。神は船であり、船頭であり、道であり、ゴールでもある、と言いますが、瞑想も全く同じように説明できます。瞑想で上へ、上へ、上へと行きます。そしてついには、瞑想自体に自分がなります。この瞑想は普遍の光、普遍の歓喜、創造主たる神、創造物たる神を全て同時に包含しています。

質問: 貴方は様々な信仰の人たちと一緒に仕事をされています。すべての宗教信仰が正しいと受け入れておられるのですか。

シュリ・チンモイ: すべての信仰が正しいと受け入れています。すべて同じ位大切です。

質問: 正しい信仰が何なのか、何か基準はありますか?

シュリ・チンモイ: いいえありません。すべての宗教が神性を無限に包含していて、そのすべてをひとつだと捉えています。ただ私の場合、信仰宗教はたった一つしかなく、それは「神への愛」だと思います。私は私の力に応じて神を愛します。貴方も貴方の力に応じて神を愛します。また別の人もその人の力に応じて神を愛します。すべての宗教、すべての信仰は同等に真実であり、同等に神聖です。また一方で、宗教はたった一つ「神への愛」しかなく、それが普遍の真実です。

質問: 貴方が最終的に望んでいる事はなんですか?

シュリ・チンモイ: 私が最終的に望んでいる事は、世界が平和と喜びで溢れることです。その神聖なプロジェクトに、魂を込め自分を捧げつつ参加したいのです。

質問: 貴方の希望が叶ったら、どんな世界になるでしょうか。

シュリ・チンモイ: 私の希望と世界がひとつになったら、誤解、紛争、対立、喧嘩、戦争などが全てなくなります。ただ調和が君臨し、世界の隅々にまで行き渡るでしょう。

質問: 今までお会いになられた人の中で、貴方の教えに最も近い理解があったのはどなたですか?

シュリ・チンモイ: 長年、世界的著名人に何人もお会いしてきました。その中で、マザーテレサは私にとって母であり姉である存在でした。この瞬間には愛情一杯で、姉のようでした。次の瞬間には慈愛一杯で、母のようでした。マザーテレサが私の真のスピリチュアル・ライフに一番近い方でした。私を誰よりも理解してくれました。なぜなら彼女自身が救世主イエス・キリストの最も献身的な子、いや、最愛の子であったからです。

質問: 世界の状況を見ると争いや暴力や不幸が絶えませんが、勇気が萎える事は無いのですか?

シュリ・チンモイ: そうですね、他の方と同じように、私の内側にも神聖な部分と人間的な部分があります。私の中の人間的な部分は勇気をくじかれます。しかし神聖な部分は決して勇気を削がれる事はありません。なぜなら神聖な部分は無限の落ち着きと平和を内包しているからです。私の中の神聖な部分は、世界をあるがままに受け入れます。人類に奉仕し、人類の意識を持ち上げてもらえるよう絶対至高の存在スープリームに祈る事が、私の神聖な部分の本分だからです。ですから私の内の神性は決して勇気を失う事はありません。人間的な部分は確かに時に勇気がくじけます。しかし、この気持ちは長くは続きません。私の中の神性が人間的部分に光を当て、長い間落胆に苦しむことがないようにしてくれるからです。 誰でも願望が叶えられないと、落胆します。向上する切望心が満たされなかったり、誠実で献身的な奉仕が世の中に受け入れられないと落胆します。しかし、内なる「至高の操縦士」が自分を導き運命のゴールへと案内してくれます。この運命のゴールを「超越し続ける彼方、黄金の岸辺」と呼んでいるのですが、その導きがわかれば、落胆しても5秒、5分、最高でも1時間以上続く事はありません。私の場合、35分以上続く事はありません。どんなに落胆していてもです。5秒から長くても35分たったら、私の中の人間的な部分は神聖な部分と分かちがたくひとつとなり、落胆や悲しみといったものが存在しなくなります。その時私は、無限の喜び、光、至福と共にいます。無限の喜び、光、至福が祝福してくれ、その富を私の献身的頭上と、明け渡しの人生に降り注いでくれています。

Part VI

CSC 34-43. 以下の質疑応答は2004年9月26日、ニューヨーク、ジャマイカのアスピレーション・グラウンド(シュリ・チンモイの瞑想庭園)でされました。

質問: グル、ここ何年間か、非常に難しい状況です…

シュリ・チンモイ: 今年は本当に大変でした。

質問: この3、4年、マニフェステーションをするのが本当に大変でした。多くの弟子が、様々な理由で、スープリームに奉仕するためにしたかったことができずにきました。もう少し状況が良くなり、世の中ですべきことをできるようになるまで、どうしたらいいでしょうか

シュリ・チンモイ: 外的には諸般の事情で、今できないことがあります。しかし内的にアスピレーションを増やすことは可能です。外的にアスピレーション(切望)、献身、マニフェステーション(体現)があるように、内的にもアスピレーション、献身、マニフェステーションは存在します。先日チャールズ・オズグッドに「当面の間平和の仕事ができないでいます。」と言うと、すぐに「でも貴方達の精神、その精神は内的に働いているでしょう。」と言ってくれました。

そう、外的には諸々の理由で実行できないことがあります。しかし内的に自分自身のインスピレーションとアスピレーションを増やす事はできます。そして時が来たら、かつて行っていたようなことをより精力的に、より強力に、もっと満足のいく形でまたできるようになります。

質問: スピリチュアル・ライフで気を抜かず、同時に不安や心配にもならないでいるにはどうしたらいいですか。

シュリ・チンモイ: 不安になると、神経を弱めます。熱心に切望する事と不安になる事は同じではありません。何かがしたくてたまらない、と熱心になるのはいいですが、不安になったら緊張します。一番良いのは何かしたいという熱意を高めることですが、不安な感覚が少しでも入ってくると、純粋な喜びが台無しになってしまいます。すぐに緊張感が起こるからです。

何かをするのに気が気でないと、不正な手段を使ってさえもやろうとしてしまいます。一方熱意は本当に神聖なものです。ですからいつでも熱心に熱意を持っていましょう。熱意があると、自然にゴールが自覚できます。

熱意があり、それが本物ならば、神の恩寵が自然に無条件に下りてきます。ですから一番良いのは、いつでも何か良いこと、神聖で輝き満たすことをしようと、熱心に熱意を持つことです。

質問: 祈る時、「熱心に祈る」ほかに、神が好まれる方法はありますか? (内的)叫びを持ち祈る、笑顔で祈るなど、祈りには本当にたくさんやり方があると思うのですが、神の耳に届くように、又はもっと効果的にするために、神がより好まれる方法はありますか。

シュリ・チンモイ: あります。祈る時、目に浮かぶ涙ではなく、ハートに溢れる涙で祈ることができたら、それが断然一番良い祈りです。微笑んだり笑ったりする祈りではなく、自己満足や、単に献身的な感覚でもありません。ハートの中に焼けつく様な涙がなければいけません。何のために祈ろうと、審判は神です。

一番良い祈りはマインドではなくハートの中にあり、涙溢れる祈りでないといけません。そうすれば神は絶対に聞いてくれます。

ただ、神が願いを叶えてくれても、私たちが想像していたのとは違う形をとることもあります。自分の祈りがある方法で叶ってほしいと思っています。しかし神が私たちに喜び満足していたら、その願いを全く違う方法で叶えてくれるかもしれません。私たちの想像を遥かに超えるやり方で。その時本当に神に感謝の気持ちが湧きます。

何かのために祈っても、どのような形で結果や結末が来るのかはわかりません。ですから一番良いのはハートに涙を流し泣き叫ぶことです。このような祈りが、成就を促してくれます。

質問: 最近身体的に弱っていると感じるだけでなく、他の面でも弱くなった気がします。どうしたら強くなって最速で走れるのか知りたいのですが。

シュリ・チンモイ: 静かに、ただ静かに、静寂でいることです! 歩いている時でさえ、何の考えも入ってこないようにしてください。「ああ、これはいい考えだ。あれは悪い考えだ。」と思うのではなく、何の考えも全く持たないようにしてみてください。神に貴方の中で考えてもらいましょう。スープリームに貴方の中で考えてもらうのです。スープリームに必要なことをしてもらいましょう。何か考えが浮かんだら、直ちに止めてください。そうしたら、どれだけのエネルギーを得られるか、どれだけのやる気、熱意、自分の必要なもの全てを得られるかがわかるでしょう。道が示されるでしょう。 ただマインドを完全に静かにしてください。たった2分、3分でもいいのです。筋肉を鍛えるようなものです。今日マインドを2分間完全に静かにさせることができたら、明日は3分、そして段々段々長くできるようになれば、内的人生でどれだけ向上できるかわかるでしょう。内的人生だけでなく外的人生も同じです。素晴らしい進歩を遂げることができるでしょう。

質問: 歴史的に見て今この時に、自分の母国が前進する一助となるため、私たち一人一人にできる最善の事は何ですか。

シュリ・チンモイ: 祈りと瞑想が唯一の答えです。外的な道は何もありません。外的世界では討論も助言も、この時点では何もうまくいきません。ただ内的世界で祈りと瞑想、愛、献身、神の意思への明け渡しを通し、より多くの富を得るようにします。内的強さ、ただ内的強さを貯めていくのです。内的強さに切実に前面に出てきて欲しい時があり、今がその時です。母国のために何かをしたいのなら、奥深くで祈り、後で使うことができる強さを蓄積して下さい。 今は内的世界、内的人生で、できるだけ蓄え保持しようとしてください。そうすればその内的富を、外的人生で自国に奉仕するため使える時がやってきます。

質問: 「自分なんて」と感じる時、神は許してくださるのだろうかと疑念を持ちます。短い今世で、どうやって許してもらえるのか分かりません。

シュリ・チンモイ: 神に勝てる術があるのか自問してみましょう。答えは否です。神が許しの力を使われたら、この許しの力は貴方が今世、さらに前世で犯してしまったと感じている悪い行いをはるかに凌ぐ強力なものです。

何日間も、いや何ヶ月間も明かりがなかった部屋を思い浮かべてください。そこへ貴方が入って行ってスイッチをつければ、一瞬で明かりが戻ります。同じように、神の慈愛と許しの力に比べれば、貴方の弱さなど全く何でもないのだと感じましょう。

さてここで、貴方が同じ間違いを何度も何度もしているのに、どうしてそれを神が許す必要があるのか、という疑問が浮かぶかもしれません。今日ある悪いことをし、神に「ああ神様、許してください、許してください、許してください!」と祈ります。そしてまた明日になると、同じことをしてしまいます。唐辛子を食べる人のようなものです。「舌が焼ける! もう唐辛子は食べないぞ。」と思うのに次の日になると、また唐辛子を食べ舌をヒリヒリさせています。

質問に戻りましょう。もし内側に誠実な叫びがあるなら、何度間違いを犯そうと神は許してくださいます。しかし、同じ間違いを何度も何度も繰り返さない方が神は満足されると思いませんか?

確かに神の許しはいつでもそこにありますが、その間違ったことを一切断ち切ってしまった方が神は誇りに思ってくれます。すぐに全部やめるのが不可能なら、毎日貴方のマインド、そして外的生活でしている間違ったことの数を減らしていけばいいのです。自分の外的生活、内的生活でいくつ間違ったことをしているのか自分でわかるでしょう。数えてみたら良いです。そして次の日にはその数を減らせるかどうか試してみてください。そのように少しずつ数を減らしていくことができれば、全然間違いを犯さない日がやってきます。その時、神は喜んでくれるだけでなく、貴方のことをとても、とても、とても誇らしく思ってくださるでしょう。神の慈愛の力は、自分で犯してしまったと感じている大きな間違いより限りなく強力なものだ、ということを常に忘れないようにしましょう。

質問: 世界レベルの意思決定に携わる人達は、マインドと力を使ってこれまでのキャリアを積み上げてきたのでしょうが、どうしたらその人たちのハートを前面に持ってくることができますか。

シュリ・チンモイ: もし可能なら、時々その人たちのハートのある場所(=スピリチュアル・ハート)へ目を向け、そこにスープリームの存在を感じるようにしてみてください。難しいかもしれません。神がどこにいるのか何をしているのか神のみぞ知る、だからです。しかし自分の魂の師(スピリチュアル・マスター)の顔を想像する事は簡単にできるでしょう。自分の魂の師の顔をその人の中に想像してみてください。そして、魂の師(スピリチュアル・マスター)の涙、あるいは微笑みのどちらかを見ようとしてみてください。その人のハートの資質を前面に持ってくるのは簡単だと感じるなら、師の微笑みを想像したら良いでしょう。しかし時間がかかると感じるなら、師の涙もしくは非常に悲しげな顔を思い浮かべてください。

仮にある要人と、15分時間を共にするとします。そのうち少なくとも1分間はその人のハートの中を見るように試みてください。目を開けていなくもいいのです。半分目を閉じていても良いのですが、意識はその人のハートに集中している必要があります。

何日か前、ラリー・マコナヒーをリフティングした時、「マインドにハートを与えないといけませんね!」と言われました。ですからマインドを使って世界を支配しようとしている要人がいたら、「ああ神よ、彼らにハートを与えてください。ハートを与えてください。」と祈るといいでしょう。静寂の中で、ハートを与えて欲しいと祈ります。そして1分間ほど、その人たちのハートの内側を感じ、自分の魂の師の存在を感じるようにします。師は涙を浮かべているか微笑んでいるかです。微笑んでいるなら、成功の日は近いということです。涙を浮かべているならもっと長く時間がかかるということです。しかしとにかく、このすべてを静寂の中で、祈りを通して行わなければいけません。

そのような世界レベルで意思決定をする重要な人物がマインドを使い続けても、絶対に失敗することになります。しかしハートを使えば最終的には成功します。ですからその人達の中にほんの少しでも進歩が見られたら、彼らがハートの中に留まって働けるようにと祈る力を、自分の中で増やしてみてください。

質問: 歳をとるにつれて、体をもっといたわった方がいいと思うのですが。

シュリ・チンモイ: そんな事はない! その考え方には賛成できません! 体をもっといたわってしまったら、ただ横たわり24時間寝ていることになります。歳をとるほど身体の活動をもっと自覚し、より強い意思を持たねばなりません。そうしないと、無気力が襲いかかってきます。

体に愛情一杯、慈悲に満ちた思いを向ければ向ける程、体はそれを利用します。「ああ、もう50代後半なのだから、寝ていたほうがいい。体のために、少なくともあと15分は寝ていたほうがいい。」と思う人もいます。しかしこのような人たちには全く同意できません。その代わりに「いや、50代後半になったのだから、前より15分少なく休むべきだ。」と思うべきです。

このように体に対しては、前より少なく減らして、ではなく、前よりもっと多く活動するよう促さないといけません。体に「もっと休息が必要だね、もっともっと必要だ。」と言うのは間違った対処法です。そうしていたら、活動的になろうとしている時でさえ、体は言うことをきかなくなります。体に降伏してしまったら、墓穴を掘るようなものです。体は最初本当に嬉しがるかもしれませんが、同じ体が私たちの人生を完全に無用なものにしてしまいます。

確かにもう、1マイル(=1.6km)7分のペースで走る事はできないかもしれません。しかし1マイル10分でも11分でもいいので、まだ走れるなら、すべきです。体に好きなようにさせてしまうのはひどい間違いです。体の中でマインドが働いています。かつてマインドが体を使い最速で走っていた時がありました。今や同じマインドが体に「お前は役に立たない!」と言っています。かつてマインドは6時に起きて瞑想するよう命じていました。今や同じマインドが「早すぎる!」と言ってきます。やっと8時に目が覚めるとマインドは「遅すぎる!」と言ってきます。

ですから一番良いのはいつも体に厳しくあり、体の活動に対してより気を配ることです。「休みがもっと必要だ、もっと必要だ。」と言っていたら、内的に脆弱になってしまうだけです。そのような弱さは不要です。

しかしまた、賢くある必要もあります。休まないことで明らかに健康に影響が出ている、休まないことで弱くなっているというのがわかるなら、要注意です。その時は賢くあって下さい。休息を少なくした結果、体を引きずり外を満足に歩くこともできないのならば、自分の体の能力を超えてしまった、ということです。

ですから賢くありましょう。体にどれだけの力があるのか見極めることです。マインドが体の中で体を通して機能しているので、体にどれだけ能力があるのか全然わからない場合もあります。体には200メートル歩く力があっても、マインドが「50メートルで充分だ」と言います。体にどれだけのことができるのか、自分が体の中で体を通してどれだけのことができるのか、見極める必要があります。

「身体よ、君はもう歳だ! 君の力は毎日減少し続けている。だから非常に用心し、賢く対処しないといけない。」と、体に対し慈愛に満ちた思いを持っているなら、何ヶ月あるいは何年か経ったら「ついに完全に自由になった!」と体に言われることでしょう。この場合「完全な自由」とは他でもない、「動かないこと」です。貴方の人生からあっという間に、活動というものが消えてしまうでしょう。ですからいつでも知恵深く、賢くあるようにしましょう。

質問: 正しいことをするために、「決意」をどうやって内側から前面に持ってきたらいいですか。

シュリ・チンモイ: 祈りの力を通してのみ可能です。他に道はありません。子供のように泣いて泣き叫ばないといけません。子供はおもちゃが欲しかったら5分も泣けばお母さんが絶対に持ってきてくれると思っています。ところが母親は10分、15分、時には30分も様子を見ています。そして「これはどうしようもない。全然泣き止む様子がないわ。おもちゃを与えるしかないわね。」となります。

私が椅子に座っていると、飼っている子犬のチェラがやってきて餌が欲しいと泣きます。そのうち泣き止むだろうと思っているのですが、泣きやみません。それどころか鳴き声がどんどん大きくなっていって、襲われるのではないかと思う位です! 子供も同じように泣いて泣いて、最終的には死に物狂いになります。同じように、私たちも本当に死に物狂いになったら、内的な決意が出てきます。しかしその決意は子供のそれとは違います。その中にある程度の落ち着きがないといけません。そして涙もなければいけません。

誠実な涙を育むことができたら、本当の決意を得ることができます。全てがハートの叫びと涙にかかっています。本当に良い人になりたい、世の中のために何かをしたいと思うのであれば、目の涙ではなくハートの涙を感じないといけません。ハートの中に流れる涙を感じてください。ハートが血を流している気持ちになる必要があります。そうすると決意がやってきます。

全てがハートの中にあります。5分でも10分でも15分でもハートの中で生きることができれば、答えが見つかります。「決意や不屈の意思をどうやったら持つことができますか。」という質問はマインドから来たものです。しかし答えはハートの中にあります。ハートの涙の中にあるのです。すべてのことに対してハートの涙が答えです。そしてこの涙を通して神に「神様、私の存在全体を貴方の御足元に置きます。どうかどうか私に決意を与えてください。間違ったことに走るのではなく、正しいことが出来るように。」とお願いします。

質問: 一体感はいつになったら永続するようになりますか。

シュリ・チンモイ: 神を悟ることで得られる一体感があります。この一体感は完全に恒久的なものです。一度悟れば、一体感はずっと続くものになります。ただ、悟りとは理解するものではなく、感じられるものでさえありません。生きることしかできないものです。それで魂の師(スピリチュアル・マスター)は、時々皆が評価したり理解したりできない振る舞いを外的にしたりします。

神を悟る前に完全に神の意思とひとつになる事はできないと思います。私の弟子に関して言えば、外的には私との一体感を確立した者もいます。その弟子たちに何かをするよう頼めば、外的世界で、すぐに喜んで朗らかにしてくれます。周りの皆はそのように喜んで行動している彼らを見て、師と一体感を築いているのだなと思います。しかし内的世界では、ひどい葛藤が起こっていることが多いものです。何故なら、先生が言っている事は正しくない、先生が頼んできた方法は正しいやり方ではないとマインドが言ってくるからです。

内的一体感が5分でも持てたら素晴らしいことを達成したと言えます。しかし残念なことに、弟子の願いが叶えられなかったり、他の誰かの方が早く進歩していたり、自分の調子が悪く下降線だと思ってしまうと、あっという間にこの内的一体感が消えてしまいます。

内的な叡知を使えば、神の意思とひとつになることなしには決して、決して、決して幸せになれないとわかります。中には、鬱やフラストレーションから幸せを感じる人もいます。また、他の人に腹を立て外的にその人に苦しい思いをさせる人もいます。さらに、その人に罰を与えるためそのような振る舞いに出たのは神の意思に沿うためだった、と感じています。人間というのは本当にいろいろな方法で、「神の意思とひとつになるとはこういうことだ、ああいうことだ。」と想像します。しかし悟る前に神と永遠の一体感を築く事は不可能だと私は思います。もちろん、そのシーカーが悟りの寸前まで来ているなら話は別ですが。それ以外の場合、この瞬間は完全に神および神の意思とひとつになっていても、次の瞬間には何か悲しい知らせを耳にし、その一体感は全然なくなってしまいます。一方何か嬉しい知らせを受け取ると一体感が戻ってきます。

もう一つ一体感についてですが、そこに実に大きなプライドが存在することがあります。数分、数時間、数日間という期間、神の意思とひとつになれたとします。するとその人は巨大なプライドで一杯になります。こちらを見ては、「他の人は一体感を確立していないな。」と確認します。あちらを見ては「他の人は神の意思から遥か遠いところにいる」ことを確かめます。

ですからすべてのことに対して、正しいことをして神の時を待つのが一番です。マインドが非常に活発でハートに明け渡していない間は、永続的一体感を持つ事は不可能です。マインドがハートに明け渡し、またはハートから助言をもらうなら、一体感を確立するのはもっとずっと簡単になります。魂はいつでも神の意思とひとつです。その一体感は完全に永久なものです。しかし魂は身体、バイタル、マインドの中でそれらを通して機能するほど強くありません。時にはハートを通して機能する充分な強ささえありません。

神の意思が何なのか魂にはわかっています。しかしそれを魂がマインドに言うと、マインドは反抗します。バイタルに言っても反抗します。そして体に伝えると寝始めます。

神の意思とひとつになるためには、身体、バイタル、頭、心、霊的すべてにおいて自分を捧げる必要性を感じましょう。いつでも準備ができてないといけません。神の意思が何なのかはわからないが、神の意思が存在する事は知っています。神の意思が何なのか知る必要はありません。イエス・キリストが唱えた聖なる祈り「御心のままに。私の意思ではなく常に御心を。」と言う祈りを繰り返せばいいのです。神の意思が何か知らないのに神はどうやって働くのかと思うかもしれません。しかし神の意思が何なのかを知る必要は全くありません。ただ神に「神様、御心が何なのかわからないし知りたいとも思いません。ただ祈ります。私の中で私を通して御心が遂行されますように。」と祈ってください。

神がその意思を貴方の中で貴方を通して遂行し始めたら、神が貴方の内的人生と外的人生において貴方との一体感を確立したということです。ただ最愛のスープリームに、「一瞬一瞬自分の中で自分を通して行動してください」と祈りましょう。一体感とは何なのかを考えるのではなく、こうすることで一体感を確立します。「神の意思、神の意思、神の意思、私の意思ではない。私の意思ではない。私の意思ではない。」と繰り返せれば、寝ている間も夢を見ている間も同じ内的な声が聞こえてくるようになります:「スープリームよ、御心、御心、御心。」「御心」と言うたびに、神の意思との一体感を確立します。

Part VII

CSC 44-48. 次の質疑応答は2005年1月3日、中国青島のハイチャンホテルでなされました。

質問: ある人があることを最初に行ったら、その人は内的世界で他の人のための草分け的存在ということですか? 例えば誰かが1マイル4分のペースを破ったら、他の人が後に続くのはもっと簡単になりますか?

シュリ・チンモイ: もちろん、絶対にその通りです。誰かが何かにおいて先駆けとなると、その人のおかげでこの世に新しい夢が花開いたと言えます。他の人も入ってくることができるよう扉を開けたのです。後で同じことをする人たちは、もう前例があると知っている強みがあります。前例が何もないのに成し遂げた人は、非常に困難な挑戦を受け入れた人なので、記憶に留めないといけません。ヒマラヤ登山のようなものです。初めて成就した人は賞賛に値します。後続の人はより容易く同じことをし、その人の最初の記録は破られるかもしれませんが、初達成は名誉あることです。

質問: 自分の魂から愛情と許しを早く得る方法はありますか。

シュリ・チンモイ: ただ自分の魂を想像し、芯からの涙を流してください。想像はそれ自体一つの現実です。自分の魂を本当に可愛らしい子供だと想像してみてください。そしてその魂の前で苦い涙を流してください。魂は今までに貴方が犯した間違いを全て正しく導いてくれるでしょう。

質問: 先日グルのシンセサイザーを聴いている時、様々な資質が演奏の別の部分で前面に出てきたように思いました。内的に何が起こっていたか教えていただけないでしょうか。

シュリ・チンモイ: これは話すことではなく、感じることです。雷のようだと感じた人もいれば、フルートのようだと感じた人もいるでしょう。雷のような轟が好みならその部分が良いと思い、フルートの甘美な調べが好きなら、そこを良いと感じるのです。

質問: 家に戻り仕事をしている時、グルの姿をなるべく頻繁に思い浮かべようとしますが、いろいろ忙しいためにそれが難しい時もあります。それでもハートに集中すると、光や喜びで一杯なのをよく感じます。これで充分なのでしょうか。

シュリ・チンモイ: 充分です。集中するのが難しいなら何回か息を吸って吐いてみてください。ゆっくりと深呼吸をして、私のこと、特に私の微笑みを思い出してみてください。これまでに何度貴方に微笑みかけたか思い出してください。それが難しければ、すぐにトランセンデンタル・ピクチャーを見てください。弟子は皆トランセンデンタル・ピクチャーを財布の中またはチェーンにして身に付けています。トランセンデンタルが全てをしてくれるでしょう。トランセンデンタルが微笑んでいるのは見えないかもしれませんが、トランセンデンタルを見ながら私の微笑んでいる写真1枚を思い出せれば、トランセンデンタルに笑顔の私を見ることができます。トランセンデンタル・ピクチャーは私の至高の高みですが、微笑みが必要なら私の笑顔の側面に集中すれば、トランセンデンタルにそれを見せてもらえる事は間違いありません。トランセンデンタルは常に私の最高の高みを保っているのですが、笑顔を見せることもできます。トランセンデンタルには全てがあり、またすべてです。私が遺していくものの中で、世界が永遠(とわ)に大切にするものがあるとすれば、それはこのトランセンレンタル・ピクチャーです。これはただの写真ではありません。超越の意識を象徴しています。この写真を見るのは私の超越の意識に集中していることに他ならず、ただ紙に印刷された1枚の写真を見ているのとは違います。

質問: マインドはどうして、天国を訪れるのを怖がっているのですか。

シュリ・チンモイ: マインドが天国を訪れるのが怖いのは何故でしょう。私は天国へ行って暮らしたくて仕方が無いのに、貴方はそれが怖いのですね! マインドを使って天国を訪れようとすると、すぐに自分がこれまでしてきた向上心なく、神聖でない本当にたくさんのことを思い出します。マインドは天国のことを思うとすぐに怖くなります。今までしてきた悪いこと全てを天に暴露されると思うからです。

しかしハートを使って天国へ行けば、全然怖くありません。ハートは小さな子供のようなものです。子供はお母さんの所へ行くのもお父さんのところに行くのも怖くありません。自分には何の秘密も無いと感じています。子供をきれいにして真実を教え、あらゆる意味で善い人であるよう補助するのは親の責任です。子供は怖がっていません。火に向かってでさえ走ってやってきます。火で火傷をしてしまうということも知りません。ただ新しい場所に行けるのが嬉しいのです。子供にとって天国とは新しい場所ですから。

ハートを使ったら天国が怖いことは決してありません。しかしマインドを使えばすぐに、昔からしてきた悪い事がすぐに思い浮かび、怖くなってしまいます。生徒が勉強も宿題もしていなかったら、学校へ行くのが怖いものです。先生に怒られると思うからです。しかし一生懸命勉強して、宿題もきちんとしてあれば、先生を怖がることはありません。テストには通るとわかっているからです。

マインドはテスト前の生徒のようなもので、ハートは両親に向かって駆けていく小さな子供のようなものです。

Part VIII

CSC 49-60. 2005年1月14日、シュリ・チンモイは「北京科学技術レポート」ガイア記者からの質問に電話で答えました。ガイア記者は北京から、西安のシャングリラ・ゴールデンフラワーホテルに滞在中のシュリ・チンモイにインタビューしました。

_シュリ・チンモイ:_ おはようございます! おはようございます! ガイアさんとおっしゃるのですか。ガイアというのはインドの名前でもあることをご存知ですか。インドではガヤという非常に神聖な街があります。ブッダガヤは巡礼の地です。その近くに仏陀が解脱した菩提樹があります。そこで仏陀は完全なる悟りに達したのです。ですから私たちにとって実に聖なる場所です。

いくつか質問があられるそうですが、どうぞ始めてください。

質問: 貴方はたくさんの楽器を演奏されますが、どの楽器が一番お好きですか。

シュリ・チンモイ: そうですね、かなりたくさんの楽器を演奏しますが、一番気に入っているのはエスラージです。これはインドの楽器でムガール帝国皇帝の時代、500年以上前に起源を持ちます。その皇帝の中でも一番偉大なアクバル大帝は、宮殿で音楽家達にこのエスラージを演奏させました。

質問: 音楽を通してどのようなメッセージを伝えたいのですか。

シュリ・チンモイ: ご存知のように音楽は普遍の言語です。中国語を習う必要はありません。もちろん習えるならそれに越した事はありませんが。貴方もベンガル語を知らないけれど、習う必要はありません。私のベンガル語の歌は、甘美なメロディーで貴方のハートに入っていくことができます。また、こちらで中国の歌をたくさん聴き、非常に深く感動しました。中国語は一言もわかりませんが、音楽に言葉の壁はありません。瞬く間にハートに届きます。ですから他国の音楽でもすぐに理解したり、賞賛したり、価値を認めることができるのです。

このようにして音楽は我々の人生で非常に特別な役割を担っています。これまで実に様々な場所でコンサートを行ってきました。私の音楽演奏は、自身の内的感情に基づいています。誰でも自分の人生を非常に信頼しています。私はインド人なので祈り瞑想します。これが私の生き方であり、ライフスタイルです。そして自分の内的祈りと瞑想の大切さを、演奏を通して伝えようと試みています。

私は神を信じています。他のシーカー(=至高の真実の探求者)の中には、「真実」を信じているという人もいます。私の言う神とその人たちの言う真実は同じことです。「光」を信じているという人たちもいます。お釈迦様は光を信じました。神は全く信じていませんでした。お釈迦様の内的光は私たちの言う神と同じことです。神と光を分かつことはできません。神と真実も分かつことはできません。同じように、貴方が貴方自身を強く信じているなら、ここで言う「自分を信じる事」は私の言う神と同じです。神は光でも、真実でも、信じる事でもあり得ます。そしてとても強く信じる事を「信頼 (faith)」と呼んでいます。

質問: コンサートでは、何種類の楽器を演奏されるのですか。

シュリ・チンモイ: 演奏時間が2時間半の場合大体20から25種類の楽器を演奏します。1時間15分ほどの演奏時間だったら、12から13の楽器を演奏します。そして100種類もの楽器を演奏し、自分をひけらかすことも時にはあります! ですがこれは自分の教え子達に向けてだけのことです。教え子の皆に喜んでもらうためです。これまでに100種類以上の楽器を演奏したことが2度あったと思います。 教え子達は実に実に心優しく物惜しみしません。自分の国から楽器を送ってくれるので、そのたくさんの珍しい楽器を演奏するのが楽しいのです。ご存知のように、私は器用貧乏です。音楽家ですが芸術家でもあります。詩人であり歌い手でもあります。ウェイトリフティングもします。しかし正直なところどれも達人とは言えません。自分が達人でありたいと願うのはたった一つで、それは祈りの人生であり瞑想の人生です。私は人生を祈りと瞑想で始めました。そしてこの世を離れるその時まで、この二つを継続したいと思っています。我が人生で最も重要なのは祈りと瞑想です。他の事は全て二の次です。

質問: 最近起こった津波のような自然災害に対して、二通り反応の仕方があると思います。一つ目は、自然に対し人間はもっとはるかに敬意を払わねばならないと感じることです。二つ目は、最優先は人間であり、だから科学をもっと発達させ災害から人間を守ると言う考え方です。貴方はどちらの見方をしていらっしゃいますか。

シュリ・チンモイ: 私は心から両方の味方に賛成です。まずは自然に敬意を払わねばなりません。ゴルバチョフ大統領などが必死で母なる自然を守ろうとしています。あちらこちら、至るところで自然が破壊されていて、ゴルバチョフ大統領のグリーン・クロスという団体は環境を保護しようとしています。自然は私たちの内的人生、より高い人生の表現です。良いものは全て自然から得ています。美、静けさ、謙虚さ、簡素さ、などたくさんの神聖な資質のことです。何よりも自然はのびのびとしています。マインドが発達すると実に複雑になっていきます。自然に物事を行うことができなくなります。自然はのびのび生きる力を取り戻す助けになります。自然は私たちが世界の良き市民になれるよう、数え切れないほどの方法で助けてくれます。ですから自然に敬意を払い敬愛しなければならないのです。

貴方の言われた二点目は、もっと科学を発達させ災害から人間を守る必要がある、です。これにも完全に賛成です。科学技術は発展せねばなりません。しかしこんなことを言っては申し訳ないですが、どんなに科学技術を発展させてももし自然が怒り狂ったら、どんな科学技術でも降伏させる事はできません。宇宙的自然は人間の科学的功績より果てしなく強力なものです。母なる自然が激怒したら、太刀打ちできません。

ですから二つの方法があるということです。科学を発展させる事と、自然の怒りで自然災害が起こり苦しめられる事がないよう、母なる自然に敬意を払う事です。この二つとも絶対に正しいですが、もう一つ、この二つの妨げには全くならない方法があるので、付け加えてもいいでしょうか。それは祈りです。至高の存在、最強の存在、最も強力な存在に危害や自然災害から守ってもらえるよう、すべてのこと、すべての人から守ってもらえるよう祈ることです。

この三つの方法全てを同時に取り入れることができたら、自然災害を回避できる可能性が高くなります。

質問: つまり、愛と英知と科学を全部同時に前面に持ってくる必要があるという意味ですか。

シュリ・チンモイ: そうです。この三つ全て、つまり自然への愛、内的英知、そして科学の発展全てを組み合わせないといけないと思います。そうすれば自然災害に対峙することができます。内的英知は愛に他なりません。一体感の感覚です。誰かを心から愛していたら、その人から傷つけられる事はありません。

この世界はたった一つの家族です。貴方は私の妹で、私は貴方の兄です。全世界が大きな家族であり、兄弟姉妹で成り立っています。この家族の一人一人が世界全体に貢献できる独特のものを何か持っています。皆で平和の中に共に生きることもできれば、言い争いや喧嘩をして戦争を仕掛けることもできます。

このように我々のこの世界の選択肢は二つです。一つは友情、兄弟愛、一体感を確立すること。もう一つは征服または破壊しようとすることです。二つ目の方法をとると最終的には自分自身を滅ぼします。

人として皆が実際に求めているのは喜びであり、幸せであり、満足です。このような資質を得られるのは、自分を他の人たちとひとつに結びつけた時だけです。他の皆は自身の現実の延長でしかないからです。世界家族の他の皆と一体感を確立したら喜びが得られ、この喜びはずっと続きます。しかし力や権力を使ったり、手段を選ばず他人を征服しても、ずっと続く喜びを得ることはできません。

一つ目の方法は絶対に正しいやり方で、世界家族の全員と一体感を確立することです。もう一つのやり方は優越感の歌を歌うことです。自分は他人より強いことを証明しようとしたり、自分の方が強いと世界に知らしめねばと思う事です。これは間違った方法で、分断からではなく、ひとつになることでしか喜びは得られません。

自分自身を広げ、自らの翼を広げて世界全部をまさに自分のものとし、母なる自然を愛すると、その時得られる喜びはずっと続きます。そしてこの喜びには甘美さがあります。非常に優しい甘美さです。この喜びを私たちは切望しています。創造物の喜びです。

質問: どうしたら人は愛を持てるようになりますか。

シュリ・チンモイ: 愛がなければ何を目指しているのでしょうか。世界を愛さないのは、世界に対して中立でいるか無関心でいることです。世界を憎んだら自分自身を滅ぼします。一方無関心だったら何も喜びがありません。世界を愛し自分自身のものとし、受け入れる必要があります。何のためでしょう。世界をもっと良くするためです。

どうしたら愛を持てるようになるかという質問ですね。答えは、愛さなければどうなるでしょうか。今私たちが見ている世界は憎しみ、支配、優越感ばかりです。お互いを愛さないことで本当に苦しんでいます。

しかしどうやって誰かを、または何かを愛するのでしょうか。まず自分自身を愛さなければ他人を愛することはできません。朝早く自分が幸せであれば、道で会った人誰にでも挨拶したり微笑みかけたくなります。しかし朝不幸せな気分だったら、周りを見ようともしません。不愉快な気分で、人のせいで一日が台無しになったとまで言ったりします。内的に幸せなら、世界全部が良いものになります。しかし内側奥深くで不幸な思いだったら、世の中全部のせいにします。自分を責めるのではなく、世の中のせいにするのです。でも実際悪いのは誰でしょう。自分自身の責任です。

ではどうやって世の中を愛したら良いでしょうか。喜びを作り上げることで世界を愛せると思います。喜びから愛を得、愛から喜びを得ます。どうやって喜びを創ったらいいでしょうか。何かをすることです。小さな子供は人形で遊ぶことで喜びを得ます。もし神を信じているなら神に祈ることで喜びを得ます。喜びを得ると、すぐにそれを毎日の生活に活かしたいと思うようになります。するとこの喜びが愛に変わります。

自分たちに喜びを与えてくれるものが何なのか、注意を払いましょう。喜びから愛を得られます。喜びから始めましょう。私たちがこの世にやってきたのは、世の中で喜びを与え、喜びを受け取るためです。しかし残念なことに、多くの人がハートではなくマインドを使っています。そのために世の中から喜びを得るのが本当に難しいと感じています。マインドはただ分断することでしか喜びを得られません。現実を切り刻むことで喜びを得ようとします。ハートは現実をそのままにしておきたいと思い、切り刻みたいとは思いません。

ですから答えはハートです。ハートには喜びがあり愛があります。それに対してマインドに喜びは全然ありません。更に、ハートから得た内的喜びをマインドは全部取り去ってしまいます。マインドのせいで、周りを疑い周りに嫉妬します。誰かが良い人だったり、何か素晴らしいことを達成しても、疑うマインドを使ってその人を見くびったり、その人の成果を卑下しようとします。他の誰かを疑ったり嫉妬することで、何か喜びが得られるでしょうか。それに対し、ハートを使えばその人と一体になることができ、本当に大きな喜びが得られます!

本当に素敵で美しい曲をハートを使って聞いたら、その音楽、歌い手、またはメロディーとひとつになります。自分自身が歌い手でそのメロディーを歌っていると感じることさえあるかもしれません。しかしマインドを使うとその歌い手に嫉妬したり、音楽に嫉妬心が湧いたりします。

このようにハートから得られる経験とマインドから得られる経験は違うものです。前者は他の人を高く評価し、後者は他の人の栄光を最小限にしか評価しません。前者は私たちを本当に幸せにしてくれ、後者は不幸な気持ちにさせます。もし中国の歌が流れていてそれを聞くのにハートを使ったら、本当にその音楽との一体感と喜びを得ます。しかしマインドを使ったら「いや、私のインド音楽のほうがずっといい!」と思うことでしょう。同じようにもし貴方もマインドを使ったら、「インド音楽は馬鹿げている。眠ってしまう。演奏が始まると他に何もすることがなくなる。」と言うことでしょう。しかしハートを使ったら「インド音楽は本当に綺麗で癒されて、心に焼き付いて離れない。」と思うことでしょう。

批判的なマインドを使って負け犬になるのは誰でしょう。私たち自身です。誰かを批判しても決して決して幸せになる事はありません。なぜなら私たちの内側にある本質は愛、永続的な愛に他ならないからです。このため我々の哲学では、ハートに本当に重きを置くのです。ハートは現実をそのまま受け入れます。他の人が良い人だろうが悪い人だろうが気にしません。他の人に善意を捧げることでその人たちと分かちがたくひとつになります。それに対しマインドは絶えず、他人の良い資質と悪い資質の間を行ったり来たりしています。この瞬間は「誰それはいい人だ。」と言ったかと思うと、次の瞬間には「あんな人と一緒にいるなんて貴重な時間を無駄にしている。」と思ったりします。善意のハートで他の人に歩み寄ることで、その人の魂との友情と一体感が築かれ、途方もない喜びを得られるのです。しかしマインドで他の人に近づくと、その人のあら探しをしようとするばかりです。

マインドを使うと、花の近くへ行ってもいたずらな猿のように、花びらを一枚一枚取って台無しにしようとします。しかしハートを使って花に近づけば、その花の美しさと香りを愛でるでしょう。ハートは喜びを与え喜びを受け取ります。マインドは自らが見ている美しさと現実を壊そうとします。当然批判された人たちは同じように反応するでしょう。力を振り絞って自分自身を防御するでしょう。つまりハートは双方からの愛、マインドは双方への破壊です。

善意が働くと、ハートの扉がすぐに開き、ハートを解放します。貴方の場合完全にハートは開いています。ハートを開くことである目的地に達しました。明日になったら、それで終わりではないとわかるでしょう。最初の一歩は踏み出しました。これはしっかりした一歩であり、愛、喜び、光、平和、至福などの神聖な性質をハートの中に絶対感じることでしょう。この最初のステップでハートが開くと、本当に満足を感じます。そして明日になれば自分の中で実に多くの神聖な性質が花咲くのがわかるでしょう。花びらが一枚一枚開いていく花の如く、貴方のハートの中で実にたくさんの神聖な資質が花咲き、途方もない喜びを得ることでしょう。そして人生には素晴らしい意味がある、と感じる事でしょう。その意味とは自分の愛、喜び、平和、至福を毎日増やしていくことです。

質問: 中国の科学技術について何かコメントしていただけませんか。

シュリ・チンモイ: ご存知のように、私は科学技術に関しては全くの素人です。でもテクノロジーは大好きです。何も知らず無知ですが、使えないというのではありません。中国に最初に来た時、小さな子供たちのために歌をつくりました。古代中国の英知は無類のもので、現代中国の科学技術の発展と共に進んでいる、と歌っています。[fn:csc55-1]

古代中国の英知と現代のスピードに何も齟齬はありません。二つは手を取り合って進んでいます。内側奥深くに行ってみれば、中国が何世紀も前、世界全体に対して捧げた無限の叡智が見えます。そして今中国がこれ以上ない位のスピードで科学技術を発展させていることもわかります。

この二つは共に進んでいます。なぜなら中国は古代の英知を蔑んだり捨ててしまってはいないからです。

また中国の人達は、古代の知恵と現代のスピードを比べることもしていません。ただこの二つを一緒にしようと熱心です。これは内的なものと外的なものが一緒に進んでいるということです。最速で走るには足が二本必要です。全く同じように、もし内的英知だけに頼るなら、現代社会と足並みを揃えて歩くことはできないでしょう。現代の世界にはスピードという利点があります。外的世界で中国はなんと早く進歩していることでしょうか! 内的英知を前面に持ってきて、それを外的なスピードと組み合わせる事で、中国はこれ以上ない程速い速度で進んでいます。内的英知と外的スピードは一緒に進むことができ、中国はそれを全世界に向けて証明しているのです。

言い換えれば、中国の古代英知への愛、そして現代科学の成果への愛、この二つが中国の内的資質と外的能力を結び付けています。中国の内的資質とは英知であり、世界家族全部を包容する愛であり、一体感と光です。中国の外的能力とはスピード、スピード、スピードです。両方一緒に進めるのだ、と中国の実践によって今ここで証明されています。この内外の統合という素晴らしい成果に対し、中国は世界全体そして私の心からの称賛にふさわしい存在です。よって我が小さな心からの評価と賛美、感謝と誇りを捧げます。

[fn:csc55-1] CSC 51,1. シュリ・チンモイ作のこの歌の歌詞は:

```

「僕は中国の立派な子

私は中国の良い子

共に誇らかひるがえす

中国勝利の旗

古代中国英知の海原

現代中国発展の速度—

ほら、世界が注目している!

皆が読め、我らが栄光。」

(2004年12月17日) ```

質問: 中国人をどう思われますか。

シュリ・チンモイ: 中国の方たちが実に実に大好きです。言うまでもないですが、中国の皆さんを見ているとインドの兄弟姉妹を思い出すのです。ここ中国で多くの場所を訪れました。中国の人達を見るとインドと中国の一体感を強く感じます。 何年も前に中国の周恩来主席がインドへ行かれました。そしてネルー首相と非常に親しい友人となりました。インド人は中国を「チン」と呼びます。そしてインドつまりヒンドスタンは「ヒンド」です。それでインド人は「チン、ヒンド、バイ、バイ」と言うスローガンを作りました。これは「中国とインドは兄弟だ。」と言う意味です。この歌を皆がインド中で、本当に魂を込めて歌いました。「チン、ヒンド、バイ、バイ。」ヒンドスタンと中国は素晴らしい友人、真の友人同士であり、二人の兄弟です。

質問: 世界が本当に多くの苦悩に直面する中で、どうしたら信頼する心を持つことができますか。

シュリ・チンモイ: 今世界が直面している苦しみは信じられないものです。この津波のせいで、何千人という人たちが亡くなりました。ある意味、母なる自然が人間に不満であるといえます。この地球上の一人一人が個人的に、あるいは全体的にどれだけ間違ったことをしてきたかが、誠実になってみればわかるでしょう。全体的というのは国家レベル、そして国際レベルでのことです。

間違ったことを無意識にしてしまう時もありますし、わざとする時もあります。例えば小さな子供は火について無自覚です。無邪気だからといって、火の前に立っても火傷をしないということはありません。火の性質は(そばにいるその)子供を燃やすことです。人間として、自分に非常に率直であらねばなりません。自分の能力の許す限り良い事だけしてきたでしょうか。人間は本当にたくさんの間違ったことを自覚しつつ、故意に、悪意を持ち行ってきたことがわかるでしょう。どうしてでしょうか。自分の優位を示したいからです。

ですからこの津波について、自然の反逆、自然の復讐だと言うこともできます。母なる自然は本当の母親のようなものです。母親は子供たちが言い争ったり喧嘩したり全てを壊してしまっているのを見て、その子たちをぶちます。子供たちに良い子になってほしい、世界市民のお手本になってほしいと思っているからです。地球を滅ぼす意図なんて全くありません。そういう思いからは全く遠いところにあります。ただある程度まで子供たちに罰を与えているのです。心を入れ替えるように。

この津波は散々な経験をもたらしました。一方で本当に多くの国のリーダーたちがひとつになり、甚大な被害を受けた場所に助けの手を差し伸べました。これまでほぼ忘却の彼方に押しやられていた「思いやりの心」を、人は再び前面に持ってきたのです。中国の李肇星外務大臣は非常に優れた詩を書かれており、素晴らしいと思っております。「遠くの友人たちへ」と題した詩です。大臣の絶対的思いやり、愛、一体感を綴っています。このようにこの津波のおかげで人々の良い、神聖な資質が前面に出されたのです。神聖な資質で世界をひとつにすることができます。一方神聖でない資質で世界を破壊できてしまうのです。

貴方の質問に戻ると、苦しみからどうやって自由になれるでしょうか。まずは他の人を愛しその人たちと一体感を築かなければいけません。この一体感は私たちの内的存在に基盤があります。他の人を本当に思う気持ちがあるなら、その人の苦しみをいくらか取り去ることができます。例えば誰かのお母さんが亡くなったとしましょう。親しい友人なら、訪ねて行って慰めます。その結果この人の苦しみは絶対に和らぎます。貴方が分かち合っているので、遺族の悲しみが軽減されます。

今回の津波災害の場合、中国外務大臣、他の多くの国のリーダー、そして世界中の人たちが、思いやりで一杯の心を前面に持ってきました。世界全体で示した共感の心が本当に人類の助けになっています。世界が思いやりの心を使うことで、被害を受けた人たちの苦しみをかなり軽減することができました。

苦しみはありますが、苦しんでいる人たちと一体感を確立することで、それを分かち合うことができます。いつでも善意がないといけません。もし貴方が苦しんでいたら私が助けに行き、逆の場合でも貴方が同じようにしてくれたら、苦しみを減らせます。

苦しみを克服するもう一つの方法ができる日がやってきます。それは光を通して行います。人生は闇と光でできています。闇は私たちを覆い尽くし光を破壊しようとします。一方光は闇を破壊する事はせず、照らそうとします。外的世界で、苦しみは常にあるでしょう。しかしこの苦しみを最小限にする方法があり、それは一体感、一体感を確立することです。思いやりの心と一体感を使えば、苦しみはかなり少なくなります。

この母なる地球という星の究極のゴールは、苦しみではありません。喜びです。天国から私たちは来ました。天は喜びしかない場所です。さてこの地球という惑星で、私たちは悲しみ、不幸で、惨めであり、そのかなりの部分は私たち自身の責任です。しかし意識して自分の愛、善意、一体感を大きく大きく広げ、更に内側深くへ行けば、苦しみはもっとずっと少なくなるでしょう。一人一人にとって、幸せが究極のゴールです。私たちは、幸福の蜜である天からやってきたとわかっています。今これ以上ない位長く暗く明かりのないトンネルを通っているところです。しかしトンネルの終わりには、それがどんなに長いトンネルであろうと、光が再び待っていてくれます。その光とは幸福です。

質問: 中国へいらした目的はなんですか。

シュリ・チンモイ: 毎年クリスマスの時期になると、ニューヨークを離れます。これが毎年恒例の休暇です。今年は文化交流のため中国へ参りました。幼少時代から中国を非常に素晴らしいと思っていました。インド詩人の巨匠ラビンドラナート・タゴールは、1913年にノーベル文学賞を受賞しましたが、中国について本を記していて、その本から非常に多くのことを学びました。 11 偉大な精神的英雄スワミ・ヴィヴェーカーナンダという人も書簡の中で中国について記しています。それに加え青年時代から中国について多くのものを読み、中国の思想家、芸術家そして文化に非常に敬服しています。

この賞賛と愛一杯の心で中国へ来ました。これは文化交流です。教え子と共に歌い演奏します。芸術と文化を愛する者として、滞在中中国のインスピレーション溢れる資質を見、吸収したいのです。善意、兄弟愛、一体感を捧げにやってきました。一方で心から中国に感嘆しています。それぞれの出身国から持ってきたものを捧げ、反対に皆さんの最愛の母国である中国から良い資質を受け取り自分自身の資質を豊かにしたくて参りました。皆さんが持つものを受け取ることで、我々自身の内的な富が増えます。そして私たちの携えてきた善意、音楽、生き方が何か皆さんのためになれば、これほど嬉しい事はありません。ですからこれは双方へのギブ・アンド・テークです。


CSC 54. 「中国での講演」コルカタ、1925

質問: マザーテレサとの関係について話していただけませんか。

シュリ・チンモイ: マザーテレサは私の母であると同時に姉でもありました。この瞬間は母のように非常に厳しくありました。そして次の瞬間には姉のように非常に優しく愛情いっぱいでした。ここ何年かの間に三度、一緒に中国に来なさいと言われました。何のためかというと、中国の役に立つためでした。

残念なことにマザーテレサが中国へ来たいという願いは、神に満たされる事はありませんでした。しかし私が中国へ到着した日、彼女の魂が非常にはっきりと見えました。これは本当のことです。マザーの魂がやってきて私を祝福してくれたのです。何故なら中国に来るという彼女との約束を果たしたからです。廈門では小さな子供たちのための音楽会を開きました。その日マザーテレサの魂は本当に幸せそうで、特に1000人以上もの子供さん達が私たちの歌「僕は中国の立派な子、私は中国の良い子」を歌った時はそうでした。

今回の中国滞在中、マザーテレサの魂に導かれていると、強く感じ、またそれが見えます。夢でも見ているのではないか、と言われるかもしれませんが、彼女の魂はただ祝福のため私のところへやってきて、内的に導いてくれるのです。マザーテレサは本当に心から中国へ来て中国の助けになりたいと願っていました。生前はたくさんの国へ出向いた方です。どの場合もその国の人たちの助けになりたいという思いだけでそれぞれの場所へと出向きました。

私は永遠にマザーテレサに感謝しています。マザーのハートはこれ以上ない位大きなものでした。もちろんコルカタだけでも、何百万人もの人が想像を超えた慈悲と愛情をマザーから受け取ったわけですが、コルカタに留まらず、マザーは世界すべてのための存在でした。マザーテレサは母なる地球が父なる天から受け取った、唯一無二の方でした。

質問: 貴方のされている「ひとつの心で世界を持ち上げる」プログラムについて教えていただけますか。

シュリ・チンモイ: 世界全体と一体感を表現する方法は本当にたくさんあります。一人一人のやり方があると思います。私の場合、このやり方で役に立ちなさいと、自分のインナー・パイロット(内的導き手)に言われました。それは頭上に人を持ち上げることです。サッカーの試合では選手の一人がゴールを決めると、その選手の活躍を皆で喜び、その喜びを表現するためチームメイトが胴上げします。

このプログラムの場合も同じです。世界向上のため善いことをした人たちがあらゆる分野におられます。その人たちのお役に立つのは自分の絶対の義務だと感じています。世界全体に対して大きく貢献した方々に喜んでもらいたいのです。両腕あるいは片腕でその方たちをリフティングします。この方法で長年かけ7000人の方々を持ち上げてきました。その中には大統領や首相、著名な方々も含まれます。ネルソン・マンデラ大統領、デスモンド・ツツ大司教、ラヴィ・シャンカール、モハメッド・アリなどです。

子供たちもリフティングします。子供たちは未来であり、また八十路を超えた方々も何人かリフティングしてきました。インドネシアでは、100歳を超えた女性を一人リフティングしました。100歳以上長生きできる人はあまりいませんよね? この方も素晴らしいことをしてきたのです。「長寿」を皆に見せてくれました。

とにかく誰かが何か他の人にない独特なことをした場合、その人を讃えたいのです。ノーベル賞受賞者、科学者、政治家。皆が同じ家族の一員です。その中にはすでに自らの能力で世界に貢献した方々もおられます。その方たちの助けになりたくてリフティングし、感謝と賞賛の気持ちを表現します。一方まだ蕾の方たちもおられます。人類の子供たちです。まだ完全に花開いてはいませんが私たちの未来です。ですから全力で応援している気持ちを捧げ、その子たちもリフティングします。

中国滞在中に、中国の心と魂のお役に立てることを願っております。

Part IX

CSC 61. 2005年7月1日、グアテマラ訪問中にシュリ・チンモイは以下の質疑応答をしました。

質問: 南アメリカはどのような資質をもっと育み、世界に捧げたら良いでしょうか。南米が持っている特別な資質というのは何ですか。

シュリ・チンモイ: 貴方達皆が持っている一つ非常に特別なものは、一体感、一体感、一体感の感覚です。ただ、一体感はあるのですが、南米の国すべて、貴方が言う国すべて人の役に立ちたいのであれば、ダイナミックな熱意をもっと増やさないといけません。ただの熱意でなく、ダイナミックな熱意が必要です。ダイナミックな熱意があれば貴方達の国が持っている特別な光を前面に持ってくることができます。皆さんの国々が持っている溢れるほどの無限の光は、ダイナミックな熱意を持って初めて前面に出てきます。ダイナミックな熱意があり、それが行動に移された時、世界中至るところで奇跡を起こすことができるでしょう。

熱意は眠っていることもあるし、ダイナミックで進歩的なこともあります。残念なことに、皆さんには熱意が欠けています。どの国にも良い資質と悪い資質があります。ただ、悪い資質の話をしたからといって、がっかりする必要はありません。それどころかこれを機会に自分の内的強さを全て振り絞り、愛する国々のため、そして世界全体のために何かをしようと思うべきです。一体感はあります。皆さんの一体感の心を見ることも感じることもできます。そして今必要なのはダイナミックな熱意です。ですからダイナミックな熱意を前面に持ってきて世界の他の地域にインスピレーションを与え、世界の他の国々のためにアスピレーションを持つようにしてみてください。

愛や、他の良い資質があったら、それを広げないといけません。そのために必要なのは熱意です。毎日熱意を呼び起こさないといけません。

熱意が(今)ないからといって、明日も熱意を育んだり発達させることができないということはありません。ただ弟子の中には、何ヶ月間も限りない熱意で魂とハートに栄養を与えてきたのに、その後その同じ弟子がハートと魂を枯渇させてしまう場合があります! スープリームを体現するため本当に一生懸命働き、その後がっかりして挫けてしまい、熱意が折れてしまうのです。その後再び熱意を生き返らせるまでに時間がかかります。

また他の弟子は、レクチャーをする時ものすごい熱意を持って話し始め、最高速度で走ります。そしてがっかりしても完全には熱意を失ってしまいません。ただゆっくり、非常にゆっくりと進むのです。ジェット機のスピードから、インドの荷車のスピード位にまで落ちます。しかし諦める事は決してありません。希望を保っています。諦めないこの弟子たちには本当に感謝しています。

すべてのことに相応しい時がありますが、私たちにできることは、諦めないことです。マニフェステーションを荷車のスピードで行ったとしてもいい、ただ諦めてはいけないのです。新しい小さなセンターが早く走れる日がどの時点でやってくるのか、誰にもわかりません。それぞれのセンターには一人しっかりとした人がいればいいのです。一人が自分を捧げダイナミックであれば、そのセンターは非常に強くあることが可能です。このようなセンターは何箇所かあります。一人がセンターを生かしているのです。

何年も前に起こった話を一つしましょう。インド領事館で私に最初に仕事をくれた上司はメロトラさんと言いました。私には学位がなかったのに、仕事をくれたのです。後でアルゼンチンのインド大使になられました。その時娘のアパルナさんがある弟子ととても仲良くなりました。彼女はアルゼンチンで唯一の弟子です。何年も何年もグルの光を体現しようと熱意を保ってきました。センターには他にメンバーが増えませんが、決して決して諦めた事はありません。

メロトラさんがこの弟子に会われたとき「アルゼンチンではもう他の弟子は要りませんね! 一人で充分ですよ。なんて献身的なお弟子さんなのでしょう。」と言われました。弟子が褒められた時は、決してそれを忘れる事はありません。

Part X

CSC 62-95. 1989年8月26日ニューヨークのジャマイカにあるアスピレーション・グラウンドで、シュリ・チンモイはウェイトリフティングについて以下の質疑応答をしました。

質問: リフティング中、魂は何をしているのですか。

シュリ・チンモイ: 良い意識にいると、魂はリフティングを見ています。良い意識にいないのであれば、魂はもっとずっと重要な他のことをしています。

質問: ある筋肉が他の筋肉より発達した場合に魂が喜ぶ、という事はありますか。

シュリ・チンモイ: いいえありません。筋肉が発達するかはボディービルダーと、筋肉自身のアスピレーション(向上心、切望)にかかっています。魂は競争するスポーツは何も楽しいと思いません。

質問: 人類の体は、1000年前と比べたら今の方が健康で良い状態ですか。

シュリ・チンモイ: これは非常に難しい質問です。かつての黄金時代の方が、人の体格は絶対にもっと良かったと言う人もいるでしょう。自然が助けてくれたからです。今は機械の世の中になり、多くの意味で人類の簡素さ、誠実さ、純粋さ、自発性を壊してしまいました。

また一方で、このような資質は現代社会でも壊されてはいないと言う人もいるでしょう。もし汚れのない美しさ、清らかさ、簡素さなどの神聖な資質を保ちたければ、できます。実際、現代社会つまり科学の世界は、インスピレーションとアスピレーション(切望)の世界の大きな助けになりえます。

ですから答えはその人によります。1000年前は体がもっと鍛えられて良い状態だったと言う人もいれば、そうではないと言う人もいるでしょう。自分自身の人生の中に答えを見出し感じないといけません。

質問: マハーバーラタの時代、ミスター・ユニバースのような筋肉を持っていた戦士がいましたか。

シュリ・チンモイ: ミスター・ユニバースより鍛えた筋肉で、良い輪郭を持っていた戦士は、何人かいました。当時ノーチラスやユニバーサルといったリフティングのマシンはありませんでした。そういう機械はなかったのですが、自然が助けてくれました。自然に祈り、運動し、母なる大地に栄養を頂きました。言うまでもなく、ビーマ(注:マハーバーラタのパンダヴァ王子5人兄弟の次男)の体格はミスター・ユニバースやミスター・オリンピアに全く引けを取らないものでした。

質問: もっと体を鍛えたら、受容力も促進されますか。

シュリ・チンモイ 体を鍛えていてもアスピレーションは持っていない人たちはたくさんいます。内的にアスピレーションを持たなければ受容力など問題外です。内的人生、スピリチュアル・ライフを信じていなければ、受容力が増えるわけはありません。体を鍛えると同時に、内的にアスピレーションを持つ必要があります。それで初めて受容力が増加します。

質問: ステロイド使用について、スープリームはどのように見ているのですか。

シュリ・チンモイ: ステロイドを使用している人に対し、スープリームはいつまでも絶えることのない涙を流しています。なぜならスープリームの意思に完全に反することだからです。スピリチュアルな観点から言うと、そのような人生を楽しんでいる人たちは完全な落伍者です。自然に反する事は何でも神に反するということです。自然は母なる神です。母なる神の決まりと原則を犯すのならば、父なる神がどうしてそれを許容できるでしょうか。どんな方法であれ自然のルールが犯されたなら、父なる神は非常に悲しみ落胆します。 アスピレーション(高みへの切望)を持てば母なる大地、つまり自然のハートの内側に全てを得ることができます。しかし人間は自然から助けを得ることをしません。薬を飲み人工的な手段を取ります。そしてこの愚かさのためほどなく健康を損ない、記憶力を破壊し、他にも本当にたくさんの神聖な良いこと、薬を飲んでいなかったらできた、世界にインスピレーションを与えたであろう事を台無しにしてしまいます。

質問: トレーニングや運動中に喜びが得られるようになるマントラか祈りはありますか。

シュリ・チンモイ: 決まったマントラはありません。シーカー(真実の探究者)なら「スープリーム」、「神」または何か本当にインスピレーションを受ける言葉を繰り返したら間違いなく、単調さやインスピレーションの欠如に光を当てる助けとなることでしょう。

質問: ウェイトリフティングやボディービルディングで意識を向上させることができますか。

シュリ・チンモイ: スピリチュアルに行うなら、つまりスピリチュアルな方法を取るなら、意識を向上できますが、そうでなければ向上はしません。

質問: この人生でグルがされた身体的功績で、最も意義深かったのはいつですか。

シュリ・チンモイ: 象をリフティングした日、確かな強さが見えました。小象ではなく大きな象を持ち上げた日です。いつも言っているように象は強さの象徴です。象を持ち上げている時、新しい世界が開けるであろうというのが見えました。その世界は身体だけでなく、バイタル、マインド、ハートの領域にも堅固な強さを持つでしょう。象を持ち上げながら確かな強さの新しい世界が見え、この新しい世界はすべての意識の領域に行きわたるものになる—これが私にとって非常に意義深い経験でした。

質問: 将来使えるよう、余分なエネルギーを貯めておく方法はありますか。

シュリ・チンモイ: あります。それは子供のように祈ることです。その祈りが余分なエネルギーを貯めておくかなりの助けになります。そして神の時が来て必要となったら、そのエネルギーを使うことができます。このように祈りを通してエネルギーを保持し、時が来たらそのエネルギーを使うことができます。

質問: 機械でトレーニングしても、フリーウェイトでトレーニングしても、得られる喜びは同じですか。

シュリ・チンモイ: いや、私はフリーウェイトのほうがずっと大きな喜びが得られます。

質問: マラソン選手は宇宙の神々と何か関係がありますか。

シュリ・チンモイ: そのマラソン選手によります。そのランナーがシーカー、つまり神を愛する人であるなら、宇宙の神々とつながりがある事はあり得ます。ただ西洋では、東洋の、特にインドで皆が信じているようには宇宙の神々を信じてはいません。残念なことにインドでは、優秀なマラソン選手は片手に収まる程しかいませんし、その人たちがスピリチュアルかどうかも分かりません。 ですから完全にそのランナーによります。その選手が宇宙の神や女神に祈り瞑想して初めて、そのような神に自由にアクセスすることができます。そうするとその人が走っていたり何か他の運動をしているときに、宇宙の神・女神がその人を守ってくれます。

質問: 長距離ランナーに重いウェイトでのトレーニングは有益ですか。

シュリ・チンモイ: 長距離ランナーは軽いウェイトだけでトレーニングする方がいいと思います。重いウェイトは不要です。

質問: ボディービルディングやウェイトリフティングが他のスポーツの助けになりますか。

シュリ・チンモイ: ボディービルディングやウェイトリフティングは、他のスポーツのかなりの助けになる可能性はあります。邪魔にはなりません。しかし他のスポーツで上達するのに、ウェイトリフティングとボディービルディングがどれだけ必要なのかを見極めてください。

質問: ウェイトリフティングで内的な強さが育まれますか。

シュリ・チンモイ: いや、それはできません。内的な強さというのは全く違うもので、アスピレーション、つまりハートの内的叫びが必要です。それがなければ、肉体的には非常に強いかもしれませんが、内的、精神的にはこれ以上ないほど貧弱な人の可能性があります。

質問: グルがリフティングをされる時、私たちの無知を持ち上げているのですか。

シュリ・チンモイ: リフティング中に貴方達とひとつになったら、確実に皆の無知を持ち上げています。そして貴方達も私とひとつになるなら、皆の無知を確かに持ち上げています。そうでない場合、リフティング中は、最愛のスープリームが私自身の無知を持ち上げてくれます。

質問: 私たちの無知は金属のウェイトと同じ位重いのですか?

シュリ・チンモイ: そうですね、無知の持つ重さに比べたら金属のウェイトなんて何でもありません。嫉妬心や不安感を克服する方が、7,000ポンド(約3,175キロ)をリフティングするよりはるかにもっと難しいことです。

練習、練習、練習です! いつの日か神の恩寵が下りてきます。重いウェイトを持ち上げる練習をしばらくすると、最終的には持ち上げることができます。しかし自信のなさ、嫉妬心、不純、不完全、疑いなどを持ち上げるのには一生かかります。

疑いの一つ一つは、たとえそれがほんの僅かであっても、いわゆる金属のウェイトより果てしなく重いものです。重いウェイトが持ち上げられなくても特に大事なものを失う事はありません。無知は疑い、猜疑心、不安感、自信のなさ、嫉妬心などを包含していますが、克服できなければ真の負け犬になります。そしてこういうものはこれ以上ない程重いのです。

質問: ウェイトリフティングは微細な神経を破壊しますか。

シュリ・チンモイ: そうでないことを願っています! 微細な神経は86,000本ありますが、その中の一本も駄目になっていないことを願っています。ウェイトリフティングは何も破壊する事はありません。微細な神経は違う世界に存在するものです。しかし重いウェイトのリフティングをやりすぎると、頭の働きが遅くなるかもしれません。そうなると人生でできないことが幾つも出てくるでしょう。

質問: 体を鍛えてより強くしたが、魂は幸せですか。

シュリ・チンモイ: もちろん体がより強く鍛えてある方が、絶対に魂は幸せです。ただ、体が健康であるのに加えアスピレーションを持っていれば、魂はこれ以上ないほど幸せになります。健康で鍛えた体を、この世に良いことをもたらすために使うなら、魂は限りなくもっと幸せになります。

質問: どうしてウェイトリフターの人たちは見苦しいのですか。

シュリ・チンモイ: 何が美しく、何が醜いかはその人の見る目によります。誰が醜いのか、誰が美しいのか、神のみぞ知るです。ウェイトリフターやボディービルダーやレスラーの外的な体格に美を見出せないのであれば、どうしようもありませんが、彼らは彼らなりの方法で数え切れない人たちに喜びを与えています。

庭の持つ美しさと香りを愛でる人たちはたくさんいます。これは美の一つの形です。庭の美しさが見え、貴方はそれに惹かれるので、そこで時間を過ごします。このように美というのは一種の力です。美には力の側面があり、美そのものが強さです。

一方でウェイトリフティングやレスリングなど、何か身体レベルの動きを見ている聴衆の注意を引いているのは力です。これは破壊的な力では全くありません。破壊しない力というのはたくさんあり、それはただインスピレーションを与えるのです。ウェイトリフティングをしている人は、他の人にも強くあるよう鼓舞しています。身体的にも知的にも心的にも強くあるように。

このように喜びは美を通してもやって来るし、力を通してもやって来ます。この美と力は同じ源から来ています。美から力へ入っていくこともできるし、力から美へ入っていくこともできます。この二つは共にあります。内的な美と内的な力はいつも一緒にあります。

質問: リフティングをする前に今から持ち上げる人に瞑想すると、その人の体重は変わるのですか。

シュリ・チンモイ: 体重は変わりませんが、リフティングされる方に持ち上げる側との一体感があり、そのリフターに善意を捧げるなら、かなりの助けになります。しかし体重自体は軽くなりません。

質問: 教え子の皆さんが貴方のされるリフティングを見ることで、何を得るのですか。

シュリ・チンモイ: 教え子達のためにインスピレーションを造っています。そして彼らが私とひとつであれば、そのインスピレーションを受け取ります。このインスピレーションから様々な人生の領域に入っていき、成功できます。

質問: 体を鍛えることは、精神性に勝るものですか。

シュリ・チンモイ: どれだけ体力をつけても、祈りと瞑想に勝るものはありません。魂を込めて行うなら、体力をつけることが祈りと瞑想の助けにはなりえます。反対に、祈りと瞑想が体力を増強する助けになれます。 しかしこの両者を別々に考えるなら、つまり一方に体力、もう一方に神の慈悲と愛と光と平和を求める一番奥からの叫びを置くなら、体力より内的叫びの方が限りなく大切なものだと私は思います。内的叫びがあれば、もし体力が必要だとは思わなくても、神が与えてくれるでしょう。なぜなら、神は貴方にもっと魂を込め、もっと止むことなく祈り瞑想してほしいと願っているからです。貴方にもっと魂を込め、もっと献身的に祈り瞑想してほしいと願ってるのですから、ある程度の体力は絶対に与えて下さいます。

質問: 教え子もウェイトリフティングをするよう勧めますか。

シュリ・チンモイ: それは完全にその生徒によります。これまでもやっていて、あるいはこれからやりたいと思っているなら、奨励します。しかし非常に重いウェイトをリフティングする事は勧めません。必要ではないからです。私がしているのは、内側に居るスープリームが、創造物のために私に何かするよう願っているからです。しかし弟子は他にすることがあります。ウェイトリフティングをしても良いですが、何千ポンドというウェイトを扱う必要はありません。不要です。

質問: 長距離ランナーは頭の中にどのような思いやイメージを浮かべたらいいですか。

シュリ・チンモイ: 二つあります。「自信」と「自分を捧げること」です。自分の能力を源に捧げてください。そして捧げながら「自分は神に選ばれ、この距離を完走し神の勝利を達成するのだ。」と感じてください。

質問: ランナーにとって最も効果的なマントラはなんですか。

シュリ・チンモイ: 神の名が全てのランナーにとって最も効果的なマントラです。神の名を繰り返すには二つ方法があります。できるだけ早く神の名を繰り返して唱えたい、というインスピレーションが沸いたら、そうしてください。フルマラソンを走っている時もです。一方、深呼吸をし非常にゆっくりと静かに神の名を繰り返したいと感じたら、それも非常に効果的です。

質問: スープリームは自らの体を鍛えるのに何をされるのですか。

シュリ・チンモイ: 知りません。相談されることもありません。

質問: スポーツで自己超越する時、バイタルはどの様に感じるべきですか。

シュリ・チンモイ: バイタルは幸せであるべきですが、同時に他の人を打ちまかす意地の悪い喜びは感じるべきではありません。勝利したら、人類の水準が上がったのだと感じるようにしてください。私が貴方を負かしたとしても、それで意地の悪い快感を感じるべきではないのです。ただ「貴方と私はひとつ。貴方は人類の欠かせない一部であり、私もまた人類の欠かせない一部であり、人類の進歩が、自分の達成の中にある。」とだけ思うべきです。

勝とうが負けようが、それがスポーツに対する見方であるべきです。「人類が進歩を遂げた」と感じるのが最高の幸せです。

最近シューダホタ・カール・ルイスとそのチームメートが400メートルリレーで勝利し、世界記録を破りました。それまでの世界記録は10年前に樹立されたものだったので、破るのに10年かかったわけです。人類がどれだけ進歩したかごらんなさい! ここで勝利したのは誰でしょう? シューダホタとそのチームメートを通してスープリームが勝利したのです。これはスープリームの進歩であり、シューダホタとチームメートが世界全部にそれを示しました。かつて別の4人の選手達を通して、スープリームは記録を樹立しました。今またこの4人の選手達を通してスープリームが新記録を樹立しました。そして時が来たら、また他の4人を通してスープリームが進歩するでしょう。

バイタルは人類の進歩に対して喜ぶべきです。これが正しい態度です。そうせずに、凄いことをしたのは自分のバイタル、自分の力なのだと思い、自分を褒めそやしていると、何日か、何ヶ月か、または何年か経ってプライドが粉々にされる日が来ます。

勝者はいつでも母なる大地、そして人類との一体感に基づき幸せを感じるべきです。人類がその人たちの中でその人たちを通して発展を遂げたのです。人類がもう一歩高い所へ行くために、その人たちが完璧な道具となりました。

バイタルだけでなく、マインドもまた非常に嬉しく思うべきです。マインドは、ある一人のマインドが成功したと感じるのではなく、その人を通して全体のマインドが進歩を遂げたと感じるべきです。ですから進歩がもたらされたことに対し、マインドは大いに喜ぶべきです。

質問: プロのアスリートは何らかのアスピレーション(至高の高みへの切望)を持っていますか。

シュリ・チンモイ: プロのアスリートがアスピレーションを持てない、というこれといった決まりはありません。アスピレーションがあるプロ選手もたくさんいれば、アスピレーションがないアマチュアの選手もたくさんいます。

質問: ステロイドを飲んでいる人がいたら、それはその人自身の問題ですよね?

シュリ・チンモイ: ステロイドを飲んでいる人は、自分個人の問題だと感じています。自分が人類の一部であることに気づいていません。何か正しいことをすれば、人類の助けになります。間違ったことをしても影響されるのは自分個人だけだ、とは思わないように。全員が影響を受けるのですから。何か間違ったことをすると、人類の進歩を引き下げてしまいます。 間違ったことをする人たちは、間違った動きや間違った振動を地球の大気に作り上げ、それで罪のない人たちが苦しみます。同じように、スピリチュアルな人たちのアスピレーションから、人類全体がとてつもなく大きな恩恵を受けます。スピリチュアルな人たちがこの世界にやってくるのは、人類の意識を持ち上げるためです。

質問: 知識人の中にボディービルディングを理解できない人たちがいるのはなぜですか。

シュリ・チンモイ: 生徒が二人いて、歴史や地理といった違う科目をそれぞれ勉強しています。両方の科目を勉強する生徒もいます。ですから知識人の中でボディービルディングが好きではない人がいたら、特に興味を持とうとする必要はありません。

質問: 古代の英雄たちは、どうして凄まじい重さのウェイトを持ち上げることができたのですか。

シュリ・チンモイ: 母なる大地から特別な祝福を受け取り、そのような英雄達は非常に重いウェイトをリフティングすることができました。彼らは母なる大地に祈り、とてつもない強さに恵まれました。

質問: 筋肉を増やすことなく、外的な強さを増強するにはどうしたらいいですか。

シュリ・チンモイ: 私にうってつけの質問ですね! 筋肉の大きさを言えば、私の二頭筋は14インチ以上にはなりませんが、15、16インチある人たちもいます。筋肉が大きいのに強くない人もいるし、筋肉は小さいのにものすごい強さを持った人もいます。

筋肉隆々ならば、喜びを得てもっと自信が得られます。一方で、自分は重いウェイトを持ち上げられるとわかっていれば、自信があるので大きな筋肉は必要ありません。

私の場合、負け惜しみかもしれません! 筋肉を大きくしようと試み、マハシャムラット・ビル・パールに、「二頭筋を15インチにする。」と伝えました。最近私の腕を彼に測ってもらったのですが、本当にたくさんトレーニングをしたにもかかわらず、何も変わっていませんでした。ですから今、「大きな筋肉は必要ない」と言えるのです!

質問: カール・ルイスのようなトップレベルの運動選手は、リラックスするようにと言います。何かこれについてコメントしてくださいませんか。

シュリ・チンモイ: シューダホタ・カール・ルイス、そして他のすべてのアスリートの人生において、リラックスは最も重要なことです。まず心的にハートの中でリラックスしないといけません。そして頭をリラックスさせ、次にバイタルと身体をリラックスさせます。人が何かしたいと思うときにリラックスすると、ハート、マインド、バイタル、そして身体の中に力を得ます。魂の中にも力を得ます。五つの強い内的な力が貴方を密かに手助けしてくれます。リラックスとは内側の密かな世界からの助けです。 このように全てにおいて、リラックスは最重要なことです。しかしこれはあくまでも「リラックス」でなければいけません。「倦怠感」を楽しむこととは違います。マインドを静かに落ち着け、空っぽにすると瞬く間にリラックスできます。マインドを静かで落ち着いたものにすれば、自分の色々な部分を非常に早くリラックスさせることができます。

質問: アスリートはどのように瞑想するのが一番良いですか。

シュリ・チンモイ: そのアスリートが短距離走者なら、スピードに瞑想します。自分のスピードを上げていると想像するのです。ジャンプをする人なら、高さに瞑想します。もっと高く飛ぶ能力があると想像するのです。想像力と言うのはそれ自体が一つの現実です。想像自体が創造物なのです。ですからまず想像の世界に入ってください。幻覚などではありません! そしてこの想像力をインスピレーションの世界へ持ってきて、次にアスピレーションの世界、献身の世界、啓示の世界、そして体現の世界へと持ってきます。一歩一歩進まなければなりませんが、まずは想像の世界から始めます。

Part XI

CSC 96. 1989年8月12日シュリ・チンモイはアスピレーション・グラウンドで、「オムニ・マガジン」のマーク・タイヒ氏にインタビューを受けました。

質問: とても簡単に人を持ち上げられている様に見えますが。

シュリ・チンモイ: 明日のリフティングで1300人を持ち上げることになります。これで私のリフティングは最終日を迎えます。

質問: どうして最終日にされたいのですか。

シュリ・チンモイ: どこかで区切りをつけないといけません! これまで6大陸を訪ね、1300人の方を持ち上げたことになります。もう充分です。

質問: でも筋肉隆々にはなられてないですね。体格も巨大ではないし。どんな原則に則って行なっているのですか。巨体ではないのに、どうしてここまで強くなれたのですか。

シュリ・チンモイ: 祈りと瞑想です。祈り瞑想し、神の恩寵と神の慈悲に完全に頼っています。

質問: 以前は走られていたけれど、その後怪我をなさったと聞いていますが?

シュリ・チンモイ: 自分の力を超えたところまで走ってしまい、右膝を痛めました。フルマラソンを22回、ウルトラマラソンも数回完走したのですが、そんなにすべきではありませんでした。自分には向いていませんでした。インドでは短距離走をしていました。

質問: 体格からいうと短距離向きですよね。

シュリ・チンモイ: 精神的コミュニティーで育ちました。そこでランニング、ジャンプ、投げ競技など練習しました。

質問: 貴方のされている祈りと瞑想は、トレーニングの種類によって、より助けになったりそうでなかったりしますか。

シュリ・チンモイ: 祈りと瞑想が、必要なことや必要不可欠なことに導いてくれます。祈りと瞑想が前もって何が必要か決めてくれます。一例を挙げましょう。ここアメリカで、特殊なウェイトリフティングの機械がいくつか必要でした。神は御自身の夢を、私の中で私を通して成就しようというビジョンがありました。そしてオーストラリアの教え子を道具として選ばれ、彼が私のエクササイズマシーンを作る役になりました。これは素晴らしい祝福で、神の限りない恩寵だと心から感じています。この教え子は、この4年間私のウェイトリフティングの世界で、想像を遥か超える非常な助けとなってくれました。

質問: でも神は貴方に努力してそれを達成して欲しかったのですね。

シュリ・チンモイ: そうです。肉体的にも精神的にもです。物質と精神は共になければいけません。精神は内、物質は外です。地面の下に種を撒きます。それで初めて芽を出し小さな苗木となり、やがて大木、菩提樹になりますが、種は地面の下に撒かれたのです。同じように私たちも、内的人生が一番大切です。内的人生が前面に出てくると、外的人生を受け入れ、同化し、変革し、私たちを完璧にしてくれます。

質問: リフティングをされる直前に、集中されていましたね。スポーツでは昨今イメージ・トレーニングというのが流行っていますが、そのようなことをされていたのですか。それともただ祈っていたのですか。

シュリ・チンモイ: その時はただマインドを静寂にしていました。何か行う前には必ず、まずマインドを静かにするところから始めます。マインドを静かにすると、ものすごいエネルギーが私の中全体へ流れてきます。宇宙のエネルギーを引っ張ってきます。マインドを静かにするとすぐに宇宙のエネルギーが私全体に入ってきます。

質問: 何か考えておられたのですか。

シュリ・チンモイ: その反対です。マインドは完全に空白でした。一度マインドを静かに静寂にすると、空のように、海のように広大になります。考えると自分に限界をつくります。瞬く間に思考がマインドの中に入ってきます。綱引き、もしくは動物園のようなものです。しかしマインドを静寂にすると、鳥のごとく空を飛んでいると感じます。空は飛んでいる鳥に影響される事はありません。そして鳥は飛んでいるのが楽しく、空から直接エネルギーとインスピレーションを受け取っています。

質問: スポーツでホワイトゾーンと言われているものと良く似ていますね。アスリートが純粋に直感的なレベルに入り、そこでは考えがないのです。最初に何かを学んでいるときは、何をしているか自分で分析していますが、ある時点になるとそれが止みます。

シュリ・チンモイ: あるレベルに達すると、自動的にできるようになります。歌手の人は何年もレッスンを受けますが、心に響くような声を出せるようになると、基礎的な練習をする必要はなくなります。実際に歌っている間、心配する必要がなくなります。踊り手の人は練習してステップを習っていきますが、実際に演技をする時になると、体が自然に動きます。内側から何かが自らを表すのです。

質問: 皮肉なことに、その直感はトレーニングをして得られたもの、ですね。

シュリ・チンモイ: 考える時間はありません。ただ行うのです。自然に沸き起こる喜びがあります。練習すると自信になります。練習しなければ何が自分にできるのか、どれだけのものを前面に持ってくることができるのか、全然判りません。

質問: 貴方のされているトレーニングの本質は何ですか。

シュリ・チンモイ: 人は毎日持ち上げるわけではありませんが、ウェイトトレーニングは毎日行っています。フリーウェイトを120ポンド(約54キロ)まで使います。大体20種類のマシーンを使って筋肉トレーニングをし、体の色々な部分の筋肉を増強させます。これを早朝少なくとも3時間行います。大体8時頃にここアスピレーション・グラウンドに来て、またもう少し運動します。

[シュリ・チンモイがマーク・タイヒ氏をリフティングする。]

質問: どうもありがとうございました。何とも言えない感覚でした。私もこれで貴方の数字の一人になったのでしょうか。

シュリ・チンモイ: 1299人目の方になりました!

Part XII

CSC 98. 1988年12月16日、シュリ・チンモイは香港で「ホンコン・トゥデイ」の記者ニック・ベイリー氏にインタビューを受けました。

質問: お話を伺う前に、フルートで一曲お願いできますか。

[シュリ・チンモイがフルートを演奏する。]

質問: それは今即興で作られたものなのですか。

シュリ・チンモイ: そうです。

質問: 御自分のことを教えていただけますか。昨日香港にいらして、これは東南アジアツアーの一環だと聞いています。そして「ひとつの心で世界を持ち上げる」というプログラムを行っているということですが、どういうものなのか説明していただけますか。

シュリ・チンモイ: 私は真実の探求者であり、神を愛する者です。人類に奉仕するのは私の絶対の義務だと感じています。「ひとつの心で世界を持ち上げる」は我々のテーマです。心に平和があれば、人類の意識を向上させることができると感じています。この世界は創造主たる神のもので、と同時に創造主たる神は創造物たる神にもなりました。ですからいろいろな所へ出向き、その国の皆さんに魂からの奉仕を捧げようと試みています。

質問: それは貴方が内側から得ているメッセージなのですか。

シュリ・チンモイ: そうです。インナーパイロットから得ています。誰でも何かに導かれているものです。一番よくあるのはマインドに何かをするよう言われ、その命ずることに従います。しかし規則的に魂から献身的に祈って瞑想すれば、ハートの声を聞くことができます。私の場合、そのようにハートの声に耳を傾け、世界と分かちがたい一体感を確立しようと試みています。

質問: この番組の視聴者の中には少々理解し難い、あるいはどういう目的なのだろうと思う人もいると思うのですが。

シュリ・チンモイ: この世の中は誤解で満ちています。私の目的が誠実で本物なのかどうか、神にしか判断できません。私の考え方を広めにきたのではありません。人類に献身的に奉仕するために来たのです。同じように献身的で先進的な奉仕をするため、世界の多くの場所へこれまでも出向いてきました。

この「世界を持ち上げる」プログラムはつい最近始まったばかりです。まだ1年にも満たないでしょう。この3年間ただ体を鍛えるためにウェイトリフティングをしてきました。以前はランナーだったのですが、膝のひどい負傷をのため断念しました。そしてウェイトリフティングを始めたのです。神の恩寵で素晴らしい成果を上げることができ、ここ6カ月間は人を持ち上げるということをしています。

一人一人に身体、バイタル、マインド、ハート、魂があると信じています。そしてある人をリフティングしている間、その人に献身的に奉仕していると感じます。献身的な奉仕で、持ち上げられた人自身の神聖な資質を前面に持ってくることができると感じています。これは皆で一緒に世界を持ち上げるため、最も重要なことです。

質問: どのような人たちをリフティングされてきたのですか。

シュリ・チンモイ: あらゆる分野の方々をリフティングしてきました。国連の外交官、大学教授、ボクサー、歌手、アスリート、ウェイトリフター、聖職者、修道女、医者、弁護士などです。

質問: 貴方の体重はどのぐらいですか。

シュリ・チンモイ: 普通は151から157ポンド(約68〜71キロ)の間です。

質問: 今までリフティングした中で一番体重が重かった人は誰ですか。

シュリ・チンモイ: カリフォルニアでサクソフォン奏者の大御所クラレンス・クレモンズをリフティングしました。「ビッグマン」でお馴染みで、283ポンド(約128キロ)でした。

質問: ほとんど御自分の体重の2倍ですね!

シュリ・チンモイ: そうです。そして昨日ここ香港で写真家の方を2人同時に持ち上げました。2人の体重の合計は265ポンド(約120キロ)でした。

質問: ところで、リフティングは片手でされるという事ですね。どちらの腕でなさるのですか。

シュリ・チンモイ: 左腕でも右腕でも行います。どちらも同じ位の強度です。

質問: 片方の腕で自分の体重の2倍ある人をどうやって持ち上げられるのですか。

シュリ・チンモイ: 神の無限の恩寵が私の中で私を通して働きます。若い時は、ウェイトトレーニングなど全くしませんでした。短距離と十種競技の選手でした。この人生ずっとランナーでしたが、3年前新たに、ウェイトリフティングを始めました。他人と競争はせず、自分自身と闘うのを楽しんでいます。初めは40ポンド(約18キロ)でした。3年前は40ポンド持ち上げるのもほとんど不可能なことでした。そして段々と、ゆっくり、着実に、確実に進歩し、今はこのレベルまで来ました。

質問: 貴方にリフティングされた人たちは、駄洒落みたいですが、持ち上げられるような経験をするのですか。リフティングされた後は前よりずっと気分が良くなるのですか。

シュリ・チンモイ: 中には「肉体の領域だけでなく内的な領域でも持ち上げてもらえました。」と言われる人もいます。6ヶ月位前にフィラデルフィアから修道女の方が参加しに来てくださいました。彼女をリフティングすると、「体も精神も両方持ち上げていただく経験でした。」と言われました。そしてこれはリフティングの後で本人から伺ったのですが、興味深いことに、その日の彼女のホロスコープは「誰かが肉体的にも精神的にも持ち上げてくれる。」と出ていたのです。それではるばるフィラデルフィアからニューヨークまで来てくださったのです。

記者: その方にとって良い経験で良かったですね。今日これから香港でリフティングされる皆さんにとっても同じように良い経験になることを願っております。シュリ・チンモイさん、どうもありがとうございました。「ひとつの心で世界を持ち上げる」のご成功をお祈りします。

Part XIII

CSC 99-102. 1989年2月11日、シュリ・チンモイは<ハート・トゥ・ハート>フェスティバルの最中、「ボディー・マインド・スピリット」誌にワシントンDCでインタビューされました。

質問: 御自身の言葉で、貴方がどなたなのか、教えてください。

シュリ・チンモイ: 私は誰なのかと聞かれたら、「真実の探求者であり神を愛する者です。」と即答しています。

質問: 貴方のウェイトリフティングについて教えてください。

シュリ・チンモイ: 私たちは皆、全人的な存在でなければいけないと信じています。精神と身体は一緒にあらねばなりません。私の内的人生で心に平和があるなら、貴方と言い争ったり戦ったり喧嘩したりする事はありません。人間と同じように、国もまた自信が欠如しています。ある国が内的に平和があったら、他の国に盾突く事はありません。ほんの少しの平和がないために、他の人と言い争ったり悪口を言ったり他人のあら探しをしたりします。心が平和であれば限りない喜びを得ます。

リフティングする際、自分の内的平和を使って内的世界と外的世界を結びつけようとします。私は平和の生徒です。毎日子供の時から祈り瞑想してきました。祈りの人生から平和を得て、この平和から強さを貰います。私のウェイトリフティングは内的強さの体現です。魂からの奉仕を人類に捧げています。

質問: ウェイトリフティングが内的強さの表れだとおっしゃいましたか。

シュリ・チンモイ: そうです。祈りと瞑想の人生のおかげで、神は無限の恩寵で内的強さを下さいました。この内的強さを物質を通して体現しようと試みています。

質問: 人を持ち上げる時はどうされるのですか。

シュリ・チンモイ: ひとつの心で持ち上げます。あらゆる分野の方たちをリフティングしてきました。そして私の一体感をその方たちに捧げてきました。私たちは皆ひとつの家族の一員です。家族には医者もいればエンジニアもいれば、サッカー選手もいます。しかし皆同じ家族の兄弟姉妹なのです。ですからここでもいろいろな分野の方たちとの一体感で、その方たちを持ち上げます。私の唯一の目的は人類に奉仕することです。

質問: 注目されることについてどのように感じていますか。時々それが邪魔になりませんか。

シュリ・チンモイ: いいえ。というのも、注目されているのは私ではないとわかっているからです。私がしているのではありません。愛や称賛をくれる人がいるなら、受け取っているのは私の中のインナーパイロットだとわかっています。私はただの道具です。

質問: シュリ・チンモイではないのですか。

シュリ・チンモイ: シュリ・チンモイではありません。私の受容力に応じて、能力に応じて、自らを私の中で私を通して体現している「唯一の存在」がおられます。ですから私のことを褒めて下さるのなら、その賞賛を受け取るべき存在は私でないとわかっています。私ではないのです。貴方が評価して下さった能力を私にくれた「存在」がいて、私ではなくその「人」こそが賞賛を受けるに値します。

行為者は私ではありません。私はただの道具、通り道です。ですから称賛が来ても、それは私ではなく直接その源に行きます。

質問: つまりその源がどれだけ成し遂げたかということでしょうか。

シュリ・チンモイ: そうです。私の能力と受容力にかかっています。私の中で私を通して自らを体現しようとし、私にインスピレーションを与えてくれるその「存在」をインナーパイロットと呼んでいます。貴方の賞賛は直接インナーパイロットに行きます。

質問: 神との特別なその関係を、子供時代からずっと持っていらしたのですか。

シュリ・チンモイ: 祈り瞑想し始めたのは4歳の時でした。今57歳になります。

質問: 常にいつもわかっておられたということですか。

シュリ・チンモイ: 信心深い家族に生まれ育ちました。そして兄姉たちの歩んだ道を辿ることができたのは幸運なことでした。

記者: この度はご親切にお時間を作ってくださり、本当にありがとうございました。ご活躍をお祈りしています。

Part XIV

CSC 103-106. 1989年7月6日、シュリ・チンモイはオーストラリアのシドニーに滞在中、テレビ番組に何度か出演し、次のインタビューに答えました。

質問: シュリ・チンモイ、貴方の哲学はアスリートにとってどのような助けになりますか。

シュリ・チンモイ: 外的人生と内的人生はいつも共にあります。外的なランニングから奥深くに行くようインスピレーションを受けます。一方で内的なランニングは祈りと瞑想のことですが、体を完璧な状態にしておくよう教えてくれます。体が健康で完璧な状態でなかったら、早朝に起きて祈り瞑想することはできません。ですから外的人生と内的人生は共にあるのです。同じコインの表と裏のようなものです。内的にも外的にも満足を得るために、毎日の生活でどちらも必要です。

質問: 今晩されたように人をリフティングできるのは、何から力を得ているのですか。

シュリ・チンモイ: 宇宙のエネルギー、普遍のエネルギーから力を得ています。リフティングの前に数秒から1分程度瞑想し、奥深くから宇宙のエネルギーを引き出します。

質問: そのような能力を発達させるには、どのくらいかかるのですか。

シュリ・チンモイ: それは完全に神の恩寵にかかっています。10年あるいは12年ほどでそのような能力をつけたシーカー(真実の探求者)もいれば、一生かかる場合もあります。その人にどれだけ受容力があるかにかかっています。

質問: そうできるようになったら「スポーツで秀でる」他に、どんな意味合いがあるのですか。

シュリ・チンモイ: 真実を探求する者、神を愛する者として私が感じるのは、毎日規則正しく魂を込めて祈り瞑想すれば、無限のエネルギーを必ず得られるということです。この無限のエネルギーを得ると祈りの助けになり、自分の能力を促進できます。

質問: 今世界のスポーツ界では、ドラッグや腐敗が注目を集めていますが、それについてどう思われますか。

シュリ・チンモイ: そのような嘆かわしく、向上心がないアスリートがいるのは、世の中にとって非常に非常に悲しい経験です。すぐにでも命が壊されてしまうような事は、何もすべきではありません。身体は神からの賜物で、あらゆる意味で強くあらねばなりません。内側には魂があるからです。聖堂を清らかに保てなければ祭壇を整えることはできません。この場合身体が聖堂で、魂が祭壇です。そのようなアスリートたちは間違った方向性を世に示してしまっています。それは破壊へと向かう道です。

質問: あれだけのウェイトを持ち上げられたのですから、随分疲れておられるでしょうね。

シュリ・チンモイ: いえ、全く疲れていません。もっと何人でも持ち上げられます。

質問: 幸せですか。

シュリ・チンモイ: 私は人類に奉仕することで喜びを得ます。一人一人が独特の方法で人類に奉仕しています。今貴方はこのプログラムを録画されていますね。私たちのしているこの対話からインスピレーションを受ける視聴者の方たちが何千人といることでしょう。貴方の非常に意義深い質問に対し、私の内的覚醒から出来る限りの答えをしようと試みています。ですから今行っているこの会話は間違いなく、真実、光、至福を切望する人々の助けになるでしょう。

質問: こんなことを言って申し訳ないですが、貴方はウェイトリフターらしくありませんね。

シュリ・チンモイ: そうですね、全くその通りです! 私の場合全てが神の恩寵です。ウェイトリフターの体格はしていません。以前はランナーでした。リフティングのことなど考えたこともありませんでした。しかし今は、ウェイトリフティングを通じて神を体現できるよう多くのことをしなさい、と慈悲なる神に言われたのです。

質問: 他の人も瞑想すれば貴方のようにリフティングができるのでしょうか。

シュリ・チンモイ: もちろんです! それが神の意思ならば、誰だって簡単にウェイトリフターになれます。

質問: どのぐらいの頻度で瞑想されるのですか。ずっと瞑想しているのですか。

シュリ・チンモイ: 夜中に何時間も瞑想します。世界中に生徒が数千人いるので、ほとんどその生徒たちに瞑想しています。子供の時からずっと瞑想をしてきて、今は自動的にできるようになりました。ですから慌ただしい生活の中でも、自分の奥深くでは瞑想が続いていると感じます。

質問: リフティングをされている間、何を感じているのですか。

シュリ・チンモイ: リフティングをしている最中は、神の聖なる慈愛が私の中で私を通して流れていると感じます。そして自分は完璧な道具になろうとします。神が私の中で私を通して働いており、その完璧な道具になろうとしています。リフティングの最中、行為者は私ではないと感じます。私はただの道具です。内的な力、パワーが私の中で私を通して働いていて、それを前面に持ってこようとします。

質問: 貴方のされているウェイトリフティングを信じ難いと感じている人はたくさんいると思います。

シュリ・チンモイ: 私も人間的マインドで考えると信じがたいです! 一方でこれは自分がしていることではないとわかっています。無限のエネルギーが私の中で私を通して働いているのです。このように思うとマインドを静寂にすることができます。

質問: ウェイトリフティングを始めてどのぐらいになるのですか。

シュリ・チンモイ: 4年前に始めました。しかし人をリフティングしているのはここ1年ほどです。

質問: もちろんランナーでもあられるわけですね。

シュリ・チンモイ: 元は短距離走をしていました。そして長距離を走るようになりました。短距離の時代は、インドの水準ではかなりのレベルでした。しかし世界水準から言うと全然大した事はありませんでした。ここ西洋では、フルマラソンを22回、ウルトラマラソンを2回完走しました。その後右の膝を痛めたため、もう走ることができず、ランニングは断念しました。体を鍛え健康でいたかったので、ウェイトリフティングを始めました。

質問: 主宰されているランニングのイベントは世界中で素晴らしい盛況ぶりですね!

シュリ・チンモイ: 内的な走りも外的な走りも奨励しています。二つは共にあらねばなりません。善い考え、善い内的思いがあると、それは内的な走りです。そしてその感情を外的に表現し、その善い思いを他の人と分かち合うと、それは外的な走りになります。外的な走りは常に奥深くから始まります。

質問: 実はもうすぐ30キロレースに挑戦するつもりなのですが、何かアドバイスをいただけませんか。

シュリ・チンモイ: かつて長距離を走っていた時、全部の距離を考えるのではなく、その総距離を部分部分に細かく分けていました。例えば貴方の場合なら30キロです。その距離が何キロあろうと、「そんなに長い距離は走らない。」と想像するのです。1マイル(約1.6キロ)走ることになっていたら、その4分の1を走るのだと思います。そしてマインドに「長距離を走るなんて、まさか! ただ4分の1マイル走るだけだ。」と言い聞かせます。そして4分の1マイル走ったら、もっとエネルギーがあるのがわかるでしょう。

このようにしてマインドをごまかし、律するのは常に良いことです。そうしないと、マインドは余計なプレッシャーをかけてきます。走り始める前に心配と不安で一杯になってしまいます。

しかしマインドに策を講じて、「自分の能力に充分できることをしているのだ。」と賢く言い聞かせることができたら、マインドの重荷を取り去ることができます。そうすれば不安も心配もなくなります。

Part XV

CSC 107-113. 1988年3月12日、シュリ・チンモイはオランダ、ベロニカテレビのボプ・ディヨン氏に、インタビューを受けました。

質問: シュリ・チンモイ、どうしてウェイトリフティングをされているのですか。

シュリ・チンモイ: 兄弟姉妹の皆さんにインスピレーションを与えるためです。この世界はただ一人の「人」、つまり創造主たる神のものです。そして我々は皆その子供、つまり創造物たる神といえます。今私はオランダに来ています。ここオランダの兄弟姉妹の皆さんに会いに来ました。その皆さんのインスピレーションとなることができたら、とてもとても嬉しいのです。私はウェイトリフティングから内的な喜び、内的な強さ、内的平和、心の平和を得ます。心の平和があれば、他の人と言い争ったり喧嘩したり戦争を仕掛けたりすることはありません。それでウェイトリフティングをしています。

質問: 以前にも何か他のスポーツをされていましたか。

シュリ・チンモイ: はい。ずっとスポーツをしてきました。若い時はアスリートでした。インドの水準からするとなかなか優秀なアスリートでした。また十種競技でもチャンピオンでした。短距離、ジャンプ、投げ種目等で秀でていましたが、全て昔のことです。

質問: 従来のウェイトリフティングのテクニックがたくさんありますが、貴方はそのどれも使っておられないですね。どのようにやられているのですか。

シュリ・チンモイ: 私の場合内的なインスピレーションの問題です。かつてウエートリフティングを極度に嫌悪していた時期がありました。驚かれるかもしれませんが。インドでは短距離走をしており、ウェイトリフティングはランニングの選手生命に有害なものだと思っていました。ここアメリカでも何年も走り、世界中にいる教え子にも走るように鼓舞しました。ランニングのせいなのか、右膝をひどく痛めてしまい、そのため走るのを断念し、今度は体を鍛え健康を保つためにウェイトリフティングをするよう内側からインスピレーションが来ました。それで始めたのです。

ご覧のように私はウェイトリフティングのテクニックは何も知りません。ボディービルダーやウェイトリフターの体格もしていません。完全に神の恩寵に頼っています。すべての行為において、神の恩寵が私の中で私を通して働いているのです。スポーツをする時だけでなく、文筆活動、芸術などすべて他の活動においても、完全に神の恩寵と神の慈愛に頼っています。神に助けられ導かれ守られているのです。私を通しての行為者は神で、ただ良い受け取り手になろうとしているだけです。自分自身の受容力を神に捧げようとし、一方神は全てのことを私の受容力に応じて、私の中で私を通して行います。

質問: 神の話をされますが、オランダはキリスト教の国なので、ここの神はキリスト教の神だ、と皆言うと思います。他の国の方々もそれぞれの神がいるのですよね。

シュリ・チンモイ: 神は一人だけですが、使う名前が違うのです。オランダ語ではある言葉を使います。ベンガル語では「バガヴァン」という言葉を使います。英語では「God」と言い、フランス語では「Dieu」です。それぞれの言葉に神を表す語がありますが、同じ存在を指しています。ある人は苗字で「誰々さん」と普通は呼ばれていても、その人の子供たちは「お父さん」や「パパ」と呼びます。そして友達には下の名前で呼ばれますが、全部同じ人のことを指しているでしょう。

質問: 皆が戦争をしていて、そのすべての側が「神のための戦いだ。」と言っているのですが、どうしてそんなことが可能なのでしょうか。神が一人しかいないのであれば、どうしてそんなにたくさんの異なる立場があるのですか。

シュリ・チンモイ: これは神に対しての誤解から来ています。神は愛だけの存在です。神を父親としましょう。そして貴方と私は兄弟です。私たちが言い争ったり喧嘩したりしていたらお父さんは嬉しいでしょうか。嬉しくありませんね。お父さんは二人の息子が幸せで平和に満ちていて初めて嬉しく思います。 一つ一つの宗教が「神への愛」から始まります。神を忌み嫌ったり、人類を嫌悪している宗教があるでしょうか。そんな宗教はありません。ただ私たちは神に対して思い違いしているのです。キリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、イスラム教、仏教、ジャイナ教。全てが「神を愛している」と言っています。しかし本当に愛していたら、その人を不幸にすることができるでしょうか。神を愛していると言いながら言い争いや喧嘩を続けていたら、おかしくありませんか。最愛の神を喜ばせたいと私たちは願っています。聖なる父を幸せにしたいと思っています。父親を不幸で惨めな思いにさせたい人がいるでしょうか。そんな人はいません。しかし残念なことに、私たちの行動は神を悲しませ惨めな思いにさせています。戦争、言い争い、喧嘩や不幸な生活を擁護する宗教はありません。

質問: スポーツの話題に戻りましょう。例えば二人スポーツマンがいるとします。友好的にかもしれませんが、とにかくお互いに競っています。ボクシング、あるいはレスリングかもしれません。その両者が祈ればそれは良いことなのですか。

シュリ・チンモイ: はい。両者が祈ったら、両方とも神の守護を受けられ、自分の最高の能力を発揮することができます。しかし敵対心はそこにはありません。例えばボクサーが二人戦っているとしましょう。当然どちらも勝ちたいと思っています。そこで動物的な性質を前面に持ってきて敵を破滅させることもできます。また一方で、これは自分自身の能力を超えるチャンスなのだと捉えることもできます。隠れていた能力を前面に持ってこられるか試みるのです。我々の哲学では自分自身を常に越えようとします。常に向上するよう挑みます。自分を超越していく過程の中で相手を負かしたら、それは間違いではありません。しかし無理やり、悪い手を使ってでも相手を打ち負かそうとするなら、それは非常に大きな間違いです。

質問: スポーツ選手の知り合いが多く、その中には祈る人たちもいます。「お願いです、父なる神よ、今日の世界選手権で勝たせてください。」と祈るのです。そして成功する時もあります。このような祈りは良いものなのですか。

シュリ・チンモイ: その祈りは良いですが、最良の祈りではありません。最良の祈りは「御心のままに」です。救世主キリストはこの最も意義深い「御心のままに」というメッセージを世界全部に捧げました。

最強のスポーツマンの一人であるモハメッド・アリについてお話ししましょう。モハメッド・アリを知らない人はいません。とても親しい友人です。約10年前、ある試合の前に一緒に15分ほど瞑想しました。彼はイスラム教徒なので、アッラーに祈っていました。そして私は神に祈っていましたが、これは同じ存在です。一緒に祈り瞑想しました。その夜彼は試合に勝ちました。私の祈りはただ「神よ、御心のままになされますように。」でした。モハメッド・アリは親しい友人ですが、神がアリの中でアリを通して行うことが何であれ最良なのだ、とわかっていました。この祈りを神に捧げると、神は私たちに最善なことをしてくださいます。

質問: ということは、彼が負けることもありえたわけですね。その場合はそれが最良の結果だったのでしょうか。

シュリ・チンモイ: 全くその通りです。この場合神はアリに勝って欲しかったのです。それがスピリチュアルな観点からすると最良のことでした。しかしもし神が彼に「失敗」という経験を与えたかったのならば、また別の意味で非常に重要な内的経験を、彼は得たことでしょう。神が時に失敗の経験を与えるのは、他の競技者たちと分かちがたい一体感を確立してほしいと思われているからです。その時もし神に対する祈り「御心のままに」が誠実であるなら、神を愛しているので、失敗しても同じように嬉しく思うことでしょう。最愛のその存在は、私にとって何が最善か知っています。ですから自分たちの意思ではなく神の意思がなされるよう祈るのです。そうでないと、いつでも「勝たせてください、一番にしてください。」と祈っていることになります。最高のスピリチュアルな観点からするとこれは間違いです。自分たちの中で自分たちを通して神の意思が遂行されるよう祈るべきです。それが最良の祈りです。

質問: これまで私はプロのスポーツ選手でした。そして人生で何度か、「実際に行っているよりもっと自分にはできるのではないか。」と感じたことがありました。このような事は貴方にもよくありますか。

シュリ・チンモイ: 私の場合も同じようなことを何度も何度も経験しました。自分の最高の力を出し切っていないと感じました。ランニングで、「もっとずっとよく走れたのに。」と感じたことが何度もありました。しかし走らなかった。走れなかった。それでも不幸ではなかったです。なぜなら一番初めに神に「御心のままに」と魂からの祈りを捧げたからです。マインドは「全力を出せないようにされたのかもしれない。」と思うが、ハートは「違う」といいます。神に私の中で私を通してその意思を遂行してほしいと祈ったからです。レースで何が起ころうと、それがその時点で、神が私に世の中全体に対して表して欲しかったことなのです。ですから全く嬉しい気持ちでした。

質問: スポーツをする人たちが瞑想したかったら、どうやって行ったら良いですか。

シュリ・チンモイ: 毎朝、目が覚めたら忙しい生活に入っていく前に、平和に満ちた幸せな日が与えられるよう神に祈ったら良いと思います。「主なる神よ、今日平和に満ちた一日をお与えください。」と言ったら良いでしょう。これが一つの祈り方です。

もう一つの方法は瞑想を通してするものです。マインドを完全に落ち着け静かにし、ハートに集中します。ハートの中でのみ自分は存在し、他には何もないと感じるようにします。この時、自身の内的存在、つまり自分の神性を心に思い描いています。ほんの少しの考えも持ってはいけません。マインドは落ち着いて静かで、完全に静寂でないといけません。

祈りでは、言葉を使って神にアプローチします。「我が主スプリームよ、貴方の選ばれし道具に、最高の道具にしてください。貴方のやり方で貴方を満足させ満たすことが出来ますように。」というように。一方深い瞑想をすると、為されるべきことは神が私たちの中で私たちを通して行っていると感じます。神が自分たちの中で自分たちを通して行動しているのです。ただその完璧な道具になろうとします。

祈ると、神は天高くにいると感じます。自分の祈りが神の所へ上っていきます。瞑想すると、エレベーターが下がってきます。慈愛に満ちた神が自分のハートの中に下りてきてくれ、必要なことを為してくれます。このように神を感じるのです。

質問: 祈り瞑想することで、誰でもより良いアスリートになれるというのは本当ですか。

シュリ・チンモイ: 全くその通りです。綱引きで自分の側にもう一人友達が加わるようなものです。綱引きの相手が祈りも瞑想もしない人なら、一人ぼっちです。一方貴方には祈りという友達と瞑想という友達が味方にいます。

世界レベルのアスリートの中で、祈り瞑想をする人は本当にたくさんいます。つい先週オリンピック選手の巨人カール・ルイスが私の所へ来て約1時間程一緒に瞑想しました。もう長年の友人なのですが、前回のロサンゼルスオリンピックの際には自分で必要と感じたようで、ホテルの部屋に訪ねてきてくれ、一緒に瞑想しました。彼は自分の祈る生活がかなりの助けになっているとわかっています。何度も何度も一緒に祈り瞑想しました。

祈り瞑想すると、内的な強さ、内的能力を高めます。祈る生活、瞑想の生活で能力が高まるのですから、実践すべきです。鼓舞してくれる友達が二人余計にいるようなものです。皆友達を求めています。いざと言う時、友達は大きな助けになってくれます。スポーツでは助けに来てくれる友達が切に必要です。そして祈りと瞑想が、私たちを助けてくれる素晴らしい二人の友人なのです。

質問: 貴方がこのような重いウェイトを持ち上げられるのも、祈りと瞑想の助けを受けているのですか。

シュリ・チンモイ: はい。100パーセント祈りと瞑想の人生のおかげです。私の場合、99.5パーセントでも99.75パーセントでもなく、100パーセント祈りと瞑想のおかげです。今日、自分の体重の重さのウェイトを左腕で持ち上げ、それから右腕で持ち上げた時も、もし内なる導き手が守ってくれなかったら、ウェイトを落としていた、あるいは全く持ち上げることができなかったであろうとわかっています。私が行う事は全て、神の恩寵に頼っています。神の恩寵、慈愛、守護に頼っています。

もし神が無限の恵みから慈悲を下さるなら、できないことは何もありません。私は一滴です。しかし海に入った瞬間に海になります。同じように私の限界ある意志、有限の能力は無に等しいものですが、神の無限の意思と同化した瞬間に、本当に多くを成し遂げることができます。そうでなければ、この年になってこんなに重いウェイトリフティングをしようなどと考えつくこともないでしょう。誰よりも自分が疑ってかかるだろうと思います。ただ、自分がしたのではないとわかっています。自分がしたのでは無いのです。誰がしたのでしょうか。私のインナーパイロットである神です。神は無限で永遠で不滅ですから、このようなことをするのは本当に簡単です。ですからすべてにおいて、100パーセント神のおかげです。自分に何ができるかわかっています。何もできません。これまで詩を何千首と書いてきました。曲も何千曲と作りましたし、絵も何千枚と描いてきました。このようなことができたのは絶え間ない神の無条件の恩寵があったからだと承知しています。私にその価値はありません。自分より遥かに才能のある人はたくさんいます。しかし神はその無限の慈愛から私を選んでくださったのです。

ボディービルディングとウェイトリフティング界の、チャンピオン達の上腕二頭筋と三頭筋を見てごらんなさい。なんて巨大なことでしょう! しかしリフティングでその人達は最高の力、至高のパワーを呼び起こしてはいないかもしれません。

質問: スポーツの競技会があったら、誰が勝つのかその人の回りにあるオーラで分かりますか。

シュリ・チンモイ: 確実に見えますし、非常に稀ですが、もしそれが神の意思であるならその人に伝えることができます。一例を挙げましょう。ロサンゼルスオリンピックの200メートル決勝前日に、カール・ルイスが一緒に瞑想したいと、私のホテルの部屋へ訪ねてきました。その後で、次の日のレースの結果が知りたいか彼に尋ね、彼が一位、二位がカーク・バプティステ、そして三位がトマス・ジェファーソンだと伝えました。神が結果を私に見せてくれ、カール・ルイスに伝えて欲しいと思われたのです。次の日の決勝戦では、私が彼に言った通りの結果になりました。ただ、もし神が結果を見せてくれなかったとしても、全く不満ではなかったと思います。私はただ非常に魂を込め、カール・ルイスと共に祈りたかっただけです。神が選んだ勝者が誰であろうと、それは神の意思次第でした。しかし神は私に結果を見てほしい、そしてそれをカール・ルイスに伝えて欲しいと願ったのです。

質問: 最後の質問になりますが、この番組を見ているオランダの若い人たちに何かメッセージをお願いできますか。子供や青少年の皆さんに何かメッセージをお願いします。

シュリ・チンモイ: 私のメッセージはとても簡単です。ここはオランダです。オランダは花で有名です。チューリップで有名です。もし年若い皆さんがオランダの花のように美しく純粋であり続けることができれば、人生で多くを成し遂げることができるでしょう。

ここは花の国であり、花は純粋さを象徴しています。この地球上には花を見つけるのが容易でない場所もあります。しかしオランダでは本当に簡単です。ただ見回してみればいいのです! チューリップでも他の花でもいいですが、外的な目で見ている花と同じように美しい花を、一人一人の子供さんが自分のハートの中に感じることができたら、非常に大きな助けになります。

純粋さを失った瞬間、実質全てを失います。子供はみな、神の夢です。神自身がその最高の夢を子供一人一人の中で一人一人を通して夢見ています。ある子供に純粋な心があるとわかると、神はその純粋な心を通して簡単に自らを体現できます。ですから私のオランダの子供さん達に対するアドバイスは、純粋な心をできるだけ長く保ってください、ということです。一度純粋さを失うと全てが混乱します。マインドが混乱に満ちていたら、物事を達成することはできません。神はいつも純粋なハートを求めています。毎日自分の心の中にその純粋さを持てれば、とても特別で意義深く、実りあることを成就できます。

以上が私から、花の国オランダの子供さん達に向けての、魂からのメッセージです。皆さん一生純粋な心を持ち続けて下さい。

From:Sri Chinmoy,シュリ・チンモイとの対話, Agni Press, 2007
https://ja.srichinmoylibrary.com/csc より転用